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OSO18の最期――ヒグマ問題とはなにか(1)/佐藤喜和

この秋、日本各地でクマによる被害が多発しています。すでに市街地へのヒグマの出没が問題化していた北海道だけでなく、東北、北陸さらには東京でもクマによる被害が問題化しています。クマ問題について『アーバン・ベア――となりのヒグマと向き合う』著者の佐藤喜和先生に「UP2023年11月号」にご寄稿いただいたコラムを二部構成で公開いたします。
第一部は北海道の家畜に甚大な被害を与えたOSO18についてです。

OSO18の駆除

OSO(オソ)18が駆除された。北海道釧路総合振興局によれば、2023年7月30日に釧路町仙鳳趾村の放牧地で駆除されていたヒグマが、DNA鑑定の結果、OSO18であったと確認されたという。長年不安ななか過ごされた地元酪農に関わる方々、駆除に向けて尽力されてきた行政や捕獲従事者などの関係者の方々は、まずは安心されたことだろう。

OSO18とは、2019年7月16日に釧路総合振興局管内の標茶町下オソツベツで放牧中の乳牛を襲い、その後2023年までの5年間に標茶町と隣りの厚岸町で最大66頭の乳牛を襲ったと考えられている雄のヒグマにつけられたコードネームであり、最初の被害地名とその場で確認された前足の幅一八センチにちなんでいる。被害頭数の多さ、足跡の大きさ、わなにかからず夜間にしか行動しない賢さと慎重さから、恐ろしく凶暴で巨大かつ狡猾な忍者ヒグマOSO18は全国的にも大きな注目を集め、捕獲に挑む専門技術者たちの様子は週刊誌や特集番組にも取り上げられた。

今年も残雪期から捕獲作戦が展開されていた。これまで考えられてきたほどの大型個体ではないこと、他にも別の大型個体が何頭かいることなどが報告されるなか、2023年6月24日には66頭目の被害が確認された。その後進展がないまま突然8月22日に冒頭の報告が入ったのである。OSO18が駆除された釧路町は標茶町や厚岸町に隣接するが、これまで被害は発生していなかった。牧草地で繰り返し目撃され、人を見ても逃げない状況での駆除であったという。駆除後の写真を見ると大型の雄成獣ではあるものの、食物の少ない夏のヒグマらしく痩せており、これまで考えられてきた凶暴かつ狡猾な忍者グマとは思えない最期であった。また顔には傷があったという。他に大型個体が確認されていた状況などを考えると、OSO18はヒグマ社会のなかで、繁殖期である5~7月に雄同士の争いに敗れ、いつもとは違う場所に現れて駆除された可能性が考えられた。

奥山の森で背擦りする雄のヒグマ(札幌市内、2023年6月12日、筆者撮影)

OSO18騒動の背景

さて、このOSO18が与えた社会への影響とその背景にあるものを通じて、今あらためて北海道で起きているヒグマ問題について考えてみたい。OSO18はそのコードネームの響きのよさもあいまって、問題が長期化するほどにメディアの注目を集め、近年のヒグマ問題の象徴であるかのように報道されてきた。実際、家畜を襲うヒグマは恐ろしいし、やがて人への被害へと発展するのではという不安も含めて社会を動揺させていたように思う。しかし、ヒグマによる家畜被害件数はそれほど多くない。緬羊や馬が年間数百頭(最大は1965年の962頭)の被害を受けていた時代もあったが、1970年代以降は大きく減少し、2012~2021年の10年間で70頭である。このうち2019~2021年の3年間で55頭の被害があり、そのすべてがOSO18に関連している。近年、北海道で家畜を襲うヒグマはOSO18だけだったといってよい。

なぜOSO18はこのような被害をもたらすようになったのだろうか。ヒグマの生息数は全道的に増加傾向にはあるが、被害があった根釧地域は生息密度が低く、増加による食物不足が原因ではないだろう。一方でエゾシカの生息密度は1990年代後半以降高止まりしている。冬を越せず餓死したり、狩猟や駆除で撃たれたり、交通事故や列車事故などで死亡した後回収されなかった死体が、人目につかない場所に多数存在している。この地域に暮らすヒグマは例外なくシカの死体を食べたことがあるはずだ。また酪農のさかんな同地域では、夏には広大な牧野で乳牛が放牧されている。放牧中に怪我や事故などの理由で動けなくなったり、死んでしまったりすることはありうる。その場面にシカの死体を食べ慣れたヒグマが出会えば、その牛を食べ、牛もまた美味しい食べものであることを学習し、やがて生きている牛まで襲うようになったと考えるのが一番納得しやすい原因ではないだろうか。このように牛に出会うヒグマが今後もいるなら、第2、第3の牛を襲うヒグマが出る可能性はあるといえるだろう。こう考えると、シカの増加によってヒグマによる家畜被害のリスクが高まっているのかもしれない。ただし、ヒグマがシカの死体を食べ慣れたからといって、生きているシカを襲って食べる事例は、生まれたての子ジカを襲う場合を除けば、わずかでしかない。

しかし、原因はシカだけではないだろう。人口減少と高齢化は、北海道においても着実に進行しており、とくに農業従事者数の減少と高齢化は、日本の食を支えるうえでも深刻な課題となっている。本州以南と異なり平野部や丘陵地に広大な農地を有する北海道では、この課題に対して大規模機械化により一人あたりの経営農地面積、飼養頭数を増やすことで乗り切ろうとしている。さらに無人運転のトラクターやドローン、AIの活用などスマート農業の推進によりその傾向は加速している。また家畜飼料の輸入コスト急増が酪農経営を圧迫しているため、政府は家畜飼料の自給率向上を目指し、飼料作物の作付増加と、専門事業者による効率的な飼料生産を推進している。

これをヒグマの視点から見てみよう。夏は、ヒグマにとって森のなかにもっとも食物の不足する端境期にあたるが、農地では作物が成長し食べごろを迎える。ヒグマは食べものを求め農地に近づいても、ほぼ人に出くわすことがない。なにも怖い思いをせず、目前に広がるご馳走を好きなだけ食べることができるというわけだ。牧草地が飼料用トウモロコシに転作される場所が増えるほど、空腹のヒグマのご馳走となる。そして広大な牧野のかたすみ、人の目の行き届かないところで、ヒグマはのんびりと草を食む牛に出会う。

こうして見てくると、たんにヒグマの食物事情や狡猾さだけでなく、人口減少時代の農業として進めてきた政策自体が、ヒグマによる農作物や家畜への被害を生じさせやすい状況に変えてきたといえるだろう。被害対策としてヒグマを駆除したところで、次のヒグマが再び現れることは簡単に想像できるし、ほんとうに被害を減らしたいのなら、駆除と同時に農地や放牧地にヒグマを接近させないための対策が不可欠であることが理解できよう。

第二部につづく)

佐藤喜和(さとう・よしかず)
1971年東京に生まれる。1996年北海道大学農学部卒業。2002年東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。北海道大学低温科学研究所日本学術振興会特別研究員(PD)、日本大学生物資源科学部准教授などを経て、現在は酪農学園大学農食環境学群環境共生学類教授。博士(農学)、専門は野生動物生態学。
[主要著書]
『ヒグマ学入門』(分担執筆、2006年、北海道大学出版会)
『改訂・森林資源科学入門』(分担執筆、2007年、日本林業調査会)
『日本のクマ――ヒグマとツキノワグマの生物学』(分担執筆、2011年、東京大学出版会)
『オホーツクの生態系とその保全』(分担執筆、2013年、北海道大学出版会)
“The Wild Mammals of Japan Second Edition”(分担執筆、2015年、Shoukadoh)
『となりの野生ヒグマ――いま何が起きているのか』(分担執筆、2019年、北海道新聞社)
“Bears of the World: Ecology, Conservation and Management”(分担執筆、2020年、Cambridge University Press)
『アーバン・ベア――となりのヒグマと向き合う』(2021年、東京大学出版会)

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