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本は財産

ひょんなことから見つけたこの記事を読みながら、彼女が又吉直樹『火花』の装幀家である、というのを見て「あっ!」となった。
たしか『火花』と『むき出し』は同じ装幀家だったはず、と『むき出し』のページを繰り確認すると[装丁 大久保明子]の文字。

『むき出し』は造本も素晴らしい。躍動感に溢れたカバーを外すと、雪なのか夜空の星なのか、静謐さと寂寥を感じさせる表紙が現れ、主人公の複雑な内面を表現しているような美しい本なのだ。
それもそのはず、大久保氏が過去に手がけた川上弘美『真鶴』は講談社出版文化賞【ブックデザイン賞】を受賞している。もともと川上弘美の作品が大好きで、特に『真鶴』は当時この造本の素晴らしさに他の書籍とは一段違った愛着を持っていた。
そして記事中の高島野十郎、という文字を見て、またもや「あっ!」となった。
又吉直樹が昨年から始めたコミュニティサイト『月と散文』に使用されている背景画像が高島野十郎ではなかったか。
急いで確認すると作品情報に並ぶ高島野十郎の文字。このコミュニティサイトで初めて高島野十郎を知った、と思っていたが随分前に目にしていたとは。今更こんなところで繋がった。

ひとり興奮するとともに、激しい後悔の念に襲われた。
なぜなら『真鶴』は既に私の手元にないからだ。

数年前、思い切ってほとんどの本を処分してしまった。
気がつけば片付ける場所もなく増え続ける本。段ボールに押し込まれ、どこに何があるのかもわからなくなっていた。また、本――特に文芸作品をあまり読まなくなっていた時期であり、さらに自分自身の置かれている状況が短期間で激変し、何もかもリセットしてしまいたい欲求があったのだろう、迷いはあったが当時心の拠り所としていた一部の本を残して手放した。

もう以前のように夢中になることもないだろう。もし読みたい本があったら図書館で借りればいい――そう思ったはずだった。

だが、人生何が起こるかわからないもので、昨年の中頃から貪るように文芸作品を読み始めた。そして処分してしまった中にある本を再読したい欲求がふつふつと湧き出てきてしまった。
それとともに、文字や書籍に対する想いが再燃してしまい、すっかり遠ざかっていたそれらの情報を漁り始めた。で、結局「売らなきゃよかった……」と項垂れる日々。
特にここ数ヶ月は「失敗したかなぁ」と思うことが度々あったのだが、冒頭で紹介した記事がとどめを刺したようだ。

後悔先に立たず。

物ごとに対する考え方や向き合い方が変わった今だからこそ、再読すれば当時とは違った見方ができた本がたくさんあっただろうに。それは内容だけでなく装幀も含めたひとつの“作品”としての見方である。そう思うと自分の浅はかで軽率な行動を呪う。
つくづく本は一生ものの財産なんだな、と痛感した。いくつになっても本から学ぶことは尽きないし、四半世紀以上前に書かれた本が、突然現在の社会問題とリンクして驚愕することもある。

みなさん、思い入れのある本は手放しちゃダメです。

ちなみに、この連載(ブックデザインの冒険)に登場する書体設計士・鳥海修さんは私が尊敬と憧れを抱く人だ。3月19日まで京都dddギャラリーで『鳥海修「もじのうみ: 水のような、空気のような活字」』という展覧会を開催している。
行ける方は是非。

(↑YouTubeの解説動画にリンクしています)

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