見出し画像

合理的な諦めは救い

気にかかることがあり、そのせいでここ2日ほど半ふて寝状態になっていた。
でも、その気にかかることについて考えるに、まずは自分では解決できないことであることに加えて、プロフェッショナルの力を借りてもおいそれとは解決しないこと(と前に言われていた)なんであった。
だったらそのことについて気に病んでもしょうがない。解決策がないんだもの。そうやって諦めたら気が楽になって、ふて寝から復活できた。

今は、諦めなくても解決できることが昔に比べたら増えたよね。
昭和の時代は容姿は諦めろみたいなことを言われていたけど、今は美容整形はかなり一般的になってきたようなので、ある程度は解決できる。
さらには性別だって変えることができれば、死期を合法的に自分で決めることだってできる。

しかし、なにをしてもどうにも解決しないことがまだまだある。
最初から諦めるのではなく、まずはさまざまな手段で解決策を探ることは必要だと思う。
一方で、解決策なんか探さないでとっとと諦めたほうがいい場合もある。たとえばDV配偶者からはさっさと逃げるとか。あれは病気だから、奥さん旦那さんがどうにかできるものじゃない。
できることとできないことは、どうしても存在する。
自分が抱える課題で、そのような残念な結論が出た場合、その時点で諦めるしかないんじゃないかとわたしは考える。
嘆いて解決するならいくらでも嘆けばいいと思うけど、そんなことはあり得ないので、諦めるしかない。

そういったスタンスでいると、諦めがはやいとかなにも考えてないとか思われることがあるんだけど、プロセスを話していないだけで、ちゃんと検討したり(鼻血が出るほど調べたりしてるわよ)、悩んだり逡巡したりした後に、その結果に至っているわけですよ。
プロセスを言わないのが悪いんだろうけど、想像力がないのかなーと思う。てか、ひとをそんなにバカだと思ってるのかしら。ちょっと腹が立つわね。

諦めるってことばはネガティブに捉えられがちだけど、解決できないことは合理的に諦めないと、前に進めない。
諦めることで前進するのだ。

わたしは、諦めることすべてが善だと思っているわけでもないし、嘆くことも一定期間はあっていいと思う。
まずは行動すること。自分が納得するまで。そして、ダメだったら諦める。
そういう合理的な諦めが、自分をとても楽にしてくれたというだけのお話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?