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『ありのままのイメージ――スナップ美学と日本写真史』ブックガイド(1)/甲斐義明

甲斐義明『ありのままのイメージ――スナップ美学と日本写真史』の日本写真協会学芸賞受賞の記念も兼ね、甲斐先生に本書に関連する「ブックガイド」を作成していただきました。本書の背景や展開を知るための写真論、イメージ論、視覚文化論等に関する書籍が充実した解説とともに紹介されています。ぜひご一読ください。

[1]スナップ

1-1:倉石信乃『スナップショット――写真の輝き』大修館書店、2010年

長く日本ではスナップ写真が、シリアスな写真表現のメインストリームを形作ってきたし、依然として、ある程度はそうだと言えるかもしれない。〔中略〕写真は自己表現によるものではなく、被写体となる存在との出会いによってオートマティックに出来上がる、一種の魔術的な生成物とみなされなければならない。私自身も拘束されている、こうした写真をめぐるプラトニズムというべき態度は、趣味と価値についてのある超越的な判断を積み重ねることで、独自の美意識、または反=美意識を育ててきた。(59-60頁) 

私を含め、日本の写真史に関心を持っていたり、写真を撮るのを趣味としていたりする人たちにとって「スナップ」という言葉は特別な重みを持っている。一般には「スナップ」や「スナップ写真」は「特別な技術を持たない写真の素人が、気軽に撮影した写真」として理解されているが、カメラ雑誌の記事や写真評論においては、「被写体にカメラを意識させずに素早く撮影した写真」の意味でしばしば用いられてきた。そのような写真を撮影するには技術を必要としたため、「スナップの名手」や「スナップの名作」といった言葉を目にするようになった。さらにはスナップこそが写真表現の王道であり、写真を撮るのであれば、何よりもまずスナップから始めなければならない、という考え方も出現した。

写真家の北島敬三について論じた文章で、詩人・批評家の倉石信乃は、こうしたスナップの特権視を相対化するような視点を提供している。スナップの重視と結びついている「写真をめぐるプラトニズムというべき態度」が「独自の美意識」を生み出し、自身を「拘束」していると倉石は述べる。彼が促しているのは、「スナップは素晴らしい」という単純な賛美から、「なぜ私たちはスナップを素晴らしいと感じてきたのか?」という疑問への思考の転換である。

何かを主張するとき、自分自身がどのような立場から語っているのか、そしてそのことが自分の語りにどのような制約を課すのか、ということを反省的に捉えたうえで自らの主張を行うというのは、あらゆる批評行為の基本のはずである。スナップの「制度」としての側面に注意を向けさせたという点で、倉石の著作は拙著の出発点のひとつとなった。


1-2:ジェフリー・バッチェン「スナップ写真――美術史と民族誌的転回」(2008年)甲斐義明訳、甲斐編『写真の理論』月曜社、2017年

スナップ写真とは、それ無しでは生きてゆけない退屈な写真なのだ(特筆すべきことに、スナップ写真は、それについて笑うことも泣くこともできるような種類の写真である)。
その名に値するいかなるスナップ写真研究も、写真の受容の理論を通して、この矛盾の力学(私にとっての退屈な写真が、あなたにとっての感動的な写真)に確かに取り組まなければならない。(167頁)

〔スナップ写真は一般に〕いずれも個人的な記念品を作るという明確な目的のために、安価な手持ちカメラでアマチュア写真家によって撮影された友人や家族の写真である。画像としては、ユーモアや即興的な親密さが、プロの写真スタジオの伝統から借用された堅苦しさと結合されている。その被写体(ほとんど常に人間である)は普通は画面の中央におかれ、カメラをまっすぐに見つめ、後世のために自分がポーズをとっているのを自覚している。(167-168頁。〔 〕は甲斐による補足。以下同じ。)

拙著のもうひとつの出発点は、オーストラリア出身で、現在はイギリスのオックスフォード大学で教鞭をとる写真史家ジェフリー・バッチェンのヴァナキュラー写真をめぐる論考である。バッチェンの仕事については、2000年代前半に青山勝、小林美香、佐藤守弘、前川修らの「写真研究会」がそのウェブサイトでいち早く紹介しており、私もそれを通してバッチェンの名を知り、その後、彼の下で学ぶことになった。本の「あとがき」にも書いたとおり、拙著は2012年に(彼の以前の勤め先である)ニューヨーク市立大学に提出した英文の博士論文が元になっている。

「ヴァナキュラー」とは「その土地固有の」という意味の形容詞で、例えば、「ヴァナキュラー建築」と言えば、ある地域や文化に独特な様式を備えた建物のことを指す。「ヴァナキュラー写真(vernacular photographies)」という用語でバッチェンが示そうとしたのは、それまでのメジャーな写真史概説書が読者にそう信じ込ませようとしたのは反対に、写真の使われ方は地域ごとに大きく異なっており、西洋の芸術写真のみによって、写真の歴史を語ろうとするのはあまりにも視野が狭い、ということである。

上に引用した論文でバッチェンは「スナップ写真(snapshots)」を「ヴァナキュラー写真」の代表例として扱っている。なぜなら芸術作品ではないスナップ写真は、世界中のあらゆる人々によって日常的に撮影され、しかも、その使用法は地域や文化によってそれぞれ異なるからである。お気づきのように、そのようなものとしての「スナップ写真」は、日本の写真界の「スナップ」とは一致しない。というのも、木村伊兵衛や森山大道のスナップは(少なくともその一部は)まぎれもない「作品」だからである。

バッチェンが2000年に同名の論文を発表して以降、「ヴァナキュラー写真」のコンセプトは、世界の写真史研究に大きな影響を与えてきた。その結果、以前の写真史記述の多くがそうであったように、ヨーロッパと北米の有名写真家の作品を中心に写真というメディアの歴史を示すことは、いかにも不適切に感じられるようになった。不適切というのは、(西洋中心主義的という意味で)政治的に不適切というだけでなく、それではグローバルかつローカルな実践としての写真の本質を捉えることできない、という意味でもそうであった。

「ヴァナキュラー写真」以降の写真史研究という視点から見たとき、日本写真史はどのように再構築できるだろうか? まず言えるのは、国際的には日本の写真史全体が、つまり、それを構成する土門拳や東松照明らの作品も含めて、ヴァナキュラーなものだということである。このことは「井の中の蛙」状態にあると(私自身も含め)つい忘れがちな視点である。逆に言えば、アメリカの大学に提出される博士論文においては、日本写真「芸術」史を書けば、それだけで世界のヴァナキュラー写真研究に多少なりとも貢献できるということを意味した。だがそれではいかにも物足りないし、批判意識を欠いている。そこで博士論文およびその発展形である拙著では、既存のヴァナキュラー写真の言説自体の限界や欠点を見つけ出し、それを乗り越える方法を模索することにした。そのうえで自分にとって手がかりとなったのが、次に挙げるロラン・バルトの著作である。

なお、ヴァナキュラー写真に対するバッチェンの考え方は、彼がIZU PHOTO MUSEUMで2010年にゲスト・キュレーターとして企画した「時の宙づり――生と死のあわいで」展のカタログ(『時の宙づり――生-写真-死』のタイトルで書籍として発行され、現在も新刊を入手可能)からも知ることができる。当時、IZU PHOTO MUSEUMの研究員で、「時の宙づり」展にアシスタント・キュレーターとして関わった小原真史は、私とはまた異なった仕方で、バッチェンのヴァナキュラー写真史を批判的に発展させる試みに取り組んでおり、その最近の成果が、2022年の第14回恵比寿映像祭の一部として彼が企画した「スペクタクルの博覧会」であることを付け加えておきたい。

 

1-3:ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳、みすず書房、1985年

私は写真が三つの実践(三つの感動、三つの志向)の対象になりうることに注目した。すなわち、撮ること、撮られること、眺めることである。ここで「撮影者」というのは、職業的な「写真家」のことである。〔中略〕この三つの実践のうち、一つ〔=「撮ること」〕は私にとって閉ざされているので、それを検討しようとつとめるべくもなかった。私は職業的な写真家ではないし、またアマチュアでさえもない。そうなるためには、あまりにもせっかちすぎるのである。撮った写真をすぐに見ないと承知できないのだ〔…〕。(16-17頁)

 ヴァルター・ベンヤミン「技術的複製可能性の時代の芸術作品」、スーザン・ソンタグ『写真論』と並んで、ロラン・バルトの『明るい部屋』は写真論の古典として知られている。とりわけそれは、写真作品を論じる美術批評において頻繁に引用されてきた。フランスの哲学者、ジャック・ランシエールは『明るい部屋』について「この著作は、写真が芸術でないことを明らかにしようとしているにもかかわらず、皮肉にも、写真芸術を思考したい人々の愛読書になっています」と指摘している(ジャック・ランシエール『イメージの運命』堀潤之訳、平凡社、2010年、19頁)。

『明るい部屋』について英語で書かれた論考をまとめたアンソロジー(Photography Degree Zero: Reflections on Roland Barthes's Camera Lucida[The MIT Press, 2009])の編者でもあるバッチェンは、芸術写真史に取って代わるべきヴァナキュラー写真史を書くにあたって、同書は依然として「模範的なテクスト」だと述べる。その理由のひとつは、バルトが「美術史的な偏見」にまどわされずに、「写真の経験」について的確に語っていることにあるという(「スナップ写真」173-175頁)。しかしながら、上の引用からもわかるように、バルト自身の写真の経験はかなり偏っており、本人もそれに自覚的である。バルトが『明るい部屋』を書いた1970年代末ならばともかく、現代においては、「眺める」に加えて「撮る」ものとしての写真を考慮に入れることなく、「写真の経験」について十全に語ることができるようには思われない(このことについてより詳しくは、以下の拙稿を参照されたい。甲斐義明「撮影行為と感情──写真家の言葉を手がかりに」勝又公仁彦編『写真2 現代写真──行為・イメージ・態度──(はじめて学ぶ芸術の教科書)』京都芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎、2021年、21-36頁)。『明るい部屋』が写真論としていかに優れているかではなく、その反対に、どのような制約を抱えているかを考えるほうが、今後のアマチュア写真研究に対して生産的な結果をもたらすように思われた。


1-4:土門拳『写真作法』ダヴィッド社、1976年

〔…〕小説ではフィクションということが前提条件となっており、絵画では画家の主観的な再構成または幻想がモチーフであり、演劇や映画は俳優の演ずる物真似が基本である。ただ絶対非演出の絶対スナップを基本的方法とするリアリズム写真だけが社会的現実そのものに直結する可能性としてここにある。(「リアリズム写真とサロン・ピクチュア」[1953年]、39頁)

日本において、写真についての優れた書き手の多くは写真家であった。『土門拳――生涯とその時代』(阿部博行著、法政大学出版会、1997年)をはじめとする土門の評伝を読むと、彼が強烈なエゴの持ち主であり、(牛尾喜道・藤森武『我が師、おやじ・土門拳』[朝日新聞出版、2016年]で語られている)撮影時に弟子を拳やステッキでたびたび殴ったなどというエピソードはこの人物を白眼視するのに十分なものであるが、その一方で、『風貌』(アルス、1953年)の解説文がそうであるように、自身が敬愛する芸術家や政治家を、よく練られた文章で謙虚に称える言葉は、必ずしも恵まれた家庭環境に生まれ育ったと言えないこの写真家にとって、「文化」とは自身の勉強と努力によって勝ち取られるべきものであったことを示している。その気概は、カメラ雑誌に寄稿した彼の一文一文にみなぎっている。そのヴォキャブラリーの多くが当時のマルクス主義芸術論と重なり合っている土門の写真批評は時代の制約を受けていると同時に、スナップという技法/ジャンルについて考えるうえで普遍的な重要性を持っている。スナップに限らず、日本写真史に関心を持った人が最初に読むべき本のひとつと言える。


1-5:森山大道『写真との対話、そして写真から/写真へ』青弓社、2006年

僕にとって、写真とは一枚の美しい芸術作品(ルビ:アート)を作るためのものではなくて、撮っても撮っても撮りきれず追いきれない膨大な世界の断片と、抜き差しならない自己の生の時間との交差する一点に真のリアリティーを見つけるための、唯一の手段としてあるのだと言える。(「主観的スナップ」[1970年]、26、28頁。なお引用部は1970年の初出時の文章に対して若干の語句の変更が加えられている。)

森山大道の文章や発言をまとめた本は多く出版されているが、1995年に別々に出版された『写真との対話』と『写真から/写真へ』を合本した同書は、分量という点でも、「主観的スナップ」や「記録から記憶へ」など森山の主要エッセイを収録しているという点でも、手に取る優先順位の高いものである。その創作活動において執筆と撮影が同様の重みを持っていた土門や中平卓馬と異なり、(1982年から翌年にかけて『アサヒカメラ』に連載された「犬の記憶」などいくつかの例外はあるものの)森山にとって主要な表現手段はあくまで写真であり、言葉はその補助線にすぎない(「犬の記憶」における言葉の役割については以下で論じた。Yoshiaki Kai, “Daido Moriyama,” in Mark Durden, ed., Fifty Key Writers on Photography (London and New York: Routledge, 2013), pp.171-175。)しかし、スナップの言説史という観点からみたとき、森山の言葉は無視できない重要性を持っている。それは何より、彼が「スナップ」という言葉を頻繁に発してきたことに基づく。拙著の第7章で論じたように、森山は土門からこの用語を引き継ぐとともに、その中身を大きく変化させたのだった。


[2]ありのまま

2-1a:中平卓馬『なぜ、植物図鑑か――中平卓馬映像論集』ちくま学芸文庫、2007年(初版1973年)

この、私によってア・プリオリに捕獲された〈イメージ〉は具体的には私による世界の潤色、情緒化となってあらわれるものではないのだろうか。つまり世界を、私がもつ漫然たる像の反映、〈私の欲望、私の確信の影〉と化し、世界そのものをあるがままあらしめることを拒否する私の一方的な思いあがりであったのではなかろうかということなのである。(12-13頁)


2-1b:李禹煥『出会いを求めて――現代美術の始源[新版]』みすず書房、2016年(初版1971年)

表象作業を行なう作家にとって世界は素材となるが、出会者にとってはすべてが世界のありようを顕わにする様相自体である。出会者の仕草において、大地は大地を越えており鉄板もスポンジも、ともにもっとも鉄板、スポンジであることによって自らを凌駕し、すなわち構造は、あるがままの自然な世界を鮮かに発現している場所のありようの顕わな様相自体なのである。様式が時代性を反映し、素材がそのまま構造自体と化する場所、それだからこそ構造は、ゾクッとした出会いを可能にし、直接的な触れ合いの世界を開示するものとなり得るのである。(76-77頁。ここに引用したのは、1971年初版の文章である。現在新品で入手できる2016年刊行の新版では、該当箇所が大幅に書き直されていることに注意。)

学術書のタイトルとして「ありのままのイメージ」が人によっては違和感を覚えさせるものであることは自覚している(文字としては気に入っているが、口に出して言うには自分でも若干の気恥ずかしさがある)。「ありのままのイメージ」で検索してみると、画面に現れるのは大抵、「アナと雪の女王」関連である。本のタイトルを決めかねているなか、担当編集者の木村素明さんが提示した案のひとつは「「あるがまま」イメージの変遷」であった。「あるがまま」と「ありのまま」は、多くの国語辞書では同義語として扱われているようである。だが「あるがまま」が「存在」をより強く指し示すのに対して、「ありのまま」は「状態」を強調する語感があると思う。

拙著の「あとがき」で述べたとおり、「ありのままのイメージ」には二重の意味が込められている。それはあるときは、被写体の「ありのまま」の姿を写し取ったイメージであり、あるときは、それ自体が「ありのまま」の、すなわち、人の手によって作り込まれていない状態のイメージである。この二重性を含意するには「あるがまま」ではなく、「ありのまま」を選択する必要があった。誰かの「あるがままの姿」と「ありのままの姿」では僅かながらも無視できない違いがあり、前者は後者以上に自己認識のニュアンスが強い。そのため「ありのまま」が自分にも他人にも適用できるのに対して、「〇〇さんのあるがままの姿」という言い回しは(少なくとも私には)しっくりこない。「ありのままの表情」はあっても、「あるがままの表情」は変である。人がどう「ある」かは、本質的に本人の意思に属する事柄だからかもしれない。

「ありのまま」からは自己啓発系エッセイの匂いがするが、「あるがまま」には哲学的な響きがある。実際、美術批評において使われる機会は「ありのまま」よりも「あるがまま」の方がはるかに多い。林道郎が論じているように(林道郎「「アルガママ」の交差:石子順造・李禹煥・中原佑介・中平卓馬……」『ART TRACE PRESS』第2号、2012年、46-60頁)、1970年前後の日本の美術批評において、「あるがまま」は有力なキーワードのひとつであり、李禹煥と中平卓馬の当時の文章には、ともにこの言葉の使用が見られる(二人には交流があり、中平は李の『出会いを求めて』の装丁も担当している)。しかし、林によれば、李が「あるがまま」によって意味していたのは、ハイデガーやメルロ=ポンティの現象学に通じる「「全体性」の開けの経験」であったのに対して、中平にとって「あるがまま」は「情緒を排して世界や事物との直接的な接触を実現する」ための「標語」のようなものであった(58頁)。つまり、一言で「あるがまま/ありのまま」と言っても、それが具体的にどのような状態を指すのかは、言葉の使い手によって微妙に異なっていた(「あるがまま/ありのまま」の状態へとたどりつくことを目的とした制作行為についての、李と中平の考え方の共通点と差異については第9章で論じた)。


2-2:ドナルド・ホフマン『世界はありのままに見ることができない』高橋洋訳、2020年(原書2019年)

私たちは、早すぎるもの、遅すぎるもの、大きすぎるもの、小さすぎるもの、さらには単に電磁波の可視周波数帯域の埒外にあるものには気づけない場合が多いことが、物理学によって明らかにされている。ITP〔知覚のインターフェース理論〕は、次のようなそれより深遠な主張をする。高度に発達したテクノロジーの支援を得て、これらすべての新たな事象を私たちが観察できるようになったとしても、実在をありのまま見ることができるようにはならない。私たちは、インターフェースについて、そして空間と時間の制約のもとで何が起こるのかについてより多くを知るようになるだけである。(152頁)

言葉の使い手ごとの差異を認めたうえで、それでもなお見出される「ありのまま」概念の共通の根のようなものはあるだろうか。「ありのまま」を『広辞苑』(第7版)で引くと、「事実のまま。実際のありさまの通り。ありてい」と説明されている。拙著では「ありのまま」を「人の手によって作り込まれていない状態」と言い換えるにとどめ、「ありのまま」概念についてのそれ以上の哲学的・美学的探求は行わなかった。それを行うと、スナップという技術/ジャンルの歴史を記述するという拙著の課題から大きく逸脱し、収拾がつかなくなるように思われたからである。その意味では、筆者としては、本書を書き上げると同時に、取り組むべき新たな問いが浮上したという感じがしている。言うまでもなく、この問いは「存在とは何か?」という(あまりにも大きな)疑問へとつながっている。この疑問は「そもそも、人間は物のありのままの姿を認識することができるのか?」や「ありのままに把握できるのは、自分の意識だけではないだろうか?」といった、存在をめぐる無数の問いへと細分化され、古今東西の科学者や哲学者たちを悩ませてきた。

上で引用したのはその最近の例である。認知心理学者のドナルド・ホフマンは、人間は対象のありのままの姿を認識できないように進化してきた、と主張している。というのも、彼の「FBT(Fitness-Beats-Truth)理論」によれば、ありのままの姿を捉えるということは、自らの生存に必要のない情報まで得てしまうということでもあり、それは適応進化という観点から見たとき、種に不利な条件を課すことになるからである。世界に何かは存在するかもしれないが、その存在を人間は決して知ることができず、人間が知覚できるのは世界の「インターフェース」のみということになる。ホフマンがイマヌエル・カントを参照していることからもわかるように、そのような考え方は突飛なものではなく、むしろ西洋哲学史に長い伝統を持つものでもある(カントは「物自体」は人間には認識できないとした)。この観点から見たとき、「世界のありのままの姿をとらえたイメージ」や「ありのままの状態としての写真」は幻想でしかないものとなる。私たちはどんなに努力しても、それをこの目で見ることができない。


2-3:ロレイン・ダストン、ピーター・ギャリソン『客観性』瀬戸口明久、岡澤康浩、坂本邦暢、有賀暢迪訳、名古屋大学出版会、2021年(原書2007年)

機械的客観性という言葉で、私たちはある執拗な衝動のことを指している。その衝動は、画家・著者の意志による介入を抑制し、その代わりに一連の手続きを設定しようとする。この手続きは自動的とまではいかないまでも、厳格なプロトコルに従うことで、いわば自然を書籍のページ上へと移すものだった。このために、実際に機械が利用されることもあれば、透写のように人間に機械的な動作をさせることもあった。〔中略〕

機械的客観性がいまだかつて完全な形で実現したことがあっただろうか。もちろん、そんなことはなかったし、機械的客観性の推進者たちも、それが統制的理念であることを知っていた。つまり彼らは、科学における客観的描写を、目指すべき到達点と見なしていた。(94頁)

 人間の意識とは独立して世界に何かが存在することを認めたとしても(認めない立場もある)、人間にはそのありのままの姿を把握することはできない、という主張にひとまず賛同することにしよう。だが、それでもなお私たちは「ありのままのイメージ」を追い求めることはできる。それを完全な状態で得ることが不可能であったとしても、それを欲することはできる。拙著では、1930年代以降日本の写真家たちがスナップという撮影技法を用いて、自身や他者が抱いてきたそのような欲求に対して、どう応えてきたかを論じた。日本の写真家の制作行為の背後にこうした衝動があるということは、冒頭で紹介した倉石の著書を読んで得た着想であるが、それは私自身の実感に根差した仮説でもあった。撮った写真をモニターやスクリーンで見て、「これは良い」、「これは残しておこう」などと思うのは、概して、自分の意図や計算を超えて、物がそこに現れ出ているように見える写真、言い換えれば、「写した」というより「写っている」写真である。

「写っている」写真とそうではない写真をある概念に従って分類するのは難しい。それは感性的(美的)判断であり、だからこそ美学(美意識)の問題なのである。自分にとって「写っている」写真が、他人にとってそうであるとは限らない。他人にとっても「写っている」ように見える写真を撮れるということが、写真家の才能のひとつの証なのだろう。しかし写真家として生きているわけではない私には、そのことはさほど重要ではない。あくまで私自身にとって、写真が自動的に生じていることが大切なのである。それは私が自分の意思でカメラを向け、シャッターを押さなければ決して生まれなかったイメージであるにもかかわらず、世界に対する私の見方が投影されたイメージであってはならない。それは写真を撮った私自身を驚かせるようなイメージでなくてはならない。それが、私が写真を撮り続ける動機である。

日本写真史のジャンルとしてのスナップの歴史を調べているうちに、こうした判断は私だけのものではない可能性、それどころか、私自身のこうした感覚が日本写真史の言説に接することによって形成されてきた可能性について考えるようになった。さらには、「ありのままのイメージ」を追い求める態度は、必ずしも日本写真史、および、それが多くを負っている欧米の写真史にだけ見出される現象ではないこともわかってきた。

そのような態度のひとつは、科学史家のロレイン・ダストンとピーター・ギャリソンが「機械的客観性(mechanical objectivity)」と呼ぶものと関係する。ダストンとギャリソンによれば、19世紀半ばから世紀末にかけて活動した科学者の多くは、自然現象を画像で表象する際に、「画家・著者の意志による介入を抑制」し、「自然を書籍のページ上へと移す」ことを目指した。最終的にその目標が実現しなかったとしても、自然を可能な限りそのままの状態で記録しようと努めるのが、科学者としての正しい態度だと考えられた。この態度は、写真が機械によって生み出されたイメージであることを尊重した日本のスナップ写真家たちのそれとも通じ合うところがある。

ただしダストンとギャリソンによれば、科学者のコミュニティでそうした態度が支配的であった期間は長くは続かなかった。19世紀末から20世紀初頭にかけて、一方で、そもそも画像の客観性を信用しない(フレーゲやラッセルの論理学に代表される)「構造的客観性」が、他方で、教育を受けた科学者が画像を分析する際の直観的判断に重きを置く「訓練された判断」が、「機械的客観性」の不可能性を補うアプローチとして台頭するようになった。さらに、現代のナノテクノロジーにおいては、科学は工学へと接近し、表象(representation)と提示(presentation)の境界は曖昧なものになりつつあると著者たちは指摘する。なぜなら、扱う対象のサイズが小さくなればなるほど、観察者が対象に接触せずに、その画像を制作することが困難になり、「見ることとつくることは一緒になっている」からである(317頁)。

拙著で論じているスナップ美学と、ダストンとギャリソンが唱える「機械的客観性」とでは、対象となる分野も時代も異なっている。そもそも「機械的客観性」は美的な探求ではなかった(それはそれ以前の「本性への忠誠」の規範の下に制作されたアトラス(図鑑)と比較すると、美しさの面で劣ると一般に考えられた)。それでも、人の手の介入が最小限に抑えられたイメージを得ることを追求したという点では、両者は確かに共通している。「機械的客観性」と写真メディアの関係性を論じるうえでダストンとギャリソンが強調している点のひとつは、写真の発明が引き金となって「機械的客観性」という概念が生まれたのではなく、「図像をめぐる倫理と認識論において生じた大変動に写真が参入した」ということである(132頁)。つまり写真は「機械的客観性」の原因でも根拠でもない。この指摘は、スナップ美学を写真史の一エピソード以上のものとして、すなわち、写真というメディアに限定されない「図像をめぐる倫理と認識論」として、今後考えてゆくための、ひとつの重要な手がかりとなるように思われる(もうひとつの手がかりは、後述するマイケル・フリードの『没入と演劇性』である)。

幅広い時代の科学を扱った大著であるため日本語で読む機会は当分得られないだろうと思っていたところ、拙著の刊行直後に、邦訳が名古屋大学出版会より出版された。こなれた日本語で訳されており、科学史のみならず、視覚文化論に興味を持つすべての人におすすめできる一冊である。


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