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すき焼き鍋の話

明日7月21日は、ある聖職者で活動家で市議だった人の命日。平和と人権のために尽力し、長崎の偉人として記念資料館まである人物だ。

市政担当記者だった私は、その人の葬儀の日に、記者を辞めることを決意した。

警察幹部に加え、その聖職者からも性暴力を受け、絶望したからだ。

警察幹部から取材中ハルシオンを混入され性暴力に遭った件は、フラワーデモ東京で11月から2月までスピーチし3/8には #フラワーデモ長崎 で話した。

https://note.com/utss2020/n/n03c367afe5ec

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性暴力が起きた警察担当をどうにか外してもらい市政担当になった後の二次加害も深刻だった。

警察幹部に身体を使って特ダネを得たという噂から夜間の取材途中、私に対しやらせろと性暴力に及ぶ同業他社の記者が数人いた。

そんな中、朝日と西日本の記者だけは、私に対して丁寧な態度をとる人たちで、仲の良い記者や同期の記者らで取材対象である聖職者の自宅で、すき焼き会を開くことになった。

関西出身の私は、すき焼きというものを食べたことがないんですよねという話でもりあがり、聖職者自宅での、いわゆる抱きつき取材の延長であるすき焼き会は、深夜までつづいた。参加したのは、私と同期の朝日新聞女性記者、その先輩男性記者、一つ上の西日本新聞記者だった。

1994年当時、抱きつき取材という概念すらなかった。みな、取材対象に食い込め、情報をとるのが記者の仕事だと考えた。今でもそう考えている記者がほとんどだ。食うか食われるか。

だからこそ、食われる方が悪い、それは、記者能力の問題だと、先日のCLP番組 @ChooselifePj での高田氏の言葉は非常に辛かった。

性暴力の話に戻そう。
すき焼き会終盤の深夜、朝日と西日本の記者らが呼び出しで帰り、私ひとりで皿洗いをしていると、聖職者は突然、五輪真弓の『恋人よ』ドーナツ盤レコードに針を落とし、夭逝した妻から当時の恋人に至るまでの出会いと別れを語り始め、最後に、これが最後の恋だと突然羽交いじめにしてきた。

聖職者は、下着姿だった。前立腺の病気で私を満足させられないかもしれないからと、強烈に恐ろしい道具を股間に押し当てられた。

本当に怖かった。聖職者であり平和と人権の活動家で75歳を超えた元市議で、人格者として、記者たちから尊敬されていたおじいさんだ。何を信じていいのかわからなくなった。

その後、市政記者クラブで聖職者に待ち伏せされることが続き、県警も市政も危険であることに、私は疲弊していった。

助け舟を出してくれた他社の記者が転勤し、いよいよ辛くなったある梅雨明けの暑い日、訃報が入った。

聖職者が自宅で病死による遺体で発見されたのだ。

聖職者が亡くなった後、娘さんから、最後に仲良くしていた記者たちにお礼の言葉があり、私は特別にお願いして、性暴力を受けた日に使ったすき焼き鍋を貰い受けた。

社会的に偉業を残した人であっても性暴力に及ぶという矛盾を絶対に忘れてはいけないんだという思いがあった。聖職者の死を悼む人たちの知らないウラの姿を知ってしまった責任を感じたからだ。

聖職者は、あの夜、警察から性暴力を受けた私を清めるために愛すると語り、性暴力に及んだ。

葬儀では彼の偉業が語られ、聖職者の当時の恋人が号泣していた。私にはすべてが灰色に見えた。

聖職者は素晴らしかったという原稿を葬儀の日のために書き、ニュースを出し、私は記者を辞めることを決心した。



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