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よもやま語らいゼミ開催後記⑨「希望がないからつらいのか?希望があるからつらいのか?」

 よもやま語らいゼミとは東大生を対象に、あるテーマについて自由に話し合いをするイベントです。6月9日開催の今回は「希望がないからつらいのか?希望があるからつらいのか?」をテーマにし、運営側も含めて約十人で話し合いました。今回は特にチャットでの発言も多く、それぞれの経験などに基づいてさまざまな観点からの話が出ました。その様子を簡単にご紹介したいと思います。

 まず、希望があるからつらいのではないかという意見が複数ありました。希望がない場合、何も期待していないということだから、どうなっても傷つくことはないのでは、といった声や、もし全部どうでも良いと思っていたら辛くはないのではないか、といった声がありました。

 裏返してみると、つらいと思う人は物事について真剣に考えている人なのではないかとか、「考えすぎだよ」などと言われても、どの程度考えればいいのかについて考えてしまう、などの声もありました。

 では、なぜ希望があるとつらいのでしょうか。理想の状態と、それが達成されていない現実とのギャップがつらいのではないか、という声が多かったように思います。この点に関しては、ご経験のある方も多いのではないでしょうか。中には、そのような状態になった時、「もともとそんな希望など持ってなかった」と自分の認知を変えることで、つらさを回避しようとすることもあるのでは、という意見もありました。一方で、つらさを無理になくそうとするのではなく、ただその状態を漂うように受け入れる方が良いのでは、という意見もありました。

 その点に関連して、希望をもったままがんばれる状態にあること自体に感謝すると楽になった、という声もありました。同じく、希望を持てること自体が恵まれているかもしれない、という声もありました。ただ、そうは言っても、うまくいっているときはそう思えても、つらいときはなかなかそのようには思えないよね、という声もありました。みなさんはつらいとき、どのように考えているでしょうか。

 逆に、希望がないからつらい、という状態になる理由についても話し合われました。希望を自分の行動の指針や目標と捉えると、それがない状況は生きる道標がないのでつらいと感じることもあるのではないか、という意見がありました。「生きる道標」という表現はなんだかかっこいいですね。

 それらの話と関連するところで、今の社会は「希望を持つ」ことを強要しすぎているのではないか、という話も出ました。子供の頃、「将来の夢は?」と聞かれた方も多いかもしれません。将来の夢や目標がなくても良いのでは、という声もありました。また、自分で立てた目標と、他人に与えられた目標では、ダメだった時どちらがつらいだろう、という話も出ました。他人に与えられたものがダメだった時の方がつらい、という声もある一方、自分で決めたものがダメだった時の方が人のせいにできないのでつらい、という声もありました。

 他にも関連するいろいろなことについて意見が出てきましたが、今回はこの辺りにしておこうと思います。印象的だったのは、それぞれ辛い時の乗り越え方が色々出てきたことです。認知を変えたり、ありのままを受け入れたり、あるいは希望を持てること自体に感謝したり...。誰しもつらい時期はある中で、その時々の自分にあった乗り越え方が見つかると良いなと思います。

 今回、テーマはやや抽象的でしたが、参加者それぞれの経験や考えに基づいてさまざまな観点での意見を聞くことができました。また、今回は参加者全員が名前を好きな果物・野菜の名前に変えて行いました。りんご、なし、ジャガイモ、などなどが喋っているようで、なんだかほんわかした雰囲気の中で話すことができた気がします。

 さて、8月のよゼミは8月下旬に、「『適当に』とは何か?」というテーマで開催します!チャットのみ参加・聞き専でも大丈夫です。ぜひお気軽にご参加ください。

東京大学ピアサポートルーム
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