なんとなくシュウマイな日々③
「俳人の方一人が選者なら、「勝ちたいなら」その選者の方の言語感覚に合わせていた方が無難ですよね。」
「に」と「へ」の話です。
夏井いつきさんの見解がある程度分かったので、
修正、助詞のみを変えて再度提出しようかと思っています。
横浜に流星焼売は光る → 横浜へ流星焼売は光る
元ツイート
修正後
「に」と「へ」、
気になって調べているのですが、
日本語の仕組みとしての記事。
A)米洗う前に蛍が一つ、二つ・・・・いる/とまっている/飛んできた
「所の言葉+に」は「存在する場所」、「到達点」を、
C)米洗う前へ蛍が一つ、二つ・・・・飛んでくる/向かってくる
「所の言葉+へ」は「向かう方向」を
「に」に、「飛んできた」「到達点」の見解を持っていること。
日本語の仕組みとしての考え方、表現としては「に」、
間違いではないと思うのですが。
「へ」は向かってくることに限定されていますね。
https://www.youtube.com/watch?v=V-8M2BLLow0
夏井いつきさんは、
「死んでいる」という「に」の効果を採用していますね。
https://www.youtube.com/watch?v=-GoXjPZ3Ejo
緑陰を例にして、助詞についての解説をしています。
「に」はそこにいるということになっていますね。
この蛍の句は有名なのか、
蛍の句を詳しい出典を踏まえ、まとめている方がいますね。
明治40年刊の『秋香歌かたり』
「前ににては鍋を洗ふ前の草村などに居るさまにて、とびかふさまと聞えぬなりとありければ」
これより古いものとして、落合直文『将来の国文』が見つかりました。明治23年に「国民之友」に載せたもので、山本正秀『近代文体形成資料 発生篇』p652-662で見ることが出来ます。
米洗ふ前に螢の二ツ三ツ
こはある有名なる俳諧師がものしたる句なり、この句を作り出てたる時、みつから大によろこび、当時の奇人香川景樹に示したりしに、景樹見て、いかにもおもしろし、されとその螢は死したるものと思はる、いかにと問ふ。俳諧師大にいかりてその故を詰る。景樹いふ、若し飛行するものならむには、[前に]を[前を]といはざるべからずと。こをきゝてその人大に悟るところありしよしものに見えたり。[に]といへば或一定の塲所をさし示す助辭にて、唯螢が前に落ちて動かずにある意なり。さるを[を]といへば「前を飛ぶ」「前を過ぐ」など、おのづから螢の飛び行くさまも見えて、全句浮動、あはれ、はじめて名吟ともいはるべきなり。
さらに同じエピソードが教科書に採用されています。
東京書籍「新編新しい国語」2〔中学2年国語教科書〕(平成8年2月29日文部省検定済)p.159に「有名な話」として載っていたのを読んで知りました。教科書ではこう紹介されています。
米洗う前に蛍{ほたる}の二つ三つ
という句を作った人が、「米洗う前を{ヽ}蛍の二つ三つ」がいいと、先生から注意を受けたという有名な話があります。この句は、「に」でも「を」でも、言葉としては自然です。どちらも間違ってはいません。しかし、「に」を使うと、米をといでいる自分の前に蛍がいるというだけの意味ですが、「を」を使うと、「蛍」が自分の周りを飛びまわるという意味が出ます。飛んでくる蛍と、飛び回る蛍、「を」のほうに動きがある、そこで、「を」のほうが句としてよいということになるのだと想います。「に」「を」、たった一字の違いですが、意味のうえではこのような違いが出るのです。
長い引用になったが、「に」と「を」によって、これだけの違いが出るわけである。
という文章がありました。
東京書籍「新編新しい国語」2〔中学2年国語教科書〕(平成8年2月29日文部省検定済)の、教科書を作った方々は、
元になったエピソードは「死んでいる」とされていると確認したうえで、
教科書の編纂には何人もの国語の先生方が関わっているはずです。
なぜ「米をといでいる自分の前に蛍がいるというだけの意味」と表現を変えたのでしょうか。
本当に語り継がれている「死んでいる」という見解や、そのエピソードを元にした夏井いつき先生の見解は正しいのでしょうか。
「死んでいる・止まっている」と特定できるだけの情報まであるのでしょうか。
教科書の微妙な表現の変え方「自分の前に蛍がいるというだけの意味」は、様々な先生の見解を反映しているのではないでしょうか。
と、思う根拠として、引用した文章の先頭に戻ります。
学力研・漢字部会講座での伊東信夫氏の話の中で、一番勉強になったのは、漢字のことではない。日本語の正しい使い方についてである。
一番線に電車が ① 。
① に、どんな言葉が入るだろうか。
一番線を電車が ② 。
② に、どんな言葉が入るだろうか。
どちらにも同じ言葉が入るようでは、日本語の正しい使い方を理解しているとはいえないのである。
例えば、①には「到着します」が入り、②には「通過します」が入る。
では、なぜか。
このことが分かると、次の俳句の情景もよく分かるようになる。
という話なんですよ。
これが、一番線に電車が止まっています。
=蛍が止まって(死んで)います。
しか当てはまらないのなら、私も納得するのですが、
助詞「に」で、「到着します」も成り立つわけです。
日本語の観点でいえば、
ただし、「へ」は「方向」を強調するのに対し、「に」は「到着点」や「目的」を強調する意味があるようです。
このサイトも参考になりますね。
あれこれと考えていきたいテーマではありますが。
そうは言っても、選者は夏井いつきさんですから。
私の頭の中の想定夏井いつきさん。
横浜に流星焼売は光る
「これは「へ」です。」
「「に」だと流星は止まっている。横浜に焦点が当たりすぎる。教科書に載っている蛍の句があって~」(予選通らず)
横浜へ流星焼売は光る
「この句は直しなしです。」
「横浜へ流星が流れていった。そして横浜にある焼売が反応して光ったように感じた。という作者の発見が良く描けている。」
(予選通過(願望))
という感じでしょうか。
「に」と「へ」。
俳句としてのルールと、現代の助詞としてのルールの違い。でしょうか。
他の俳人の方の見解を知りたいこと、
教科書作成者と話してみたいものです。
ということで、修正投句します。
5月25日9時15分 部分的に追記
https://office.nanzan-u.ac.jp/ncia/about-cia/item/pdf_12/hokoku_jpn_01.pdf
「方向や帰着点を示す助詞「に」と「へ」が、テレビドラマの会話やブログ においてどのような分布で現れているかを調査した報告」
「実際には「に」に比べ、「へ」の使用率は低く、」
「初級教科書『げんき I 』には、「に」も「へ」も「動作の到着点」“goal of movement”」
「山西・駒走(2005)は現代の小説や大学生の 文章を調査し、現在は「に」が優勢であると主張している。」
「『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』(庵ほか2000)にあるとおり、「に」は多義的で、帰着点、着点、または目的地だけではなく、 存在、時間、変化の結果、受け手など、様々な機能を持つ。それに対し、「へ」は方向あるいは、移動の結果としての目的地を示すだけである。つまり、「に」の場合、動詞が省略されると、「に」がつく名詞や文脈から機能を限定できるものの、存在を示すのか着点を示すのかはわかりにくいのである。しかし、「へ」であれば、方向を示すことが明らかになるため、移動性を示す動詞が省略されている場合、「へ」が用いられやすいと考えられる。」
ここまで見てきた結果の
「に」蛍と、
「へ」蛍の句の場合と、
(移動性を示す動詞が省略されている場合、「へ」が用いられやすい)
「に」流星(この句の場合移動性を示す動詞を明示ではないか)
「へ」流星
「に」の方が、
現代の口語での俳句、横浜という地名に「に」着目する効果、そのあとに光る焼売にクローズアップする意味で良いという解釈も成り立ちそうです。
教科書の方々や俳人の方々の築き上げた歴史に敬意を表して、「へ」を投稿しました。
俳句が選ばれるかどうかは、選者次第ですからね。
カレーが好きと知っている人にあえてハヤシライスを出す必要はないでしょう。
それと、第十回俳句甲子園の最優秀句に、こんな句があります。
山頂に流星触れたのだろうか
この句は、今回勉強した内容がよくわかる句ですね。
今までの話を総合すると、「到着点」や「目的」を強調する意味がある、にですね。
そして私の句。
横浜に流星焼売は光る
横浜へ流星焼売は光る
あなたなら、私の句、「に」にしますか、「へ」にしますか??
「へ」は「方向」を強調するのに対し、「に」は「到着点」や「目的」を強調する意味がある
「に」も好きです。「へ」も好きです。
いろいろと考えると、「へ」が無難なのでしょうかという修正投句でした。
(いろいろと意見を聞きたいところです。)
追記終わり。
まぁ、「助詞の一字にこだわっても、賞に入るか入らないかはその句の持つ魅力があるかも大事というのが俳句」なのですけどね!(笑)
私でなくても、note内の方で賞取れたらいいですよね!
実は私の記事を見てシュウマイの句を作って賞を取ったよという方が現れたら、ちゃんと教えてくださいね♪
私が負けたら思い切り悔しがり、(笑)
仲間が取ったなら思い切り喜びます!!
まだシュウマイをテーマに作っていて、
推敲中の句もありますので、まだ続くかもしれません!
最後には、さらば愛しきシュウマイたちよ。と言いたいところですが!(笑)
(なぜか今回はももクロ縛り(笑))
愛を込めて。
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