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生まれつきの強運を失った話

生まれた時からものすごい強運の持ち主だったと思う。

ゼロ、いや、マイナスかもしれない地点から出発し、富士山にたとえれば2合目か3合目くらい、下手したら足を踏み出した途端に野垂れ死んでもおかしくはない人生のはずだった。しかし、こうして後ろを振り返ると、頂上は無理でも6〜7合目の間あたりまでは来れている。そこまで登ることができたのは自分の力ではなく周囲の引き立てのおかげ……というのは大人になった今だからこそ言える台詞であり、本当は自分が持つ並外れた強運のおかげだと最近までずっと思ってきた。

挫折して夢を諦めたりする経験がほとんどなかった。願望や目標は(大それたものでなければ)必ず実現した。もちろん進むべき道の先に壁が大きく立ちはだかり、その前で立ち往生することは度々あった。しかしそれでも諦めなければ先に進むことができた。道は常に一本だった。

(*このような感覚は男性に特有のことなのかもしれない、と最近の報道を見て時々考えるようになった。社会進出に際して障壁がほとんどなかった男性の影で、女性たちは夢を諦めなければならない立場に長年置かれてきた。そのことを男性の一人として申し訳なく思う。)


高2の時点で学年順位400人中300人以下のレベルから、「不合格だったら諦めろ。浪人は許さない」と親から宣告されて単願で受験した地元の国立大学に、クラスで2人だけが合格。その一人が自分だった。やる気を失って願書を出していなかったのに担任が気付いて、締切ぎりぎりになって申請してくれて受験可能になったという顛末まであった(結局卒業はせず別の道を選んだので、最終学歴は流石大学中退)。

ゼロから独力で学んだデザインの仕事はそれなりに苦労も多かったが、営業しなくても仕事が途切れることはなかった。一つの収入の道が閉ざされそうになると、決まって誰かが現れて新しい仕事を授けてくれた。それが次の、まったく違う仕事につながることもあった。そのたびに未知のスキルが開発されていった。そうやって出会ってくれた人々には、最近の言い方を使わせてもらうならば、本当に感謝しかなかった。


運気の流れがはっきりと変わったのは、2017年頃からだった。他者を巻き込みひそかに進めようとしていたプロジェクトが頓挫した。自分が属していたチームから理不尽なかたちで外された。ずっと仕事を続けていけると信じていた仲間が突然2人もこの世を去った。甘い言葉で誘われた仕事が地獄だった。未払金。パワハラ。それまで温かく包まれていた強運の繭から突然放り出されて、寒空の中を自力で歩んでいかなくてはならなかった。2017年から2019年の2月まで、挫折と悔しさの連続だった。

その流れの境目に何があったか、もちろんよく覚えている。2016年の12月、闘病の末、母が帰らぬ人となった。悲しみはいつまでも尾を引いた。

外に出て何か新しいことを起こそうとすると悪いことばかりが身に起こる。どこにも出かけず家に籠もっている方がずっとましだった。コロナ禍の前兆みたいな話だが、おそらくそれがこの状況下における最善の選択だった。

相次ぐトラブルに見舞われた2018年の夏に、よりによって10年近く暮らした家から引っ越す決意をした。定収入が期待できそうな新しい仕事が見つかったのがきっかけだったが、肝心のその仕事は年内のうちに消えてしまった。

家賃を稼ぎ出すのもままならない状況が続く一方で、新しい家にいると不思議と気持ちがくつろいだ。外は相変わらず戦場のようだったが、家の中と窓から見える風景だけはいつも静かで居心地が良かった。それまでのマンションにはなかった、緑と風と虫と鳥の声、そして四方の窓から差し込んでくる十分な日当たりがここにはある。石井ゆかりさんの占いに、蟹座は硬い甲羅で自らを守る、というようなフレーズを見かけたが、まさにこの家が自分にとっての甲羅だった。

ここに引っ越してきてから、仕事よりも心血を注いだのは、郷里に残された父さんのお世話だった。幸い健康で車にも乗れて、最近ではLINEと電話で十分なコミュニケーションも取れるようになった。父さんは何かにつけ「母さんがおれを守ってくれる」と口にする。一時は勘当同然で互いに口を利くこともなかった父といろいろ語り合える仲までになったのは、まぎれもなく母さんのおかげだと思う。家を大事にすることによって守られるこの不思議な感覚は、数年前までは確実に自分の中になかったものだ。

生まれてからずっと自分を支えてきた謎の強運は消えてなくなり、仕事でもなんでも、ただ黙って口を開けているだけでは得られなくなってしまった。最初はそのことに慣れず苦労も大きかったが、あの時から担当の神様が母さんに変わったのだ、と思うようになった。全能感に包まれた子どもの時代を卒業し、ようやく大人になれたのかもしれない。

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