最終回を前にして

 情緒が不安定だ。唐突に何をと思われるかもしれないが、この一週間の私の心情を可視化すれば、辞書の『情緒不安定』の部分の事例として扱えると思う。それぐらい、情緒が乱れに乱れている。
 自分が誰かに恋をしたわけでも、誰かに別れを告げられたわけでもない。それなのに、思い出すだけで自然と涙が溢れて、悲劇のヒロインばりの絶望顔で目尻を拭う日が来るなんて。

 土曜23時15分から放送されている「おっさんずラブ」が、最終回を迎える。残念ながら、私は諸事情によりリアルタイムでドラマを見ることが出来ない。ついさっきそのことに気付いて、絶望の後、ちょっとだけ泣いた。今日の予定を軽い気持ちで確認した自分を恨む。
 仕方がないので、この一週間の乱れに乱れまくった情緒を、ここらで文章に起こしてまとめてみようと思う。最終回を前に、自分の考えを少し整理しておきたいのだ。

 さて、この一週間。私と同じく、情緒が不安定だった視聴者諸氏は一体どれほどか。SNSを見る限り、多くの人が私と同じ症状を発症しているようだった。これはもう、病と言ってもいいかもしれない。
 ただ、実は私の情緒が乱れたのは、このSNSが原因だったりもする。事前にお断りさせて頂くが、これはあくまでも私の主観だ。故に、誰かを非難するつもりも、否定するつもりも全くない。それだけは、予め知っておいてほしい。

 いくつか記事を書いていく中で、私は、何度となく『春田創一が大好きだ』と伝えてきた。それは今も変わらずだ。知れば知るほど、彼が好きになる。モンペなのだ。
 第6話を終えて、SNS上には春田に対して少し厳しめの意見が散見されるようになった。曰く、何故あんなにも牧が苦しんでいるのに、春田は呑気に部長と同棲しているんだ――――と。
 確かに、第6話の最後のシーンは割と衝撃的だった。リアルに「ぉうふ」と声が出たし、牧の涙を思い出して胸が苦しくなった。だけど、これだけは言いたい。春田も、部長も、牧も。誰も悪くないじゃないか。

 部長は、春田のことが好きだ。彼のインスタグラムを見れば、その想いがどれほど真っ直ぐで、真剣かが分かる。春田を想うだけで涙を流し、「ア・イ・シ・テ・ル」のサインまでおくっちゃうような人なのだ。
 それだけ大好きな人が恋人にフラれてしまったら、近付きたいと思うのは当たり前だと思う。10年間、ずっと好きだった人。その人が好きな人に捨てられてしまったら、そこにどんな想いがあったとしても、支えたいと思うのは当然だ。
 だから、放送後のインスタグラムで、部長に対してのヘイトがコメントに散見されるようになって、正直ショックだった。分かる。分かるよ。牧の決意の切なさも、彼に幸せになって欲しいという想いもよ――っく分かる。だからこそ、悲しかった。部長の想いだって、ずっと本物だった。彼は春田に幻想を抱いているのかもしれないし、一歩間違えれば、ストーカーとして訴えられても仕方がないことをしている。それでも、彼は、春田が職場でカミングアウトした時、手を叩いてくれた。「ブラボー」と言ってくれた。ちっとも笑えていない強張った顔で、それでも、春田を責めず、牧を責めず、祝福しようとしてくれた。
 だからこそ、そんな彼のインスタグラムについたコメントが、只管に悲しかった。

 春田をデリカシーがないという人がいる。牧の想いに気付けない彼を、責める人もいる。部長と同棲している彼を非難する人も、にっこりと満面の笑顔を浮かべていた彼に憤る人もいる。
 何度も言うが、それを否定するつもりはない。見ている人の価値観や経験則によって、感想なんてものは異なると思うし、それを否定出来るわけがない。ただ、否定はしないが嘆きはする。この一週間、私の情緒はこの見解のせいで大嵐だった。
 春田が何も失っていない、なんて思わない。これを言ってしまったら怒られてしまいそうだが敢えて言う。そこにどんな理由があろうと、先に手を離したのは牧なのだ。
 春田のためを、幸せを想って、泣きながら「好きじゃない」と言った牧の姿はあまりにも健気で、思い出すだけで涙が出てくる。春田、そこで牧を抱き締めてあげてと、思わなかったわけじゃない。それでも――――間違えてはいけない。『春田』が『牧』に捨てられたのだ。
 どんな理由があろうと、先に手を離したのは牧だった。必死に追い縋る春田を突きとばして、泣きながら別れを告げたのは、牧だった。

 男女の恋愛でも、親に挨拶に行くというのはなかなかにハードルが高い行為だと思う。当然ながら、“未来”を連想してしまうからだ。同棲・婚約・結婚・エトセトラ。恋人同士が、一歩先に進むための行為――――私は、親への挨拶ってそういうものだと思っている。
 春田はノンケでありながらも、牧に「両親にあって欲しい」と言われて素直に従った。父親に怒鳴りつけられながらも、「冗談です」とはぐらかすことなく、必死に認められようとしていた。
 だからこそ、私は牧が春田を突き放したことが本当にショックだった。前回の記事でも書いたが、牧が春田を信じてくれなかったという失望が確かにあった。春田の行動が牧を不安にしているというのも勿論分かる。そこで気付いてやってくれ春田と、何度思ったか分からない。それでも――――セクシャルマイノリティになるとしても、それでも牧の恋人として必死にもがいていた春田が、その牧本人から「春田さんと一緒にいると辛い」と言われた。その悲しみは、如何ほどか。
 恋というモノは、一人では出来ない。だからこそ、独りよがりで打ち出した結論は、たいてい上手くいかない。
 牧は春田の手を離し、「どうした?」という春田の質問にも具体的なことは何も言わずに、家を出て行ってしまった。
 あのシーンは正直、あれ以来一度も見られずにいる。互いの気持ちが分かる第三者であるが故に、とても、とても悲しかった。

 さて、これまた読む人によっては不快感を与えてしまうかもしれないが、敢えて言おう。部長と同棲、なるほど、イイじゃないか。いや、牧春の幸せを願う身としては心中は複雑だ。でも、別に同棲していること自体を、悪いことだとは思わない。
 だって、春田は牧に捨てられて、現在独り身である。牧と付き合っている時に同棲していたのならば浮気だが、フリーの男が、自分を愛してくれる人と一緒に暮らしているだけ。それだけ、なのだ。
 春田の幸せを願って身を引いた牧の想い。ちずとだったら幸せになってくれると身を引いたのに、まさかの部長。言いたいことは分かる。なんでや!と床を叩きたくなる気持ちも痛いほどに分かる。でも、牧はそのことを、一度だって春田に伝えただろうか。
 自分の不安な気持ちや、怒り、悲しみ、寂しさ。それらを、一度でも口にしたことがあったか。言ったらよかったのだ。格好悪くても、情けなくても、「ちずと一緒にいる春田を見るのが辛い」と、「春田が自分を好きでいてくれるか不安で仕方ない」と、言葉にすればよかったのだ。
 春田は、人の真剣な言葉を笑う人ではない。あんなにも真っ直ぐに、「牧と一緒にいることは、恥ずかしいことじゃない」と言ってくれたじゃないか。あれは、牧が初めて、春田に吐露した不安である「俺は春田さんにとって恥ずかしい存在なんですか?」という言葉への答えだったはずだ。
 だから、牧は、恥も外聞もかなぐり捨てて、伝えなければならなかった。そうしたら、違う未来があったはずだ。でも彼はそれをしなかった。それが春田の幸せだと自己完結して、一方的に春田を置いていってしまった。
 それは牧の優しさで、彼の一途さで、彼の健気さだった。そして、彼の、狡さでもあったと思う。

 言わなくても伝わる。察してくれる。それは、人間関係における甘えだ。人間はエスパーじゃない。他人の思考なんて分からない。時には言葉にしなければならないことがある。そして、あの別れの夜こそが、その時だった。私はそう思う。
 その点、部長はストレートだ。好きだという気持ちを、言葉と態度で一生懸命に伝えてくる。とても分かりやすい。悲しい時は泣きそうに顔を歪めて、震えた声で縋ってくる。実に分かりやすい。
 元々春田は部長を尊敬していたので、人間的に相性が悪いわけでもない。実際、部長は私的『上司になって欲しい人ランキング』のトップに君臨するほど、素敵な人だと思う。
 あの同棲に至るまでの1年間という時間を、想像することしか出来ないのが歯がゆいが、少なからず春田は牧に捨てられたことで傷付いたはずだ。そして、そんな彼を、部長が献身的に支えたのかもしれない。そんな二人を、私は責めることが出来ない。
 牧が可哀想だという気持ちもよく分かる。春田のために身を引いたのに、春田の幸せを願ったのに、まさか同性の部長と同棲をしているなんて。予想外だったに違いない。牧が身を引いた理由が、全てなくなってしまったわけだし。
 だがしかし、何度も繰り返す。好きなら、その手を離すべきじゃなかった。泣いて縋ってでも、握り締め続けるべきだった。

 今夜の最終回、リアルタイムで見られないので、とりあえずSNS漁りは明日の夜まで絶対に行わないことにする。まずは自分の目で、彼らの結末を見届けたい。

 昨今のただれた不倫ニュースに彩られた日常の中で、「おっさんずラブ」というドラマがヒットした理由は、きっと誰しもが感じたことのある、“初恋”がそこにあるからだと私は思う。
 春田の、突然「好きだ」と告げられて、混乱して、ドキドキして、少しずつ相手に惹かれていく姿も。牧の、好きな相手に振り向いてほしい、一緒にいて欲しい、幸せになって欲しいという願いも。部長の、好きな人に愛を告げたい、好きな人を大切にしたい、好きな人に誠実でありたいという想いも。全てが、「初恋」を想起させる。何も知らない純粋な頃、誰もが真摯で、真っ直ぐで、切ない恋をしていた。

 セクシャルマイノリティなんて、関係ない。誰もが、恋をして良いんだ。人を好きになることが、悪いことである筈がない。
 私は、全くの他人同士だった人間が、偶然の中で出会い、互いに惹かれ、愛を芽生えさせるということが、本当に奇跡のように素晴らしいことなのだと、今回改めて、感じることが出来た。
 最終回はまだ終わっていないが、だからこそ今、言いたかった。

「おっさんずラブ」に出会えて良かった、ということを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?