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苦く青い春

多くの大人にとって青春は、良い思い出らしい。

昔は良かった、高校生の頃は……なんて自慢と共に懐古する大人の多いこと多いこと。それにわずかな苛立ちとうんざりした気持ちを覚えるのは、私の青春がただただ苦い思い出だからだろうか。

今でも青春の持つエネルギーに触れると泣きそうになる。あの時の迸るような熱情を忘れた私と苦い思い出が蘇って。

部活と勉強、ただそれだけの毎日だった。部活はやめたくても顧問の脅迫めいた言動と部員の圧力で終ぞやめられなかった。楽器を吹くのは好きだったけれど、部活に行くのは嫌いだった。勉強は「勉強ができる私」のイメージが何故だか広く浸透していたから、手を抜くに抜けなかった。

だから今日まで続く持病を患って勉強ができなくなった時(部活はすでに卒部していた)、「勉強ができる私」という自分のアイデンティティが失われて、自分が崩壊していく感じがして酷く怖かった。勉強のできない私なんて何の価値もない気がして。

結局勉強ができるような状態ではなく進学を諦めなければならなかったし、学校は転学した。私が固執していたものなんて大したことなくて、描いていた夢や将来はあっけなく散った。きっと楽しいこともあったのだと思う。けれども、誰にもさよならを言わないまま逃げるように去った学舎には後悔と苦い思い出だけが残った。

今思い返すと高校生らしいことをしたかったなあと思う。寄り道をして買い食いしたり、休日は友達と遊びに行ったり、恋をしたり、そういった普通に、普通でなくなってしまった私は酷く憧れる。思い出すだけで胸がぎゅっと締め付けられる。

今では色々あってクラスメイトや部員の連絡先は全て削除したから、私はきっと動向が誰にもわからない行方不明の人間だ。そのことに後悔はないけれど、私の青春にぽっかり穴が開いている気がして、苦い気持ちにはなる。

後悔しない人生なんてないと思うけれど、あまりに後悔が多い人生を送っている。人生をやり直せるとしても、私は自分の人生を歩みたくない。いつを思い返してもいわゆる黒歴史で、戻りたい時なんてない。かと言って未来を生きていたくもない。八方塞がりの毎日だ。

いつか、人生に光明がさすと信じて期待して過ごす日々にも疲れた。死にたくても死ねない、真綿で首を絞められるような日々。私が意気地なしでなかったら、とっくにこの人生は幕を閉じているだろう。

いつか青春に蹴りをつけられたらいいなと思う。良い思い出とは言えなくても、戻ってもいいかなくらいに思えるようになったら嬉しいなと。この人生を歩んできて良かったと、思える日が来るともう少し信じてみたい。

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