我慢は自分を見失う

私は無駄に気を使うタイプだ。
自分で何か発言した後に
相手ががどう思うか
ああいう言い方しなければよかった…
と、家に帰ってから後悔することはザラだし
自分に非があるように考えぐるぐると繰り返す。
なんというか、自分が悪いことにすれば
ラクなのだ。
「はいはい私が悪かったです」で
このぐるぐるは一旦終わる。
でも、相手が悪いこともあるし
結果どちらのせいでもないこともある。
ラクだけど、結果自分を苦しめることにもなることを知る。

仕事柄素直に好きなものを好きと
言えない環境にいたことがある。
公私混同はもってのほかで
そこはもちろんわきまえている。
健全に推しを応援することが私の生き甲斐だ。
好きだけど、直接関われるからといって
極端な話、連絡先を渡そうだなんて
何があったって思うわけがない。
自分を鏡で見てみなさいよと思う。
しかし、過去にいた職場は
自分が◯◯のファンじゃないのか?と疑う先輩がいて、
(後にその先輩がタチの悪いファンと繋がっていたことがわかる)
ファンだと知られると現場の仕事はやらせてもらえなくなる。
そうなると自分の仕事に支障が出ることがあり
好きなものを好きと言えない環境だった。
そこでの教えというか、呪いみたいなもので
私は一部好きなものは隠すようになった。
本当な好きなくせに
「好きじゃないですよ〜」と嘘をついた。
それがだんだん普通になっていき
私は好きなものを素直に好きと言えなくなっていた。

振り返ると、隠して公私混同しているような
タチの悪い人もいたので
むしろオープンな方が健全だ。
押し込められた好きは、クセになり、
そのクセは抜けなくなってしまった。

我慢はクセになる。
無駄に気を使いすぎることや
素直に好きなものを言えないこと
全部我慢した結果だ。
今、少し自由になった私は
そのクセを手放そうとしている。
かなりしっかりこびりついちゃってるから
時間はかかるけれど
本来の自分ってどんな人間だったのかな?と
常に問いかけながら、素直に生きたい。
最近はそうやって自分を取り戻す練習をしている。

本当はこうしたかった
本当はこうして欲しかった
本当はこう思っていた
本当は


#エッセイ

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