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小泉萌香の真骨頂——舞台『やがて君になる』encore(2022)

文: 近江姉妹の娘=びおれん

 2022年11月25日から12月4日までにかけて、舞台『やがて君になる』encore が品川プリンスホテルクラブeXにて上演された。これは2019年に行われた舞台の再演なのだが、同年の「電撃大王」11月号にて原作が完結したことに伴い、2019年版では行われなかったエピソードを盛り込んだものとなっている。2020年に上演予定だったのだが、新型コロナウイルス感染症の拡大により上演が延期され、2022年に上演された、という経緯となっている。私は12月2日の回を見に行ったので、そのときの感想をここに記す。

 ちなみに本論を書くにあたり筆者について説明しておくと、以下の通りとなる。

  • 舞台はあまり見ない。

  • 原作は全巻読了。

  • 初演(2019)はencoreの後に映像で鑑賞。

舞台にはあまり明るくない人間の素人感想なので、そこは御了承願いたい。

舞台と役者

 会場の品川プリンスホテルクラブeXは多目的のホールのようで、椅子はパイプとなっていた。元々舞台に特化した作りにはなっていないようで、実際席が段差になっていないため後ろから鑑賞するのが難しそうに思えた。ステージのセットはしっかりしていたものの、背景美術は簡素であり、ストーリー展開が早いのでいちいちセットを変えるということはできない。これは、背景美術に目を奪われることなく、登場人物に視線を集中させ、演者そのものの魅力に焦点を当てる効果も生じさせているように見えた。

 開演すると、舞台上に人物が上がってくるわけだが、舞台そのものの本質かどうか分からないが、どこかしら神話の登場人物のように見えた。演劇は西洋での興りからして元々神話の登場人物を演じるものではあったのだが、そこには複製技術では表現できない一回限りの輝きが実際にあった。自分の生身でもって当人たちを見にきているのだという矜持さえあった。いわんやコロナ禍の最中である。わざわざ舞台を見にいくのは、この輝きを目の当たりにする経験を得たいがためでもある。

七海燈子=小泉萌香

 本作の白眉はなんといっても七海燈子役の小泉萌香である。言葉だけでなく絵によって登場人物の心情や思考を表現している原作をしっかり読み込んで、それを自分の演技として舞台上で巧みに表現していたのである。

 例えば、梅雨に侑と燈子が相合い傘で帰宅するシーン。互いに雨に濡れないように傘を差し合うなど和気あいあいとした雰囲気から一転、傘がなくて困っていたため燈子が来てくれて「嬉しかった」と、侑がつい発言してしまうところで、燈子が「嬉しかった?」と真意を問い質すところがある。

 背景を説明しておこう。燈子は侑の「誰も好きにならない」という資質に惚れ込んで、一方的に自分が侑を好きになるという形での、ある種の交際を続けている。第2巻にて侑は「私は先輩のことを好きにならない」と宣言することで、両者の関係は確固たるものになったが、それは同時に侑の「人を好きになりたい」という意思に対して嘘をつくことになるという枷でもあった。

 それゆえ、原作第3巻にあるこの「嬉しかった」の何気ない一言さえも、侑が本当の自分自身を好きになれない燈子に対する裏切りとなりかねないことになる。この場面を図示すると分かるが、侑の実際嬉しそうにみえる顔つきとは対称的に、(丁度タオルで顔を拭いているのもあるがそれによって)燈子の顔には影が差し込み、侑の真意を正すような冷たい眼差しを向ける。吹き出しのフォントを侑と燈子で変えているのも対称性を強調するのに役立っている。

仲谷鳰『やがて君になる (3)』、86頁。
仲谷鳰『やがて君になる (3)』、87頁。

これが舞台ではどう表現されていたか。侑をじっと見つめながら

「嬉しかった?」

ただそう告げるだけである。

 原作では次のページで「その嬉しいって どういう意味?」という、実際には言っていないが目元がはっきりとそう告げている台詞、いわば「無言の言」が黒い長方形のうちに表現される。これが、それまでの雰囲気から一転して口調を重くし、真意がしっかりと言葉に乗せられた言葉の銃弾として侑に突きつけられる。続くわずかな静寂の間とともに、この言葉は舞台上の侑だけでなく、観客席のわれわれをも揺さぶる重たい台詞と化していた。

 このように小泉萌香の台詞遣いには原作から舞台に翻案するにあたって削ぎ落ちざるを得ないものを、舞台というメディアの性質でもって見事に表現してみせていることが垣間見れる。どうやら、小泉は最初からここまでうまく表現していたようではなかったようである。例えば「そんなこと死んでも言われたくない」という台詞があるのだが、2019年の舞台を映像でみてみると、当時彼女が演じていた別の作品の役のような印象を受ける。単にイントネーションの問題なのだろうが、しかし3年の歳月を経て、再演では原作をしっかり読み込んで「七海燈子」を下ろすことに成功している。もっとも、パンフレットによると小泉は最初から原作を読み込んで台詞の背後にある意味を読み込んでいたらしいが、今回演技に説得力が生じていたのは、小泉本人の演技力の上昇や解釈の深化によるものと見て良いだろう。小糸侑役の河内美里が、最初から役としてかなり仕上がっていたのとは対照的にみえた(これはこれで役者としてすごいことだとは思うが)。

まとめ

 思えば昨年9月の虹ヶ咲5thライブ。これは舞台ではなく歌唱パフォーマンスではあるが、小泉が三船栞子として歌う「EMOTION」に大変感銘を受けたことを思い出す。あの時、2022年春のアニメのうちで生じていた三船栞子の心情が、歌詞と調性の変化の中でしっかりと乗り、心に響く歌声となっていた。

 私が七海燈子=小泉萌香の演技に強い印象を抱いたのも同年の舞台によってである。小泉は2021年3月より岩田陽葵とユニット「harmoe」を組んでアーティスト活動を積極的に行うようになり、おとぎ話の世界観を表現する幻想的でテクニカルな楽曲群を数多く歌っている。私は小泉萌香をあまり追っている人間ではないのでよく知らないのだが、この数年で小泉萌香の演技に劇的な変化が生じたということだろうか。 

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