[ぼやき]私の母親像とは※

子供の頃、小学高学年か中学1年かそれぐらいに
何がきっかけで怒らせたかわからないけど、
ティッシュが入った木箱で殴られて
鼻血を出したことがあって。

母は鼻血に動揺して、強引に拭われた事を覚えてる。

鼻は物凄く痛くて、折れてないけど、これぐらい痛みがあると血がダラダラでて、意外と血はサラサラしてるんだなぁと思ってました。すぐ止まったしね。大したことなぁい、残念と思ったのは、その時間ゲームがしたかった。
(なんで怒ってたのかなぁ、ごめんなさいすみませんって言いつつ、また怒ってんなぁとか別の事を考えてただろうから、思い出せないソレが怒らせてたかもだけど今まで気付かれてない気付かれたら余計殴られてたから大丈夫なはず。)

ということがあったので、
母親という役に聖母像や美しい賛美としての認識がそもそもないです。

子どもは、素直な生き物です。
当時、母はシングルマザーで生活保護受給者で鬱
子どもながらに、殴って罵ってスッキリするなら、丁度いい、今妹も弟も居なかったから火種しなくてよかったと、本気で思ってました。

今なら、例え腹が立っても、暴力暴言はしない。もし一度叩いたとしても、謝ったりその後の補助や悔いる事が当たり前です。
平成の時代に、昭和の価値観は消えてない家庭でした。

石像や美術絵画の、子どもを慈しむ聖母様のなんと美しいこと。美術館の光の魅せ方も相まって素敵です。
きっとそんなふうに育児できたら、親も子も幸せだろうなと思っています。

…そういう経験をしてきたので、妊娠したとき不安が大きくて。(母にはお前なんか虐待するよ可哀想にと言われました)
聖母様の様になれる前に、子どもを生かすことを第一の目標にしました。

だから、授乳中思うことは
ちゃんと飲めているか、出ているか、眠たいのか?
生かすことしか重きが持てなくて、
うちの子達には、ソレしかしてないことが悪いと思う人に取っては、良くない愛情の少ない育児だとと思います。

そんなもんで良いと思います。
完璧を目指して、余裕無くてして、殴るくらいなら、適当に楽しく生きましょう。

Twitterで周りのお母さんお父さん方が、四苦八苦しながらも、育児をしている姿を見ると癒やされます。間違った育児をしたとしても、ソレを後悔して守るように育児してる姿を見ると嬉しくなります。
今日も頑張ります。そんなシンママの子供だった私が言うので、悩んで育児して色々頑張ってる人は、大丈夫なんですよ。適度に息抜きできてる人はもっと大丈夫ですよ。


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