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30年被ってきた仮面を脱ぎます宣言

今認識している自分のキャラクターは、
ホントに自分自身にマッチしたものでしょうか?

そんなことを言っても、もう人生の半分以上をそのキャラクターとして生きて来ていたら、
たとえ少し違和感があったとしても、
その正体なんて分かりにくいと思います。

過去の4タイプ診断

昨日は、私の所属するコーチングプレイスの勉強会でした。
そこで、4タイプ診断別に意見交換をする、という企画がありました。

これは、
コミュニケーションスタイルだったり
優先される考え方のタイプだったりします。

①コントローラー
②プロモーター
③サポーター
④アナライザー

と4つあります。
細かい説明ではないですが、
ざっくりと
コントローラーは自分で指示を出したいリーダータイプ(マフィアのボス、なんて書かれていました)、
プロモーターは楽しさ優先で目立ちたいタイプ(豊臣秀吉らしいです)
サポーターは平和が大事、他の人の気持ちが大事、すごく優しいイメージ。
アナライザーは物事の根拠や数字を大事にするタイプ

とのこと。

今までに2回、この診断を受けたことがあって、
1回目はサポーター、2回目はアナライザーでした。
そうだよね、サポーター、、、、だよね。
理系だし、ちょっとアナライザーも入ってくるよね。
そんな風に思っていました。

でも、何か違和感があって、
この診断自体が好きではなかったのも事実。

今回の診断結果は、、、

今回、勉強会参加にあたって、
再度診断を受けるように言われて、しぶしぶやってみました。
ただ、受け方を変えたんです。
今までは、「ややあてはまる」とか「ややあてはまらない」とか
曖昧なものをつけがちだったのですが、
「とてもあてはまる」「当てはまらない」とはっきりと選ぶことによって
はっきりと点数化をしてみたのです。
そのほうが、当たるって書いてあったので。

そうしたら、、、
今まで当てはまっていたサポーターもアナライザーも点数が低く、
プロモーター、その次がコントローラー
という結果でした。

その二つの解説を読み、
「あ、プロモ―タ―なんだ。」
と納得。

いや、納得どころか、
ものすごく安心したんです。

プロモーター同士で話してみた

勉強会では、同じタイプの人同士で話す時間がありました。
もしも違うグループに入ってしまっていたら
話していて居心地が悪くなるからすぐわかる、ということでしたが、、、

結果、、、、

楽しいのが好きなプロモーターに囲まれて
ずっと笑って過ごして、
笑い過ぎて涙が出てきて、乾いていた目がうるおって助かったほど。

「まゆみさんもそうでしょう?」

って言われると、頷いて、そうそう!!って。

ただ居心地が良かった、楽しかった、ではなく
深い気づきがあったのです。
それは、、、、

受け入れてもらうためのサポ―タ―の仮面

長い間かぶっていた仮面の存在に気づいたのです。

「プロモーターって、環境が整っていなかったらプロモーターの良さを使えないよね。いい大人だし、合わせなきゃって。」

という話が出た時に、
深く考えずにさらりと私の口から出た言葉が、

「そうそう、サポーターの仮面被ってるみたいなかんじ。でも尻尾出てるからばれる、みたいな。」

じゃあ、いつからそんな仮面をつけていたのだろう。
仕事上?
患者さんに優しくしないと「いけない」から?

考えてみると、
9歳くらいまではガキ大将みたいに友達引き連れて遊んでいて、
どちらかというとコントローラーさが出ていたけれど、
本物のコントローラーほど強くなかった。
でも、面白いことを考えては遊びにしていた。

変わってしまったのは、親が病気してからかもしれない。
9歳の後半だったか、あの日は。
医者になった今でも本当の理由は分からないような
恐ろしく謎の症状で、母親が救急車に乗ってからか。

以後、「具合が悪い人を気遣わなければいけない」
という環境で過ごしてきたからか。。。


感情の蓋が開いていたから

今回、プロモーターだってことが分かったのには、
実は伏線があった。
ここに至る少しだけ前に、
私自身に感情がうまく戻ってきていることに気づく場面があった。

それは、とある場面で感じた恐怖心だった。
精神疾患のヤングケアラーとして育った私の
トラウマを呼び起こした人がいたのだ。

それも、ほんの数日前の話。

その人はたまたまそのタイミングで私の目の前に現れたけれども、
私のほうがトラウマを呼び起こす準備が整っていなかったら
きっとスルーしていたのだと思う。

感情の蓋をあける準備が、
私の水面下で整っていたから、
たまたま鍵を持ったひとが来た時に開いたのだろう。

だから、もしかしたら
その人にそのタイミングで会っていなかったら
私は自分のプロモーターさに気づけないままイベントを過ごしたかもしれない。


感情の蓋を閉じた記憶

あれは中2の夏休みだった。
部活の仲間に囲まれて、「あなたって、感情ないね」と言われた。

記憶はもうあやふやだが、
誰かが、普通だったら相手が怒るだろうことを私にしたのだけれど、
私が反応しなかったから
「無感情」
と言い捨てたのだろう。

いちいち怒ってなどいられなかった。
怒ったところで、なにも解決しないことを経験で知っていたから。

いちいち怒らないことを学習したのは、
さらに何年も前。
小学校5年にまで遡る。

家ではヤングケアラー、学校ではいじめの対象
無でいるしかなかった。

その時は、ただ中学生になって小学校とは違うメンバーの中に入れば、
新しく友達ができるに違いないとだけ信じていた。

だから、中学に入って、1年生の時には素でいられた記憶がある。
その時の自分を思い出すと
あまりに未熟で恥ずかしいけれども
気質は確かにプロモーターだ。

おちゃらけた、芸人みたいだった。

ただ、それはまじめな進学校では受け入れられなかったよね。

だから、また殻を閉じたわけ。
中2の時の部活の仲間は、よく私を見ていたと思う。


プロモーターでいて許されるってこと?!

こうしてプロモーターを封印しながら生きてきて、
いつのまにか自分はサポーターだと思い込んでいたから
プロモーターでよい、と分かって本当にほっとした。

みんなが大人だからか、周りがコーチだからか
でも、本当に飾る必要なんてなかったんだなと分かった日だった。

息が吸いやすいって、こういういことなんだな。

ふと見れば、服装だってそれぞれのタイプでなんとなく特徴がある。

私は、個性的な服が好き。40にもなって古着屋で買ったりする。
今日はコンサバにしているけど、
プロモーターは赤の名札をつけるって聞いていたから、
合わせて赤のネックレスをしてきた。

このグループは、カラフルだった。
私は、むしろ地味なくらいだ。


本当のサポーターとのセッションで

じゃあ、仮面をとってどうやって生きていこうね。

グループワークの後は、コーチングセッションの時間だった。

素の自分に気づいてみたけれど、
じゃあどうする?

10分間のセッション時間で、そんな話をしていたけれど、
なんと私は
今までサポーターだと思ってやっていたことの語尾を全て

「~~じゃしなきゃ」「~しなくちゃ」

と、must にしていたのだと。

ラッパーもびっくりなほど、韻を踏んで
「~しなきゃ」と叫び続けていたのだと。

「サポーターの人たちは、それをしなきゃじゃなくて、
それをしたいんだよ」

と聞いて本当に驚いたのだ。

「私にとって辛いことを、心からしたいっていう人達がいたのか~~~!!!」


ひとを笑顔にしたい、元気にしたい、いいじゃない

ごめん、心から優しくなくて。
ほんとごめん、実はただのあほで。

でも、笑顔って健康の元だから
体だけでなくて、社会の健康の元だから

そんなあっけらかんと笑っていられないよって
アナライザーに言われるかも知れませんけれど、
でも、、、、

人生後半、そうやって生きさせてほしい

一応、かたい職業ですから
わきまえてはおきますけれども、

豊臣秀吉だっていうから、

笑わぬなら、笑わせてみよう、○○さん








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