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シリーズ『知の生態学の冒険 J・J・ギブソンの継承』ブックガイド(1)

人と環境の相互作用を描く知的冒険の最前線『知の生態学の冒険 J・J・ギブソンの継承』シリーズ。執筆者たちの専門分野はきわめて多様であり、さまざまな生態学的アプローチが展開されています。今回、刊行済みのそれぞれの巻について、執筆者に関連書を選書していただき、コメントをいただきました。本シリーズの面白さをより楽しむためのブックガイドです。

1巻『ロボット――共生にむけたインタラクション』岡田美智男先生


ジョン H・ロング『進化する魚型ロボットが僕らに教えてくれること』
松浦俊輔/訳、青士社(2013年)

最古の魚って、どのようなものだったのか。ホヤのような脊索動物は、どのようにして脊椎動物になったのか。著者らのアプローチは、とても素朴ながら、妙に説得力があります。実際に魚型のロボットを作り、プールの中に入れ、泳ぎを競わせる。上手に泳げたものを組み合わせ、この魚型ロボットをどんどん進化させていく。これを繰り返せば、いつかは魚の進化のプロセスを辿れるのではないか…。「えっ、ホントなの?」と思われた方は、ぜひー読を!

澤田智洋『マイノリティデザイン――弱さを生かせる社会をつくろう』
ライツ社(2021年)

スポーツ弱者を世界からなくす「ゆるスポーツ」など、コピーライターでもある著者が福祉の世界に飛び込んで生み出した奇想天外なアイディアの数々。「苦手」や「できないこと」「障害」など、様々なマイノリティ性は、克服すべきものではなく、むしろ生かすべきものではないか…。〈弱いロボット〉に負けまいと、私たちも「弱さから楽しい逆襲を始めよう!」というわけです。

ラファエル・A・カルヴォ、ドリアン・ピーターズ『ウェルビーイングの設計論――人がよりよく生きるための情報技術』
渡邊淳司、ドミニク・チェン/監訳、ビー・エヌ・エヌ新社(2017年)
テクノロジーは、本当に人を幸せにするのか...。このシンプルな問いは、私たち技術者の意表を突くものでした。便利なものを作れば、きっと人は喜んでくれる、多くの人たちを幸せにできる! と考えていたのですから。自動運転システムは、本当に人を幸せにするのか。そこでタダの「荷物」として運ばれているだけだとしたら…。時代の転換点にあって、本当の幸せとは? よりよく生きるとは? そんなヒントを与えてくれる一冊です。

岡田美智男『弱いロボット(シリーズケアをひらく)』
医学書院(2012年)
「あっ、そうか。手足もなく、目の前のモノが取れないのなら、誰かに取ってもらえばいいのか」、あらためて考えてみると、こんな捨て鉢ともいえる発想で作られたロボットは世の中にまだないのではないか…。自らではゴミを拾えないけれど、まわりの手助けを上手に引き出しながら、ゴミを拾い集めてしまう「ゴミ箱ロボット」の発想から20年。「弱いロボット」と名付けられて10年。筆者のターニングポイントとなった本です。

 岡田美智男『〈弱いロボット〉の思考――わたし・身体・コミュニケーション』
講談社現代新書(2017年)
お掃除ロボットのふるまいに感じる、「合理的な思考」ではない、なにか。どこか行き当たりばったりだけれど、ちゃっかりまわりを味方につけながら、部屋の中をお掃除してしまう。偶然の出会いを価値に変えてしまう! こうした外側に半ば委ねたようなふるまいは、とてもしなやかなものに思えるのです。ちなみに『〈弱いロボット〉の思考』のタイトルは、レヴィ=ストロースの『野生の思考』にちなんでいます。


2巻『間合い――生態学的現象学の探求』河野哲也先生


山口真美、河野哲也、床呂郁哉/編著『コロナ時代の身体コミュニケーション』
勁草書房(2022年)

コロナ禍によって私たちの身体的コミュニケーションがどう変容したか、マスクに代表されるような「隠す」ことが肥大していく傾向のなかで、私たちの人間関係がいかに遠隔化し、どう回復されていくのかについて、心理学、文化人類学、現象学など多方面から論じたアンソロジー。

世阿弥『風姿花伝・花鏡』
小西甚ー/編訳、タチバナ教養文庫(2012年)
言わずと知れた世阿弥の習道論。小西甚ーの優れた現代訳。一見すると、能楽の稽古の詳細と具体について述べたような箇所に、どこまでも普遍化できる洞察が散りばめられ、何気なく跳躍している部分に、考え抜かれた前提がある。ある意味で隙間の多い世阿弥の文書の行間に、どれほどの稽古と思索の積み重ねがあるのか、想像しながら読んでいただくと楽しめると思う。

甲野善紀、前田英樹『剣の思想 増補新版』
青士社(2013年)
おそらく、日本史上、最も形而上学的な武術論であり、型とは何かについての世界で最も哲学的な考察である。拙著『間合い』ではこの著作に一度も言及していないが、ある意味で拙著は、この著作へのリプライであり、二人の著者へのオマージュである。

諏訪正樹/編著『「間合い」とは何か――二人称的身体論』
春秋社(2020年)
認知科学者が、野球、柔術、サッカー、会話、人間関係など、様々な局面で見いだせる「間合い」という現象を「人間らしさ」の本質にあるものとして捉え、その豊かさを示そうとする先端的な研究。拙著でも二人称の根源性を訴えたが、その先取りと言えるだろう。

 野口三千三『原初生命体としての人間――野口体操の理論』
岩波現代文庫(2003年)
自己を液体(の渦)として捉え、また世界もそれを取り囲むさまざまな渦に満ちた液体として捉える自己像と存在論を、提示するのが拙著の目的であったが、液体としての身体という重大なヒントをいただいたのが、この著作である。無駄な力を抜くことによって力を伝導させ、それを感じ実践することで人間の解放に近づいていくのである。


3巻『自己と他者――身体性のパースペクティブから』田中彰吾先生


嶋田総太郎『脳のなかの自己と他者――身体性・社会性の認知脳科学と哲学』
共立出版(2019年)

脳の役割をどう考えるかという立場の違いはありますが、身体錯覚、身体的自己、他者理解、共感など、扱っているトピックの多くが『自己と他者』にも重なっています。身体性と社会性を重視する認知神経科学を哲学の知見に絡めて論じた興味深い一冊になっています。

ステファン・コイファー アントニー・チェメロ『現象学入門――新しい心の科学と哲学のために』
田中彰吾、宮原克典/訳、勁草書房(2018年)
フッサール現象学を「心の科学」の歴史と関連させて読み解き、その目指すところが「身体性認知科学」にあったとの歴史的展望に立つ新しいタイプの現象学入門書です。ギブソンにも一章を割いて論じてあり、本書『自己と他者』だけでなく本シリーズ全体とも呼応する論点を多く含む一冊です。

田中彰吾『生きられた〈私〉をもとめて――身体・意識・他者』
北大路書房(2017年)

本書『自己と他者』と同著者の作品です。認知神経科学の個別のトピックを掘り下げながら、現象学的な論点を浮かび上がらせていく考察のスタイルは本書とも共通ですが、明晰夢、独我論、共感覚など本書で扱っていないトピックもあるので、興味に応じて手に取っていただけると幸いです。

山口真美『こころと身体の心理学』
岩波ジュニア新書(2020年)
身体性に関心はあるけどどこから学べばいいか分からないという人にお薦めする一冊です。金縛りと体外離脱、ボディイメージ、痛み、VRと身体拡張など、興味深く読めるトピックから入って、身体をめぐる大事な論点に気づかせてくれます。ジュニア新書だからといってあなどってはいけません。

佐々木正人/編 『知の生態学的転回1身体――環境とのエンカウンター』
東京大学出版会(2013年)

ギブソンの生態学的心理学をさまざまな切り口から読み解いた11編の論考が収められています。全編に共通しているのは、身体が環境と出会う場面でどのような知覚と行為が生じているのか、という問題意識です。ギブソンが今も生きていたらこんな研究を手がけたかも…と考えながら読むと面白いです。


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