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シリーズ『知の生態学の冒険 J・J・ギブソンの継承』ブックガイド(2)

人と環境の相互作用を描く知的冒険の最前線『知の生態学の冒険 J・J・ギブソンの継承』シリーズ。執筆者たちの専門分野はきわめて多様であり、さまざまな生態学的アプローチが展開されています。今回、刊行済みのそれぞれの巻について、執筆者に関連書を選書していただき、コメントをいただきました。本シリーズの面白さをより楽しむためのブックガイドです。

4巻『サイボーグ――人工物を理解するための鍵』柴田 崇先生


J · D・バナール『宇宙・肉体・悪魔――理性的精神の敵について 新版』
鎮目恭夫/訳、みすず書房(2020年)

人工物との融合による身体改造と人間進化を、人類の宇宙進出とからめて描き出した壮大なる奇書。アーサー・C・クラークをはじめ、アメリカのSF作家たちに甚大な影聾を与えた点で、 20世紀サイボーグ論の「原型」と呼ぶに相応しい。同時代のロシア宇宙論と英米で発達したサイボーグ論との関連など、様々な深読みを許す重層性も同書の魅力と言える。

アンディ・クラーク『生まれながらのサイボーグ――心・テクノロジー・知能の未来』
呉羽 真、久木田水生、西尾香苗/訳、春秋社(2015年)
「拡張する心」を提唱した現代の哲学者によるサイボーグ論。本書では一章分の紙面を割き、解説と批判を加えた。筆者が提唱する新しいサイボーグ論の試金石となるべき一冊である。公平な眼で読み比べ、いずれのサイボーグ論が妥当か、ご判断いただきたい。

稲見昌彦ほか『自在化身体論――超感覚・超身体・変身・分身・合体が織りなす人類の未来』
エヌ・ティー・エス(2021年)
「身体拡張工学」の現在が分かる一冊。機器の装着時にもたらされる「拡張」の効果に注目してきた身体拡張工学が、ここ数年、装着時に特定の技能を習得させ、外した後にもその効果が持続することを狙う装置の開発に着手したことは興味深い。ともあれ、様々な可能性を模索した軌跡を追体験すると、関係者の熱意と創意工夫に感服せざるを得ない。

スチュアート・ラッセル『AI新生――人間互換の知能をつくる』
松井信彦/訳、みすず書房(2021年)
AIの教科書の執筆者が一般向けに書いたAI論。「ゴリラ化問題」(人類が自分たちよりも知能の高い機械に対して優位と自律を保てるか)と「ミダス王の問題」(人間の目的を機械に正しく指示することは可能か)を提起することで、AIのリスクを整理し、それらの関係を明らかにしている。「悪用」と「濫用」のリスクを加え、網羅的で行き届いたAI論を展開している。

吉藤オリィ『サイボーグ時代――リアルとネットが融合する融界でやりたいことを実現する人生の戦略』
きずな出版(2019年)
分身ロボット「オリヒメ」の開発者によるサイボーグ論。「拡張」の語彙を使いながらも、機能の闇雲な増強ではなく「孤独」の解消を、垂直の競争ではなく水平の連帯を、超知能との結婚ではなくサイボーグ化した人間同士のコミュニケーションを志向する。ALS患者が分身ロボットの「オリヒメ」との「融合」で「孤独」を脱する様子を目にすれば、同書の価値と著者の発想の豊かさが自ずと感得できる。


 5巻『動物――ひと・環境との倫理的共生』谷津裕子先生


ローマン・クルツナリック『共感する人――ホモ・エンパシクスヘ、あなたを変える六つのステップ』
田中一明、荻野高拡/訳、ぷねうま舎(2019年)
英国で活躍中の文化思想家クルツナリックによる「共感の哲学」の書。人間の心の内部世界を探求するイントラスペクションの時代から、他者の世界観と眼差しで世界をとらえ直してみるアウトロスペクションの時代へと移り変わりつつある思想の流れを一望し、共感の未来を描き出す。

佐藤衆介『アニマルウェルフェア――動物の幸せについての科学と倫理』
東京大学出版会(2005年)
アニマルウェルフェア(動物福祉)とはどのような概念かを包括的に理解したい人にお薦めの一冊。科学的、法的、倫理的、文化的、歴史的な文脈からアニマルウェルフェアの概念を紐解き、世界と日本における「動物への配慮」の現状と課題を解説する。

ゲイリー L・フランシオン『動物の権利人門――わが子を救うか、犬を救うか』
井上太ー/訳、緑風出版(2018年)
米国の法学・哲学者フランシオンの代表作。「平等な配慮の原則」に従う限り、人間以外の動物たちを財産として扱うことは容認できず、人間は動物たちに一つの権利――財産として扱われない権利――を求める道徳的義務を負うと主張。動物の権利運動に決定的影響を与えた書。

マルタ・ザラスカ『人類はなぜ肉食をやめられないのか――250万年の愛と妄想のはてに』
小野木明恵/訳、インターシフト(2017年)
同書が追求するのは、「なぜ人類は肉を食べ続けるのか」という問いである。私たちの遺伝子や文化、歴史、食肉産業のもつ力、政府の政策など、肉のもつ魅力の背景にある理由と、肉食が人類や環境に与える影響を淡々と明らかにしていく。同書を読み終えるとき、読者は自身の食生活に秘められた進化の物語を自覚し、明日の食卓に何を乗せるべきかを決断をする準備が整うだろう。

マーク・ホーソーン『ビーガンという生き方』
井上太ー/訳 、緑風出版(2019年)
ビーガン(vegan)とは完全菜食主義や健康志向の生活ではなく、その本質は動物搾取、人種差別、性差別、階級差別に反対する「脱搾取」にあると主張。脱搾取の中心理念は、多くの生活の問題に対する改善策となる点にあることを「交差性」の概念を用いて解説し、動物問題と社会間題の解決に必要な「すべての者へ向かう思いやりの生活」の方法を具体的に描き出す。


6巻『メディアとしての身体――世界/他者と交流するためのインタフェース』長滝祥司先生


鈴木宏昭/編『認知科学講座3 心と社会』
東京大学出版会(2022年)
同講座は、日本の認知科学の現在の到達点を理解するのに最適の指標であると言っていい。とくに第3巻は、脳のなかや知覚者と知覚世界との二項関係から、新たなステージに向かう研究が収められている。それは、身体を備えた認知主体の社会的側面をとらえようとする認知科学の最新の成果である。認知科学におけるこうした広がりには、ギブソンも少なからぬ影響を与えている。認知科学の最新の研究から、『メディアとしての身体』やギブソン心理学を評価してみるのも典味深いことだろう。

柏端達也『現代形而上学入門』
勁草書房(2017年)
形而上学は古くて新しい学問である。『現代形而上学入門』は、アリストテレスの時代に第一哲学とされたこの学を現代に蘇らせるスリリングな議論を展開している。ギブソンのアフォーダンス概念を、分析形而上学の観点からとらえる切り口は、本書『メディアとしての身体』の議論(とくに第1章)とも関連する。

ヒューバート・ドレイファス、チャールズ・テイラー『実在論を立て直す』村田純一/監訳、法政大学出版局(2016年)
認知科学や心の哲学、現象学に多大な影響を与えてきた、米国を代表する二人の哲学者による実在論擁護の試み。身体概念や表象批判を軸に、実在論を現代的文脈で蘇らせる論考は、本書『メディアとしての身体』とあわせて読むことをお薦めしたい。

モーリス・メルロ=ポンティ『メルロ=ポンティ『眼と精神』を読む』
富松保文/訳・注、武蔵野美術大学出版局(2015年)

『メディアとしての身体』によれば、このモティーフは、マクルーハンやフッサール、ギブソン、とくにメルロ=ポンティから得られたものである。メルロ=ポンティの『眼と精神』は、芸術論であると同時に、身体=メディア論でもある。『メルロ=ポンティ『眼と精神』を読む』は、その新訳と解説である。『メディアとしての身体』の随所にも、その影響を読み解くことができる。

ジュリアン・バッジーニ、ピーター・フォスル『哲学の道具箱』『倫理学の道具箱』
長滝祥司、廣瀬 覚/訳、共立出版(2007年/2012年)
哲学やその周辺に広がる広範な学問領域を理解するために役立つ概念のエッセンスを集めたお役立ち事典である。こうした知的道具を使いながら、『メディアとしての身体』のように哲学的概念や議論を用いて展開されている論考を検証してみるのも、面白い読み方のひとつであろう。

 

7巻『想起――過去に接近する方法』森 直久先生

 

港 千尋『記憶――「創造」と「想起」の力』
講談社選書メチエ(1996年)
心理学研究はなおも記憶を基本的に人の頭の内部に、貯蔵されるものとして扱っている。しかし本来記憶はきわめて豊かな活動である。環境に広がり、図像、写真、建造物など様々な人工物と交差しながら、そのときどきの文脈によって姿を変えていく。このような記憶の実像がこの書には示されている。環境と身体の二重化、身体の持続、環境の探索という生態心理学の概念によって、いずれ踏み込んでみたい領域を先導してくれる書である。

ラリー R・スクワイア、エリック・R・カンデル『記憶のしくみ(下)脳の記憶貯蔵のメカニズム』
小西史朗、桐野 豊/監修、講談社ブルーバックス(2013年)

生態心理学では、想起は身体と環境との接面で生じると考える。神経系は身体に包含されているため、直接環境とは接していない。したがって、神経系の働きは想起のあり方とは直接関係しない。いずれこのような論理で神経心理学的知見が再解釈されることを期待している。そのためにも、神経心理学的記憶研究の到達点を、同書を通じて知っておくことは意味のあることである。

三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』
講談社現代新書(1968年)
唯物論的弁証法に立脚する三浦の論考は、物質ならざるものをつい仮構してしまう心理学へのいましめになる。彼からすれば、個人内に貯蔵され、想起を生み出すとする記憶概念は、燃焼現象を説明しようとしたいにしえの熱素(フロギストン)のようなものである。他方、心理現象を生理現象に還元する姿勢も、彼は俗流唯物論と批判する。同書は記憶を含む心理現象への適切な問いかけを教えてくれる書だと思っている。

アーリック・ナイサー/編『観察された記憶――自然文脈での想起(上)』富田達彦/訳、誠信書房(1988年)
拙著で紙幅を割いて考察した、ナイサーによるディーン証言研究が収録されている。港千尋の著作で強調されるような、想起の持つ創造の力をディーンは駆使していた。そのなかにナイサーは、ディーンの証言のいわばアトラクターとして、ディーンが体験した特定の出来事の存在をあぶり出そうとする。記憶概念を生態心理学的に再考しようとする試みの原点である。

 大橋靖史、森 直久、高木光太郎、松島恵介『心理学者、裁判と出会う――供述心理学のフィールド』
北大路書房(2002年)
拙著で述べたように、目撃証言と自白の信用性鑑定は想起への生態心理学的アプローチの発端となった。実世界でなされる、生きている想起をどのようにとらえるべきかが問われているからだ。同書はその論考と実践の軌跡を追っている点で拙著と軌を一にしている。拙著で詳しく扱えなかった刑事事件の詳細や、法が支配する環境で体験の有無をどう説得的に示し得るのかなどを扱った、現場研究としても興味深い。


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