プレゼンテーション1

意思決定ナメんなって話

意思決定というのは難しいものです。

という話をする上で、まずは「影響の大きさ」と「問題の複雑さ」という2軸を取り、意思決定を四つの象限に分類します。

それぞれの象限にどんな意思決定が当てはまるかはだいたい見当がつくと思うので説明は省きますが、明らかに大変なのはBの意思決定。

会社でいえば「わが社はこの先、どのような事業を行っていくべきか」みたいな、参照すべき情報が無数にあり、選択肢がいくらでも存在し、そして会社の将来に大きな影響を与える意思決定です。

往々にしてこの意思決定に「明らかな間違い」はあっても「明らかな正解」はありません。
やってみて、結果が出て、そこで初めて

「結果的にこの意思決定は良かった/まずかった」

と評価できる類のものです。

後からならば何とでも言える

そんなBの意思決定ですが、結果が出た後では様々な情報が……何より「この意思決定はうまくいった/いかなかった」という決定的な情報が手に入っているため、問題の複雑さが一気に減少します。
つまり、時間の経過によってBからAの象限に移動するのです。

この状態、つまりその意思決定をA象限のものとして見ている人が、過去にさかのぼってB象限のつもりで意思決定をしようとしている人を見たら

「こんなの悩むまでもなくこっちじゃん」
「え、そんなことやったら結果的に失敗するのは明らかじゃん」

となります。

私は歴史が好きなので歴史の話でいうと

「え、小早川秀秋裏切るじゃん。裏切る気満々じゃん。脇坂とか朽木を置いても、一緒になって裏切るから意味ないよ? なんでもっとちゃんと対処しないの!」

って、関ヶ原の戦いにおける石田三成の意思決定を馬鹿にするようなもんです。
……かえって分かりづらい?

意思決定ナメんなって話

つまり私が言いたいのは意思決定は難しいが、意思決定の結果を知ってから意思決定を評価するのは簡単だということです。

誰かの意思決定について結果を知っている未来人の目線であーだこーだ言うのは結構ですが、情報が圧倒的に足りていない状態にもかかわらず、その決断が大きな影響を及ぼすというプレッシャーの中で意思決定をした人に対して、ちょっとは敬意を払うべきではないかと思う次第です。

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