選句のブレについて書くとしたら <71>
多少、私が○○句集をやりたい理由とダブっていますので、
ナンバリングしました。
まず、
俳人から見て、
ある程度は共通して光って見える句と言うのはあるという見解であるということと、
亀山こうき先生の句が美しかったので広めておきます。
コメント欄にうみのちえさんもなごみさんも集まっていました。
※自分が推薦した表現がおーいお茶俳句に残ったとか、
そういったエピソードも補足になるでしょうか。
なので、
(季語との近さとか、言葉の推敲や無駄があるところはきちんと見直して出してほしい)というのは、みんなの俳句を良しとする私も、
思ったところは言うかもしれません。
例
第58回子規顕彰松山市小中高校生俳句大会
20240101.pdf (city.matsuyama.ehime.jp)
7,125句の応募の中から選ばれた、各部門の グランプリ4句と特選135句を紹介します。
この句数の中で、
選が共通している人がいる句が複数ある。
これはある程度光って見える句があるという共通認識になると思います。
他にも探せば、
複数の選者の選句の結果を見ることはいろいろと見えて楽しいですよね。
ある程度のレベル感の句が揃ったらそこからあまりにも俳句の選句についてブレが見えてくること、
例えばNHK俳句の句会の放送を見ていただきたいことと。
本に朝日俳壇の選句についてのデータも載っていたのですが、
俳句ファンからすると、
稲畑汀子さんと金子兜太さんの
平成21年、一年間の選句のだぶりが0回!ということにニヤリとすることろです。
4人の選者で、6パターンを例示しているのですが、
一番多く重なったところで
稲畑×大串の8、
金子×長谷川の8、が最多ですからね。(敬称略)
選句に慣れた人は良い句が輝いて見える。
という話は、「その方にとって輝いて見える。」なのでは。と思う部分もあります。
本当に「すごい俳句」があるのなら、もっと選句がダブって良いのでは?
と私はこのデータから思ったのでした。
もちろん、全国の俳人たちのハガキで投句する方々のレベルの高い投句内容へのリスペクト、
選者へのリスペクトはありつつ、
質の高い句がそろえば、
あとはどの質の内容の高さを選ぶかな、という話になってくるのではと思います。
「みんなの俳句」をやるために、
今まで俳句に好きって言ってこなかった人も自由にスキって言える環境を作りたいなと思っています。
みん俳の私設賞の盛り上がりを、
もう一度今度は別の方々にアプローチして全国に起こせたら
俳句界に風が起こせる(かっちーさんの言いまわし)なと思っています。
探していけばこういう記事もあって。
あるいは、有名だからいい句とされていると考えるほかないエピソードも俳句界にあること。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
現在では非常に著名な句であるが、『海南新聞』に掲載した際にはとりたてて反響があったわけではなかった。高濱虚子、河東碧梧桐によって編まれた俳句選集『春夏秋冬』(1902年)や『子規句集講義』(1916年)、虚子の『子規句解』(1946年)などにもこの句は入れられておらず、子規の俳句仲間の中で評価されていた形跡はない[10]。子規の自選句集『獺祭書屋俳句帖抄上巻』に収録された後、碧梧桐は『ホトトギス』誌上の書評において、この句はいつもの子規調であれば「柿喰ふて居れば鐘鳴る法隆寺」としたはずではないかと述べた。これに対して子規は「病牀六尺」で、「これは尤の説である。併うなると稍々句風が弱くなるかと思ふ」[11]と答えている。
1916年9月、法隆寺境内に子規の筆跡によるこの句の句碑が松瀬青々らによって立てられた。この場所は句の前書きにある茶店のあった跡地である。前述の坪内は、このころから法隆寺の一種のキャッチコピーとしてこの句が広まっていったのではないかとしている[10]。2005年、全国果樹研究連合会は10月26日を子規がこの句を詠んだ日として「柿の日」と制定した。
高濱虚子、河東碧梧桐によって編まれた俳句選集『春夏秋冬』(1902年)や『子規句集講義』(1916年)、虚子の『子規句解』(1946年)などにもこの句は入れられておらず、子規の俳句仲間の中で評価されていた形跡はない[10]。
もし、本当にすごい句ならば、最初から評価されているでしょう。
こういうエピソードを知ったうえで、
私は、
俳人として研鑽はある程度、みんなと句会をしてきた上で、
みんなを正とした行動を取りたいと思っています。
こんなにも、ネットで表現できるようになった時代に、
まだ選者の選句を良しとした行動をしていくのでしょうか。
インターネットの時代で、
音楽も代表的なのはハチさん(米津玄師さん)等ですか?出てきました。
みんなが発信する力を得ました。
noteだって、2012年(平成24年)にコンテンツ配信サイト「cakes」(ケイクス)を、2014年(平成26年)にメディアプラットフォーム「note」を提供開始。
ですか。
私はみんなの俳句大会に集まって、
俳句を詠み合った行為を美しい時代を映した行動だと感動しました。
だけど俳句は?まだまだ○○先生の方を見ていくのですか?
私にはその気持ちがあまり分かりません。
同年代の人が、上の人に認められるような句を詠んで、売れていきます。
あまり分かりませんでした。
自分のために、自分が表現者として認められるために、
上を見て俳句を詠んでいるように感じました。
今、俳句界、
結構人間関係も込みで俳句界だっていう意見もあると思います。
そして、俳句って遅れてるーって思うことも多いです。
季語を中心として詠む。(これはいい文化だと思っていますが無季・自由律を避けすぎている感覚があります。)
カタカナ語を避ける。(むしろ例えば子規がクリスマスの句を詠んだエピソードとかご存知ないのでしょうか?
クリスマスを日本に広げた正岡子規...いち早く季語に取り入れ、年の瀬に一句: J-CAST テレビウォッチ)
古語を使う。
俳句は、俳句を頑張る人たちによって、
少しずつ時代から取り残されていったのだと思っています。
みんなでみんなを認め合う世界にしたい。
みんなの俳句にしたい。
もちろん、自己矛盾等あると思いますが、
私はむしろ何かの理由があってnoteに発信しに来ていて、その方々が俳句を取り組んで発信していった、
普通の発信者の日常的な俳句も多い俳句大会の句を世に出したいです。
現代の発信者の俳句をみんなに広めたいです。
そして、褒め合う文化を広げたいです。
そして、私設賞等、
相手を思いやる行動をきちんととってきた方々、
そのような方が報われるような句集企画がやりたいのです。
私が有名になることと、
みんなが認め合う世界ができること。
どちらかを選べと言われたら、みんなが認め合う世界を創りたい。
そのために○○句集を動いていました。
本当は、亀山先生はじめとする俳人の方々にもどう思われているか分かりませんが、
序文も私なりに書きましたし、
また、来年以降の展開を、考えていきたいところですかね。
もし、おいおい、ブレてんぜ!となりましたらまた教えてください。
どこまで広げるための行動を取るべきか、本当に迷っています。
きっと美しい世界になる。
noteのためにも、
かっちーさんやこれ母さんたちのクルーの志とも共感しあった企画になる。
100万円を配布するにふさわしい集団である。
(第二期はあるのか!?笑)
そんな風に、私は頑張ります。
SNS時代の新しい挑戦。
そのモチベーションだけで、もう少し動いてみます。
少し前に詠んだ句を思い出しました。
いいね1勲章として冬の朝 うつスピ
愛を込めて。
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