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ハーマイオニーのすごさ

 先週、先々週と今週金曜日に放送される「ハリー・ポッターシリーズ」。

 この作品を知らないという人はそういないだろう。おおまかなあらすじとしては魔法学校を舞台とした、仲間と共に成長しつつ悪い魔法使いを倒す物語である(ガチ勢の方々、拙い説明申し訳ない)。

 私はこの作品で一番好きなキャラは主人公ハリー・ポッターの親友の一人である「ハーマイオニー・グレンジャー」という女の子である。

 非魔法族(魔法使いではない人たち)の両親から生まれ、作中一の努力家かつ頭の良さを誇っている。

 私がつい最近気づいた、ハーマイオニーのすごさをまず書きたいと思う。

 ハーマイオニーたちが通うことになる「ホグワーツ魔法魔術学校」は、その年の9月1日の時点で11歳の子に入学資格を与えられる。

 主人公ハリーの場合、11歳の誕生日が7月31日。正式入学する約一ヶ月前に自分が魔法使いであると知らされた訳だ。「準備期間もうちょっとあってもよくない?」と言いたかっただろう。

 対して、9月生まれであるハーマイオニーは正式入学までほとんど1年近くの猶予があった。しかし、彼女もハリーと同じく11歳の誕生日になるまで魔法界や魔法使いの存在を知らなかったのだ。

 この二人の親友であるロン・ウィーズリーは、両親・たくさんの兄妹共に魔法使いである。つまり、生まれた時から魔法に親しんでおり、この二人とは土台が異なる。

 ハーマイオニーはその生まれのギャップをものともせず、1年生から学年首席をとり続けるのだ。たった1年で、魔法に慣れ親しんできた同年代の魔法使いたちを、とんでもない知識量で引き離せるほどの努力家。

 私はこの事実に先週の第2作を見ながら気づいた。彼女は元々、知的好奇心が人一倍強く、また魔法が未知の世界だったからこそ、自分が魔法使いと知ってからはそれこそ朝も夜も関係なく勉強にのめり込んだのが想像できる。しかもホグワーツを卒業してから、魔法大臣にまで登り詰めているのだから彼女の頭の良さは底知れない。

 さらに注目すべき点は、今週金曜日に放送される第3作「アズカバンの囚人」。3年生になった彼女は「逆転時計」という魔法道具を使い、自分が受けられなかった授業を時を戻して受けまくるのだ。初めて見たとき、目が点になった。

 2回目に見たときは羨ましく思った。当時私は中高生だったが、勉強にそこまでのめり込むほどの楽しさを見つけていなかったからだ。「勉強が楽しい」と初めて思えるのは、大学時代に進路や人間関係で悩んでいたとき、哲学に出会ってからである。

 彼女はもちろん「勉強の楽しさ」だけでなく、一刻も早く仲間を助けられるだけの知識量を身に着けたい一心もあっただろう。私も家族を喜ばせたい、友達にすごい!と言ってもらいたい、先生に褒められたい一心で勉強していた時が多かった。でも勉強が心の底から「楽しい」と思ったことはなく、彼女が魔法道具を使ってまで他の生徒たちの何倍も勉強していることに羨ましいと思った。そこまで彼女を突き動かしている知的好奇心が自分にもあったら学生生活はもっと楽しいものになったんじゃないか、と。

 今「勉強の楽しさ」を知った私は、切実に「逆転時計」が欲しい。多分たくさんの大人が思っていると思うが、中高生の勉強をやり直したいのだ。当時は勉強内容にまで興味がいってなかった。ただ、勉強するという行為をひたすら機械的にやっていただけだ。

 だからこそ、11歳の時点で、それどころかホグワーツに入ってずっとモチベーションが変わらず勉強をし続けるハーマイオニーを尊敬する。ただ授業を受けるだけでなく、それをちゃんと授業外で活かしている彼女は当時の私とは違い、きちんと内容が頭に入っている。その上、授業で習わない応用すら自身で考えて使っているのだ。努力できることは才能だが、習ったことを更に応用して使うのはその上を行く才能である。

 また、彼女のすごいところはその読書量と記憶力である。私は中学生の頃にいじめに遭って現実逃避のために読書を始めたが、その年の借りた冊数が学年で上から10番以内に入るぐらいには本にのめり込んだ。

 彼女は授業もとんでもない数を受けているが、第1作を見てわかるように、『呪文だけでなく発音の仕方すら完璧』『呪文が本のどこに書いてあったか覚えている』『分厚くて大きな本を「軽い読み物」と言って読破している』『戦う準備をしていた訳でもない「悪魔の罠」の苦手な物を本で読んでいた上、その呪文すら覚えて正しく使っている』のだ。

 1年でどれだけの本を読んだのか想像もつかない。卒業する頃にはホグワーツの本を全部読破していたんじゃないだろうか。本当に魔法を知らない世界で10年生きていたのかと疑うレベル。

 私の考えでは、ハーマイオニーは「天才」というより「秀才」だ。

 どう違うかというと、「天才」はほとんど努力もしないで一度習っただけで出来るようになる、という定義があくまで私の中である。対して「秀才」は、周りから見れば一見天才だと思うが、誰かが見ている場所でも見ていない場所でも努力し続けた上でその頭の良さが成り立っている。

 これは余談だが、私は小学生の頃は「天才」と呼ばれたいと思っていたが、中高生になると「秀才」と呼ばれたいと思うようになり、大学生以降は「聡明である」と言われたい願望がある。すみません、どうでもよかったです。

 私が思うハーマイオニーのすごさは以上だ。もちろん、人間性も取り上げたいところだが、今回は彼女の勉強に対する熱意を語りたかったのでなしとする。

 それでは最後に見ているあなたに魔法をかけます。

『あなたは「アズカバンの囚人」を見たくな~る』

 うん、完璧だ。じゃあ、私も近いうちに原作買って一気読みしよう。

 ここまで読む時間を割いてくれたあなたに感謝!

 Have a nice day!

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