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郁田はるきを考える【Hopeland】【連綿と、桜】WINGシナリオ

以下文章は郁田はるきのWINGシナリオ、ならびにHopeland シナリオの内容を含みます。

単純な前置きとして、筆者ははるきの育成を———斑鳩ルカに対する感情のあまりコメティックに関連するシナリオに触れることがはじめてで———開始するのは今回が初であり、前提知識はギミー先生の四コマとコメティックの楽曲しかないという状態ではじめています。形式の整った文章ではありませんが、あくまで読了記録です。悪しからず。


1.シナリオ序盤

「みていてください」「みて」「届いて」などの発言が多く、観測と対象を必要とする傾向がみられる。異様な俯瞰と冷静。思い切りのよさと慎重さ。表現の欲求とその実現の困難さ(どれもしっくりとこない)。どうにもならない世界をカラフルに———わたしの、あなたの色彩に塗り替える。シャニPの言葉にこころ動かされた・衝動


2.シナリオ中盤

はるきからのミルクティーは美味しいを共有したい。シャニPからの綺麗ないろのドリンクはよろこびを共通したい。同じ水を注ぐ:はるきはあふれシャニPはきちんと注ぐ。同じ水を飲む:はるきはそこに海と空とを見出す。みつける あふれることをよろこぶ 感情が表現が感覚が あふれだすこと……

海と空との境界線が曖昧になる 海も空も緑もあふれだして 溶けあう わたしのなかで あふれだす

思考に耽溺すると現実が疎かになる傾向。肉体感覚の曖昧さ(窮屈さ?)と想像力の豊かさ。ダンスによる肉体表現ははるきにとって何を意味する?

また、このコップから水が「あふれる」ははるきの精神状態の表現でもないかと考えました。表現活動、ダンスや歌がもっともっと上手くなりたい(この焦りには斑鳩ルカの存在が理由のひとつとして背景にありそうです)という葛藤や焦燥が「あふれて」いるのではないでしょうか。

ソファを持ち上げることが望ましい朝コミュ:シャニPと「一緒に」何かをすることに意味を見出す傾向?


3.WING準決勝出場決定

「このうれしい気持ちはプロデューサーさんと作ってきたものだから……」

はるきにとってアイドルとはシャニPと「一緒に」つくりあげる作品であり表現活動ではないか?


4.WING決勝と優勝

「最後まで———見ててくださいね」シャニPの視線とエールとを求めるはるき(観測!)

「…ここまで来たら、俺はもう見守るしかないけど———」

シャニPの言葉をはるきはやんわりと否定する。

「一緒に、飛び込んで行きましょうプロデューサーさん.....!」

→3の仮説は概ね当たっていたのではないか? はるきにとってアイドルとはひとりでするものではないのではないか? はるきは基本的に双方向のコミュニケーション(感情の震わせ)を好む傾向にあるが、なかでもアイドル活動に欠かせない存在としてシャニPをみている可能性が高いのではないだろうか。


5.総括

郁田はるきにとりアイドル活動はシャニPと「一緒に」行う表現活動、世界を塗り替える活動、世界の色づくさまを「一緒に」観測すること、互いが互いのなかへ飛び込みあう関係性———なのではないだろうか。


6.感想

表現者であるはるきのプロデュースは、僕自身も趣味でものを書く人間なためとてもたのしく感じました。また、シナリオを読むなかで「こうなんじゃないか?」と感じた部分がまさにそうであるという体験ができ、シナリオの巧みさに感嘆するとともに、心から素直に「たのしい」そう思えたシナリオでした。ありがとうアイドルマスターシャイニーカラーズ。ありがとう郁田はるきとシャニP。

それからHopelandのTrueもすごくよかったです。はるきの名前が与える印象?が何なのかは読み取れなかった(追記:これは名前により初対面の相手から男性であると勘違いされがちな過去だと読み取れる)けれど、シャニPのかける言葉が丁寧で素晴らしかった。「〜であるべき」「〜だろう」そういったものから「あふれて」いこう。僕らどんな日常も記念日に変えていこう。世界を色づかせ、塗り替えていこう。郁田はるきとシャニPのアイドル活動が発するこのポジティヴなメッセージが、多くのこころを震わせることを願い、この文章を終わりにしたい。


嘘 書き上げて10分でまた続きを書きました。追記です。

クィアという言葉について常々「いや奇妙なのはそっちだから」と申し上げておりますが、そう、郁田はるきが「わたしは少し変わった名前だから」しょうがないのだと自分を納得させてきたこと、そこにさみしさが沈んでいたこと。それを「もしも嫌だと思っているなら、その感情には慣れなくていい」と告げ、さみしさを掬い上げたシャニP。はるきとシャニPの関係性がとても丁寧でよかったです。

その後「なにが嫌だったのか」を再認識し、「プロデューサーがたくさん呼んでくれるから」わたし、自分の名前が好きです、と。意味の転換をはかったはるきの行動が素晴らしく、大袈裟に思われるやも知れませんが偉大でさえありました。そうしてシャニPはその言葉を受け「はるき」名前を呼ぶ。記念日のお祝いをしよう。ハッピーバースデイ! 何度だって祝おう。あふれだしていこう。

これで本当におしまい。お読みいただきありがとうございました。


さらに追記。
郁田はるきにとってのシャニPは、プロデューサーさんと呼びつつも、彼女の認識では彼は「表現活動のパートナー」ではないのでしょうか。


さらに、追記。
郁田はるきの…… 過去との不可思議な連続性というか、彼女自身は忘却している、或いは記憶の隅に追いやった、さみしさや願いのようなものが、シャニPに出逢い———文字通りに彼女が「飛び込んだ」ことで、思い出し、変化・実現するというのは【Hopeland】【連綿と、桜】に共通する傾向ではないだろうか。思い出せない桜の夢。彼女自身の名前のこと。

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