翻訳『愛について』(I. ポターペンコ)

四幕の戯曲

登場人物
 ゲンナージー・マトヴェエヴィチ・ブラートフ 70歳
 ウラジーミル・ゲンナージエヴィチ・ブラートフ 47歳
 マリヤ・オスカロヴナ その妻 40歳
 セルゲイ その息子 22歳
 エヴドーキヤ(ドーシャ) その娘 17歳
 フリスチーナ・ヴラーシエヴナ・コルニーロワ 27歳
 ダリヤ・アントーノヴナ・チュラキナ 50代
 イワン・ペトローヴィチ・ドゥボサーロフ 35歳
 ワルワーラ・ミハイロヴナ その妻 30歳
 パーヴェル・エラズモヴィチ・シテンデ 23歳
 ポリシュク 45歳
 トゥールスキイ公爵 30歳
 ザミラーロフ 大学生
 リザヴェータ・ワシーリエヴナ・ヴェスニャンスカヤ 20歳
 マルガリーチン 年老いた税務局の役人
 シトローク 将校
 アンナ 客室係
 庭師
 配達人

第一幕
銀行の事務所であるブラートフの書斎。右手には計算用の筆記具が几帳面に配置された立派なデスク。デスクの上には電話機。左手の奥には丸テーブルと複数のソファ、床にはカーペットが敷かれている。そこはそれほど背の高くない間仕切りで右手側と区切られている。間仕切りの反対側、それと並んで奥に近い方にタイプライターとそれに向かうイス。右手側の奥の壁には小さ目のアーチ(画像1を参照)があり、その奥にドア。そのドアが開くと遠目にオフィスが見え、働く社員や、そこに出入りする人々が見える。さらに右手には、ほぼ角に位置する場所に小さなドアがある。

画像1

画像1:こんなかんじのアーチ型の構造がロシアの建物にはよくあります。劇中のアーチとドアは画像のものよりもっと大きいと思いますが、雰囲気だけでもわかってもらえるでしょうか。
https://russkie-dveri.ru/products/arka-gretsiya-universalnaya より

1場
幕が上がると舞台上には誰もいない。デスクの上の電話の呼び出し音が鳴る。それを聞きつけたドゥボサーロフが入ってくるが、丁寧かつ慎重に足音を立てないように受話器を取る。

 ドゥボサーロフ:もしもし……あの方たちはまだ……社員はオフィスにいます。ですが、男爵様……こちらはドゥボサーロフでございます。注文? 北方西方社? 240から? そんなお値段ではありませんが。本当ですか? ただいま手配いたします……どうぞお元気で、男爵様。(受話器を置く。ゲンナージー・マトヴェエヴィチ入場)

2場
 ドゥボサーロフ:これはゲンナージー・マトヴェエヴィチ。
 ゲンナージー:あいつはまだ取引所か?
 ドゥボサーロフ:いつも通りです……最初の人が来て、最後の人が帰るまで。
 ゲンナージー:何がそんなに嬉しいんだ、ドゥボサーロフ? そんな顔をして……
 ドゥボサーロフ:北方西方社が240です、ゲンナージー・マトヴェエヴィチ。
 ゲンナージー:それは本当か? 私が聞いたのは……ただ今になって取引所に行くわけにもな。
 ドゥボサーロフ:昨日は211。驚異的な動きです。
 ゲンナージー:知っていたのか?
 ドゥボサーロフ:知っていましたし、常にわかっていますとも……私はもう昨日には知っていましたが、黙っていました……今日、私たちは一回の指示で15000稼いだんです。
 ゲンナージー:君は有能な人間だ、ドゥボサーロフ。私は常にそうだと思っていたよ。
 ドゥボサーロフ:ありがとうございます。残念ながらウラジーミル・ゲンナージエヴィチはそうは思ってはおりません。私はここでは雑用係。努力しても、頑張っても気づいてもらえない。そこで、ゲンナージー・マトヴェエヴィチ、もしあなたがそれとなく言ってくだされば……
 ゲンナージー:だが君、私は口を出さないことにしているんだ。息子に会社を譲るとき、一切口を出さないと約束したし、そのことを後悔するいかなる理由もない。ええ? そうだろう? あいつは社長として15年、そのあいだに私が作り上げたものをダメにしたのか? そうだろう?
 ドゥボサーロフ:とんでもない、誰がそんなことを言ったんです?……ウラジーミル・ゲンナージエヴィチは、この会社を最高レベルの高さにまで引き上げました。みんなが彼は天才的な考えの持ち主だと言っています。
 ゲンナージー:ははは、まったくそうだろう……私たちには、ドゥボサーロフ君、君も含めて頭が付いていて、賢いのもいるだろうが、結局は普通の頭だ。まさかその普通の頭の持ち主が、天才に助言するなんていう考えには至らないだろう? ええ? そうだろう?
 ドゥボサーロフ:はぁ、たしかに。
 ゲンナージー:まぁ、それはそうと……私は君を引き留めはしないよ、ドゥボサーロフ、君もオフィスでの仕事があるだろう。私はウラジーミルを待つよ、この新聞でも読みながら。(丸テーブルに向かって座る)君については、ドゥボサーロフ君、実際有能な人間だと思っているし、会社を指揮できるとも思っているが、君のために出来ることはないんだ、すまないね。
 ドゥボサーロフ:すみませんでした、ゲンナージー・マトヴェエヴィチ……すみません……(後ずさりしながら退場。少しの間ゲンナージー・マトヴェエヴィチが新聞を読んでいると、左側のドアの向こうで物音がする。ドアが静かに半開きになり、ドーシャがのぞきこむ)

3場
 ドーシャ:シーッ、ここにはおじいちゃんだけ。大丈夫。(ドーシャ入場、彼女のあとからシテンデ。ドーシャは足音を立てないようにゲンナージー・マトヴェエヴィチに近づいて彼の頭にキスをする)おはよう、おじいちゃん。
 ゲンナージー:(びっくりして)おぉ……お前か、トンボちゃん。それに若きシテンデ君! 私の知る限りでは、ここの社長はこういったお客様たちをあまり好みませんなぁ。(シテンデに手を差し出す)
 ドーシャ:パパはこの時間いつも取引所にいるでしょう。ここの方がお家よりもなんだか居心地が良くて。
 ゲンナージー:そりゃなあ! 家にいたら母さんがビシビシ言ってくるし……ここなら従兄(いとこ)とイチャイチャできる……ハッハッハ、知っているぞ。シテンデがお前を口説いていることくらい。
 シテンデ:よしてください、ゲンナージー・マトヴェエヴィチ、まさか私がそんなことを……
 ゲンナージー:ないわけないだろう? そんな馬鹿な。君は若い、それで充分だ。私だって若い頃は……おおっと! ともかく、そう……私はこの新聞を読みたいだけなんだが、君たちが邪魔するんでね。
 ドーシャ:どうぞ読んで、おじいちゃん。私たちは邪魔しないから……(デスクの方に近づいてシテンデを呼び寄せる。小声で)私、ものすごく誰かと電話を使って話したい。
 ゲンナージー:さぁ、ほら邪魔をしてきた……というよりむしろ私が君たちのお邪魔だな……ハハハ! そうだろう? まぁ、いいさ……オフィスの方へ行くよ。(立ち上がり新聞を手に取る)ま、いいさ……いいさ……(退場)

4場
 シテンデ:(急に馴れ馴れしく生意気な態度になって)ん、どうしたドーシャ、誰かと電話をするんだろう。
 ドーシャ:別に、あれはただおじいさんがいたから。でも、あなたのエリヴィラとなら……彼女、エリヴィラっていうんでしょう? 彼女、歌手なの? 電話はあるの? 何番?
 シテンデ:そう、エリヴィラで、歌手さ。でも君は彼女と何について話すんだい?
 ドーシャ:あなたが彼女と一緒にいるときに何をしているか、話してくれるよう頼むの。
 シテンデ:彼女は何も言わないよ、君よりずっと恥ずかしがり屋だからね。
 ドーシャ:私が知らないとでも思っているの? きっちりとぜんぶ知っているんだから。
 シテンデ:へえ、そうかい?
 ドーシャ:ええ、そう、ぜんぶ。何か特別なことがあるかしら? 私が智天使(ケルビム)のようで、天使のような考えを持っていると思っているのはママくらい。小学校の4年生にもなればもうぜんぶ知っている……ぜんぶ……
 シテンデ:それで、そのぜんぶって?
  ドーシャ:そう、ぜんぶ簡単なこと。あなたにも、誰にも女がいる。セルゲイにも、パパにだって。パパの女は「シュジェット」っていうの……
 シテンデ:そう、いずれにしても君は必要以上にご存じだ。君は甘やかされて育ったし、ほんと、君は誰かの手の中におさまるべきだね。
 ドーシャ:誰が私を手の中におさめるっていうの?
 シテンデ:きっと、僕じゃないかな。
 ドーシャ:へえ!
 シテンデ:僕たちの世話焼きの両親が、何がなんでも僕たちを婚姻関係を結ばせるという自分たちの決心を変えなければね……
 ドーシャ:ええ、たしかにそれは決定済み。大株主のシテンデ家とブラートフ家はそうやって自分たちの資本を一つにしたいんだもの。一番面白いのは、あなたが私と絶対に結婚するのは、そうしないと1カペイカももらえないからってこと。
 シテンデ:そして、君が僕と結婚する理由もまったく同じだ。
 ドーシャ:私たちどうするの?
 シテンデ:別に、みんながやっていることと同じことだよ。君は実際、悪くない妻になると思うよ。君はかわいらしくて、バカじゃない。今ある君の自由だって、ただ失われるものだ。でも本当は君は臆病だから、事が及ぶときにはすぐにでも叫び声をあげるだろうね。さあ、僕は君を抱きしめたいんだ。(彼女の方を向くが、彼女は彼から離れていき、彼は彼女を捕まえようとする)
 ドーシャ:そんなうまくいかない。
 シテンデ:あ、あれ見て。(彼女を捕まえて抱きしめる。ドーシャは恐怖を顔に浮かべ、振り払おうとする)
 ドーシャ:はなして、でないと叫びます……シーッ……フリスチーナ・ヴラーシエヴナがこっちに来る。
 シテンデ:こうして証明しようとしたんだ。君は臆病って言っただろう。(彼女から手をはなす)で、フリスチーナ・ヴラーシエヴナって?
 ドーシャ:タイピスト。
 シテンデ:それだけ?
 ドーシャ:魅力的な女性だし、パパはあの人に口述させて、セルゲイは彼女に言い寄ってる。(コルニーロワ入場、服装はシンプルだがそれでいてエレガント。タイプライターに向かって座る)

5場
 シテンデ:僕は行くよ、エヴドーキヤ・ウラジーミロヴナ。それじゃ。
 ドーシャ:どうぞ、あなたは私に一切必要ないもの。(シテンデはコルニーロワに一礼して、左から退場。ドーシャはコルニーロワにキスをする)会えてとっても嬉しい……
 コルニーロワ:いい、ドーシャ、書斎に来てはだめ。あなたのパパは嫌がっているでしょう。このドアを打ち付けてしまいたいくらいって話よ。(彼女を見て)どうしてそんなに興奮しているの?
 ドーシャ:フリスチーナ・ヴラーシエヴナ!(彼女にすがりつく)あぁ、私とっても不幸なの……
 コルニーロワ:(彼女の髪をなでる)どうしたの?
 ドーシャ:私はあまりに多くのことを知りすぎてる。30になる女が知るくらい私は知ってる……でも私はただの17歳。私が悪いわけじゃない。まわりのみんなが明け透けで声高にしていて……知りたくなってしまう……でもそれは本当にひどいの。
 コルニーロワ:そうね、良くない。何も知ろうとしなくなったら寂しくなる。
 ドーシャ:シテンデは私の婚約者。それはもう決定済み。ママが決めた、でもパパは……パパは家族のことには口を出さない。さっきあなたが来る前、シテンデは私のことを捕まえようとしたの。逃げたけど追いかけてきて、捕まえられて抱きしめられた。あんなに嫌がったのに……あぁ、婚約者だなんて! あの男には今エリヴィラって女がいる、父から会社を継いだら、2人目、3人目……きっと10人にもなる。私は11番目になんてなりたくない。ねぇ、フリスチーナ・ヴラーシエヴナ、もしあなたがこのことをパパに話してくれたら……
 コルニーロワ:ええ、まさか私にそんなことができるとでも? 私は単なるタイピストですよ。
 ドーシャ:単なるじゃなくて、魅力的なタイピストよ。覚えてる、私がこっそりあなたの部屋に行ったこと? あのとき公爵がいた、とってもカッコよくて、黒い瞳の……あの人、あなたの恋人? そうでしょう?
 コルニーロワ:ドーシャ!……
 ドーシャ:おしまい(彼女にキスをする)もうしない。でもセルゲイは……あいつがすっかりあなたに首ったけなのはわかってるでしょう。あなたが会社に来るとすぐに、ここにきてウロチョロしてる……(セルゲイが右側の小さなドアから入場)ね、ほら、知っての通り、あなたが来たとたんに現れた……

6場
 セルゲイ:一つ、お前はバカなことを言っている。二つ、それはお前に関係ない。三つ、会社にお前の仕事は何もない、ここから今すぐ出ていけ……
 ドーシャ:四つ、五つ、六つ、あんたも同じくここでする仕事はない、あんたの席は会計課の柵の向こうでしょう。
 セルゲイ:素晴らしい。それには同意する。が、ともかく出ていけ。
 ドーシャ:あんなたがそうしてほしいのはわかってる。そうね、よーくお願いしてもらえたら出て行ってあげる。
 セルゲイ:よーくお願いするよ。
 ドーシャ:膝立ちで。
 セルゲイ:そんなバカなまね! まぁいい、ほら!(片膝の姿勢をとる)
 ドーシャ:はぁ、違うでしょう。両ひざで。
 セルゲイ:こんなのバカげてる……(両膝で立つ姿勢をとる)
 ドーシャ:まぁ、なんて大きなおバカさんなのかしら! アハハハ。(笑いながら左側に走り去っていく)

7場
 コルニーロワ:アハハハ……まったくそんなバカなまねを自分からして。アハハハ……
 セルゲイ:(立ち上がって膝を払う)あなたのためにやったんです。ねぇ、どうして私をこんなに長いあいだ苦しめるんです? だって、私はあなたが全く手の届かない存在ではないことを知っています。とある人からあなたについて教えてもらいました……あなたにはこれまでたくさんフィアンセがいたけれど、今は一人だって。
 コルニーロワ:そうだとして……どうすればいいのかしら?
 セルゲイ:夢中になるほどあなたが好きです。私は何が何でもあなたを手に入れたい。
 コルニーロワ:いいえ、手に入らない。
 セルゲイ:でも、なぜ、なぜです?
 コルニーロワ:私はあなたを好きじゃないもの。それに仕事をしないと。オフィスに行って自分の席に行きなさい。(タイプライターを打つ)
 セルゲイ:それにどんな必要があるかわからない。私に仕事を覚えさせたいらしいけど、そんなのバカげてる。私の父には山のようなお金がある。そこに何のために仕事が必要なんです。仕事が必要なのはお金がない時です。まったく笑えますよ。父が私にいくら給料を払っているかご存じですか? 月に1000ルーブルですよ。それもここで途方もない額を稼いでいるときに。今日なんて15万も儲けたそうです。笑えるでしょう。まさかまともな若い男が月に1000ルーブルで暮らせますか? でも当人の父は……あの人がいくら使うかご存じですか? シュジェットという女一人だけで年に40000ですよ。他にも別のが色々と……タイプするのを止めませんか。それにタイピストなんてあなたにふさわしくない。ちっともふさわしくない……
 コルニーロワ:仕事の邪魔です、放っておいてもらえませんか。
 セルゲイ:行きますよ。でも私はあなたの住所を知っているからあなたの元に行きます。
 コルニーロワ:あなたを迎え入れたりしません。
 セルゲイ:もし力づくで入ったら。
 コルニーロワ:それなら悪いけど叩き出します。
 セルゲイ:いいですか、これはいよいよ侮辱です。そんなことは許せない。あなたに下劣な行為を始めますよ(嫌がらせをしますよ)。
 コルニーロワ:ええ、あなたはその権利をお持ちです。誰にでも意地悪をする権利がありますから。(おしゃべりをしながらブラートフ、ポリシュク、ゲンナージーがドアから入場。三人ともコルニーロワのところを通る際に彼女に気にも留めない。コルニーロワは立ち上がり、それから席に着く)

8場
 ポリシュク:あなたを捕まえられて非常に嬉しいですよ。話したいことが山のようにあって。
 ゲンナージー:もう30分も待っていたよ。
 ブラートフ:(セルゲイに)セルゲイ、私は用も無いのに書斎に入ってこられるのが嫌いだ。お前は自分の席についてなさい。
 セルゲイ:少しだけ……行きますよ。(セルゲイ退場)
 ブラートフ:皆さん、何なりとお申し付けていただいて構いませんが、手早くお願いします。やる事がたくさんあるので。父さんも何か必要ですか?
 ゲンナージー:いやはや、私が何か必要になるなんてことがあるかね? 私は自分の息子に両替所を、そうただの両替所を継がせたと思ったら、それは一流の銀行会社にまで成長した。いや、ポリシュクさん、両替所を持つだけでは不十分で、天才的な頭を持った息子を生む必要があるんですな。ハッハッハ、違いますか? 会社はまるで国立銀行のように運営され、私は自分の取り分を得ている。だから私に何かもっと必要になるなんてないだろう? 私はお前に「おはよう」を言うために立ち寄った、それだけだよ。(息子の頭にキスをする)
 ブラートフ:ありがとう、父さん。そうだ、伝えたいことが……私は少し疲れたので、1週間ほどどこかに出かけて休暇でも取ろうかなと。父さんに会社の管理を任せたいんだ。
 ゲンナージー:いや、だめだ、だめだ。私は引退した身だ。70になった私が出来るのは自分の取り分を受け取るだけだよ。私が両替所をしていたときには、息子に任せたんだがなぁ。
 ブラートフ:あなたの息子にはちゃんとした頭が付いていましたが、私の息子の頭は残念ながらからっぽ(空の鍋)ですよ。
 ゲンナージー:ハッハッハ、その通り、私の息子には頭が付いていた。でもまぁ大丈夫だ。からっぽの頭にもいつしか中身が入るさ。どんな頭も中身が入るまではからっぽだ。それはそれとして、私は行くよ。あとでまた寄るよ。そのときお前の休暇について話そう。またな。(彼の頬にキスをする)さようなら、ポリシュクさん。(退場)

9場
 ブラートフ:さて、あなたのご用事の番ですね。
 ポリシュク:まずはありがとうございます。おかげさまで、本日、北方西方社で30000儲けました。ただ、製鉄所(鋳鋼)の証券についてはどうお考えですか?
 ブラートフ:私は何も知りませんよ。
 ポリシュク:またまた! 真の銀行家はいかなる時も何も知らない。ただ行うのみ、ですかな。しかし、あなたのちょっとした動きに気づいて、私はすでに300株買いました。私は常々こういっています。「幸せに生まれる必要も、美しく生まれる必要も、賢く生まれる必要もない。ただ賢い銀行家を見つけて、そのジャケットから出ている手を握ればいい」とね。なにやら今日あなたは機嫌が良くないように思えますが? 驚きです、このような成功をしたのに……
 ブラートフ:成功には慣れました。私の仕事は成功することですから。
 ポリシュク:銀行家の粋ですね。(小声で)今日カジノであなたにサプライズを用意しました。かわいいイタリヤ人です。
 ブラートフ:どんなイタリヤ人です?
 ポリシュク:お忘れですか? スケートの3日目にあなたが気に入った子ですよ。それともあなたの心を奪ったのは昨日のハンガリー人ですか?
 ブラートフ:心と何の関係が!……ハンガリー人は退屈でした……ただイタリヤ人の方は忘れていません。彼女は確かにバカじゃなかった。彼女には何か刺激的なものがありました。
 ポリシュク:カブーリ(アフガニスタン料理で使われる辛いソースのこと、ワーニャ伯父さんでも出てくる)! アッハッハ。お気に入りのソースですね……ところであなたのスジェットにも会いましたよ。どこであんな高級車のような女を手に入れたんです? この辺りにあれほどの女性はいない……彼女、私に文句を言っていましたよ。あなたは月に1度しか来なくて、失業者のような気分だって。Vous savez(ご存じ、フランス語)、ムシュー・ポリシュク、私タダでパンを食べるのに慣れてないの……とね。ハハ……
 ブラートフ:あの女にはうんざりですよ。
 ポリシュク:ほう!私もそうだと思っていました。つまり多少の変革が必要ということですな。婚姻無き結婚の散歩にでも参りましょうか。もうあなたの運命はセニョーリナ・カブーリに決まりですかな。ハッハッハ。
 ブラートフ:なんだってあり得ますよ。女性において、国籍など意味を持ちません。
 ポリシュク:女性とお金には祖国を持たない……あぁ、かわいそうなスジェット……とはいえ、あの女もあなたのところでちょっとした資産を作りましたね。教えてください、今ではどの女なんです? あなたと知り合って9年ほどですが、私の目から見ても7人目ですよ。
 ブラートフ:静かに、ここでは具合が悪い。ここにはご婦人がいるんだ。
 ポリシュク:第一に、ご婦人ではなくタイピストです。第二に、あの人からもあなたの良い趣味が分かりますね。彼女もとっても美人だ。
 ブラートフ:まさか、気づかなかった。
 ポリシュク:ほう! 銀行家はいつも本当のことを言いませんね……彼女の瞳は爪痕を残しましたよ……そう、まるで燃え盛る石炭のようで、一瞥されただけで心が焼かれました、ハッハッハ。あなたも注目してください。
 ブラートフ:あなたは同じことばかりだ! そろそろ何か新しいことを思いつくべきですよ。
 ポリシュク:新しいのもまた女性ですが、彼女には本当に長いことかかったんですよ! (電話が鳴る)
 ブラートフ:失礼……
 ポリシュク:私は行きます。夕方までにカジノで、イタリア人も一緒でよろしいかな?
 ブラートフ:ああ、ああ、必ず行くよ。
 ポリシュク:(ドアの方に向かい、コルニーロワのところで立ち止まる)これはマダム、あなたの雇い主は、まだあなたのことをしっかり見たことがないとおっしゃってましたよ。彼に見てもらえるよう頑張ってくださいね……(彼女に一礼し、退場)

10場
 ブラートフ:おしゃべりな男ですまないね。(電話の受話器を取る)
 コルニーロワ:いいえ……大丈夫です……
 ブラートフ:(受話器に向かって)そう、私です……ええ、そう、正確に実行しました。では、あなた宛てに請求書を送ります……ではまた(受話器を置いて電話を切る。デスクに向かって座り、両手で頭を抱え、下を見たまま深く考え込む。それからコルニーロワの方を見ずに話す)もし昨日頼んだ手紙の準備が出来ていたら……
 コルニーロワ:すべて準備できています……(立ち上がって書類を持ちデスクに向かう。書類をデスクに置くが、ブラートフはそれにも彼女にも目を向けようとしない)サインをしていただいていいですか?
 ブラートフ:(我に返り、興奮して頭を上げる)すまない、見ていなかった……
 コルニーロワ:(書類を近づけて)ここに……お願いします。
 ブラートフ:(サインをして彼女に書類を渡しながら、注意深く彼女の顔を見る)失礼……確か、ミス・コルニーロワ?
 コルニーロワ:はい。
 ブラートフ:あなたを推薦したのは、間違っていなければドゥボサーロフでしたよね?
 コルニーロワ:はい、あの人は私の親戚なんです……あの人の妻が私の夫の親類で……
 ブラートフ:ご結婚を?
 コルニーロワ:そんなに驚くことですか? ただ私の夫は……私、未亡人で……
 ブラートフ:ここで受け取る給料はいくらですか?
 コルニーロワ:月に30ルーブルです。
 ブラートフ:このような目を持った女性が30ルーブルのために働くのは、大変な決断が必要だったでしょうね。
 コルニーロワ:それは、しっかり見た、ということですか。
 ブラートフ:私の目は節穴じゃないよ。
 コルニーロワ:ですが、そんなことで火傷をなさならないよう……
 ブラートフ:なんだって? あなたは聞いていたのですか? 私たちは小声で話していたのに。
 コルニーロワ:私の耳は敏感ですけど、あまり聞かれないようにもなさっていませんでした。
 ブラートフ:たしかにそうだ。時にはあなたの存在さえ忘れていた。しかし、そんな場合でもあなたは聞いていた……あなたはあまりに多くのことを知っていますね、ミス・コルニーロワ。
 コルニーロワ:それは私のせいではありません。
 ブラートフ:それにしても、おかしいな。あなたがここで働いて2か月近くになるのに、実際、私はあなたの顔を見たことがなかった。
 コルニーロワ:タイプライターに顔は付いていませんから。
 ブラートフ:しかし、あなたは結局のところ、どこまでご存じなのでしょうね? それを聞くのが私は楽しみです。(書類を持ったドゥボサーロフが入ってきて戸口のところで立ち止まる)今じゃなければだめかな、イワン・ペトローヴィチ?
 ドゥボサーロフ:サインだけです。
 ブラートフ:よこしたまえ。(ドゥボサーロフは書類を渡し、ブラートフはそれにサインする)私は誰も採用しない、自分の関係者以外はね。(どうやら最初のゲンナージーへの頼みごとがブラートフの耳に入ったらしく、たしなめられている)。
 ドゥボサーロフ:了解いたしました。(注意深くコルニローワの方を見て、それから退場)

11場
 ブラートフ:さて、何をご存じです?
 コルニローワ:7番目のスジェットが8番目のスジェットに交換されること。
 ブラートフ:これはこれは! しかし彼女には別の名前があるんじゃないかな?
 コルニローワ:それはどうでも良いことではありません?
 ブラートフ:あなたの言う通りだ。ミス・コルニーロワ、まったくもってその通り。これなら交換する必要がないかもしれない。スジェットなしでもどうにかなりそうだ。
 コルニローワ:それは不可能です。
 ブラートフ:なぜそう思うのです?
 コルニローワ:仕事のできる人間は、いつもの場所にエンピツが無いだけでどうしたらいいかわからなくなります。
 ブラートフ:ふむ……あなたはまだ何かご存じですか?
 コルニローワ:毎晩のように新しい女……カジノ、パリャス、アクアリウム、ヴィラ・ローデ、スペイン人、イタリヤ人、ハンガリー人……あちらでダンスパーティ、こちらで仮面舞踏会(マスカラード)……
 ブラートフ:まったくその通り……あなたは変わった人だ!
 コルニローワ:違うタイプの女性しか知らない人にとっては……
 ブラートフ:私はあなたをすべての視力を使って見ていますよ……しかし、あなたはすべてご存じだ……それをどうお考えですか?
 コルニローワ:広がる海のなか埠頭を探すかわいそうな船。
 ブラートフ:これはこれは!……
 コルニローワ:カジノに通って祈りをささげる人。
 ブラートフ:変わった人だ……もっと話してください!……あなたはこんなにも近くまで私の心に近づいた。どうやったんです? 誰も近づいたことがないのに……
 コルニローワ:私には、その人には7人のスジェットは全員どうでも良く、そして残りの人々にも嫌気がさしているように思えます。
 ブラートフ:なぜそんなことをしているんだろう? それは善意からかな……
 コルニローワ:その人の意思はすべて、ここ、その人が……お金を作り出すこのデスクにあります。向こうではみんな準備をして、みんながああして生きて、その人はみんなに従い、それが自分の意志だと考えている。でもその人は他の人生、他の人々、他の……女たちがいることを知らない。
 ブラートフ:他の人生なんてあるだろうか? あなたは他の人生があると思いますか?
 コルニローワ:まさかあなたには見えないのですか?
 ブラートフ:そう……そのようだ……私はあなたの名前も知らなかった……
 コルニローワ:フリスチーナ……フリスチーナ・ヴラーシエヴナ。
 ブラートフ:フリスチーナ・ヴラーシエヴナ、私たちが話し始めたのは今日ではなく、ずいぶんと前からのように思えますね。
 コルニローワ:2か月。私はあなたと毎日話してきました。私は隅にある自分の席から、タイプライターに向かいながら、あなたを見て、心の中で語りかけました。
 ブラートフ:何と語りかけたんです?
 コルニローワ:毎日、目を覚ましては教会を建て、夜になるとそれを厩(うまや)に変えてしまう人だ……かわいそうな人でどこにも祈る場所がないことを永遠に憂いている。
 ブラートフ:なんてことだ……しかし、まさにその通りだ……私はそんな風に感じていたが、表現することができなかった。それなのにあなたは……なんという存在だろう? どうやってそんなに深く入り込めたのか? どうやって覗き込んだのか?
 コルニローワ:私が覗き込んだのはまったく別の場所だとしたら?
 ブラートフ:どこです? それは?
 コルニローワ:(自分の胸を指して)ここです。
 ブラートフ:なんだって? ただ私には信じられない。あなたに私のような体験ができたはずがない。
 コルニローワ:でももし?(左側のドアからマリヤ・オスカロヴナが入ってきて立ち止まる)

12場
 マリヤ:少しお邪魔してもいいかしら?
 コルニローワ:(控えめに事務的なトーンで)これ以上のご用はありませんか?
 ブラートフ:ああ、のちほど……呼びますよ……(マリヤに)もちろん、構わないよ。
 マリヤ:(デスクの方へ行き、振り返って去っていくコルニローワを注意深く見る)どうやら、あの人もかしら?
 ブラートフ:(焦って)何の話だ?
 マリヤ:ごめんなさい、仕事中にそこのドアから入ってくるのをあなたが嫌だということは分かっています。
 ブラートフ:だいぶ前にそのドアにカギをかけて、そのカギを捨てるように頼んだよ。
 マリヤ:あなたは不公平ね。私は一度も何事においても邪魔をしたことはありません、ウラジーミル。
 ブラートフ:私もその点は評価しているよ。
 マリヤ:今日、あなたのお父さんのせいで、わたし動揺しています。
 ブラートフ:私の父にどんな非があるというんだ?
 マリヤ:あの人はあなたについて、あまりに大きな声で話していたものですから……なんといったらいいのか……熱中して……
 ブラートフ:年寄りはもう手に入らないものについて話すのが好きなんだ。
 マリヤ:昨日、展覧会であの人がポリシュクと一緒にいるところに出くわして。あの人はあなたのライフスタイルに関する卑猥なことを大きな声で話していました。
 ブラートフ:(焦って)ああ、本当か……まったく私と君で約束したのに……
 マリヤ:私は約束は破っていません。あなたのプライベートな生活の邪魔はしません。けれど、それは本当にプライベートなもので、あちこちの壁に貼られたポスターが宣伝するようなお芝居にならないようにお願いします。私はあなたの女性についてそれとなく言われたとしても、怒って否定するので、みんなが私は見当違いをしていると思っています。ですから、私の見当違いがバカげていて、あり得ないようなものだと思われないように力を尽くしてください。このことを約束してください、ウラジーミル。
 ブラートフ:ああ、それは約束できるはずだよ。
 マリヤ:私は一度だってあなたに自分の気持ちを話したことがない、ウラジーミル……
 ブラートフ:そんな会話に私は賛同しない。
 マリヤ:それはわかっているし、受け入れてもいる。でも、私は家族が完全な形(整合性、統一性、完全性、無傷などの意味を持つцелость)であることを守りたいの。
 ブラートフ:完全な形……
 マリヤ:ええ、わかってる、わかってる……こう言いたいんでしょう。完全な形なんてものはもう存在しないって。それは構わない。あなたにとっても私にとっても存在しない、でもブラートフ一家を知る世間の人たちの目にはそれが崩れ去りはしないように見えなければならない。まさか私は間違っている?
 ブラートフ:もちろん、いかなる時も、いかなる場合でもそうだ。
 マリヤ:それに私たちには子供がいる。私たちの息子と娘には家に帰ったら自分の家族のところに来たと感じる権利がある。
 ブラートフ:なんだって……いったいいつ私がそれを認めなかったというんだ? すべて君の言うことが正しいとして、もし私の父がおしゃべりをしていたら努力してみるよ……しかしどうしたものだ、あの口を閉じさせるには?……まぁいい、この話はここまでにしよう……それに……
 マリヤ:当然忙しいものね。見たわ、彼女とてもきれいね。美しい目をしてる。
 ブラートフ:私は一度だって会社の従業員とそんな関係になろうとしたことはないことだけは理解しておいてくれ……それにいつだって……まぁ、そうだな、私は忙しい。それについては君の好きなように考えてくれて構わないが、この話は終わりにしよう。(ベルを鳴らす)
 マリヤ:ウラジーミル、これまであなたはただ不公平だったけれど、今では無礼にまでなった。
 ブラートフ:謝罪しようか。しかし私には会社があって、仕事を進めなければ。少なくとも私には自分の仕事をきちんとやる権利があるはずだ!(ドゥボサーロフが入場)

13場
 ドゥボサーロフ:お呼びですか、ウラジーミル・ゲンナージエヴィチ? (マリヤに一礼する)これは奥様!
 ブラートフ:そうだ、イワン・ペトローヴィチ……ちょっと待っていてくれ……(マリヤに)ちょっといいかい?
 マリヤ:(トーンを変えて)ええ、もちろん! 私は少しの時間で済みますから。あなたが元気で良かった。昼食は家で?
 ブラートフ:わからない。多分……ただ、待たなくていいよ……
 マリヤ:これ以上、お邪魔はしません。(左側から退場)

14場
 ブラートフ:何か仕事中かな?
 ドゥボサーロフ:いえ大丈夫です。4人のクライアントがお待ちですが……
 ブラートフ:その人たちはオフィスの部長に応対させてくれ。
 ドゥボサーロフ:フョードル・アドリフォヴィチは朝食に行かれました。
 ブラートフ:ああ、またいつもの朝食か……あの男は解任せざるをえないな……では4人は君が応対してくれ……
 ドゥボサーロフ:かしこまりました、ウラジーミル・ゲンナージエヴィチ。それから、私から申し上げるには非常に勇気のいることなのですが、お伝えしたいことがあります……
 ブラートフ:ん?
 ドゥボサーロフ:私は誰の不幸も望んでおりません……
 ブラートフ:誰の不幸も望んでいないということを、君は私に伝えたいのか?
 ドゥボサーロフ:いえ、違います……ただもし部長の席が空くというのでしたら……
 ブラートフ:つまり、自分に任せてほしいと? だが、まだその席は空いていない。つまり、この件について言えることは何もない。
 ドゥボサーロフ:すみません……
 ブラートフ:クライアントの応対を頼む。口述筆記を邪魔されてしまった。ミス……あのタイプライターを使う女性を呼んできてくれ。 
 ドゥボサーロフ:フリスチーナ・ヴラーシエヴナですか?
 ブラートフ:たしか、そんな名前だったかな。
 ドゥボサーロフ:今すぐ呼んで参ります。(退場。ブラートフは左側のドアに近づいて閂(かんぬき)でロックする。コルニローワ入場)

15場
 コルニローワ:(タイプライターに近づいて)口述の準備はお済ですか?
 ブラートフ:いやいや、まさか、違います。二人の会話を続けたいんです。きっとどこで中断したかお忘れでしょう?
 コルニローワ:いいえ。私が「でも、もし?」と言ったところでは?
 ブラートフ:そう、そのもしが私には信じることが出来ない。
 コルニローワ:でも、もしそうだとしたら?
 ブラートフ:もし、もし……しかし、どうやってあんなことが? あなたは――オフィスに勤め、1日6時間を費して30ルーブルの仕事を必要としているというのに……
  コルニローワ:でも、わかっていながら、違うと言い切れますか?
 ブラートフ:どうして2か月以上ものあいだ、あなたは退屈なタイピストという職に就いていたのです?
 コルニローワ:私たち女は時々、単なる好奇心から大きな危険を冒すんです。
 ブラートフ:あなたはいつも謎かけをしているのですか?
 コルニローワ:いいえ、謎を解きたいときだけです。
 ブラートフ:努力しようとしましたが……最後にはどうしたらいいか分からなくなる。
 コルニローワ:一瞬にして何もないところから数十万のものを生み出すような人でも、無邪気でずるい女性の前ではどうしたらわからなくなってしまう。お聞きください、あなたはようやく私に目を止め、私の名前も知るようになった。つまり、私はベールの端を少し持ち上げた。退屈を嫌う女が退屈まぎれに、タイプを勉強し、2か月間このすみっこに座ってただ近くでじっくり見ていました。黄金を鋳造してはそれをばらまき、まるでそれが唯一の目的であるかのように、日に日にどんどんと人生に嫌気がさすようになった人を。 
 ブラートフ:人生に嫌気……そう、その言葉が私になじむ……
 コルニローワ:私はあなたの目に映ったものをただ伝えているだけです。
 ブラートフ:2か月間、あなたは私の心なかを読んでいた。私の心は世界に閉ざされていると想像していたのに……
 コルニローワ:ごめんなさい、私はその本(あなたの心)を最初から最後の一言まで読み終えて、どうやら、暗記してしまった。
 ブラートフ:私たちはあまりに二人きりで居すぎたんですね……
 コルニローワ:ええ、休日を除いて毎日。一日も休まずに。
 ブラートフ:あなたは勤勉に30ルーブルを稼いでいた。
 コルニローワ:時々あなたは仕事の手紙を口述しながら、突然黙り込んで、私の存在など忘れて宙を見つめていることがありました。
 ブラートフ:そしてあなたはその瞬間もタダで消費していたわけではなかった。あなたは静かに読書にふけっていた……
 コルニローワ:その本のなかには私にはわからないことが数多くあったと白状しなければいけません。
 ブラートフ:あぁ、つまり、私のすべてがあなたの手のひらの上にあるわけではない。そして、その本がゴミ箱に捨てられてしまわないという希望もあるわけだ。
 コルニローワ:いえ、私はエンピツで余白にたくさんの印を付け、数百のクエスチョンマークを書き込みました。
 ブラートフ:私にいくつか説明をさせてもらえないでしょうか。喜んであなたのお役に立ちます。
 コルニローワ:もしいつの日か私に勇気が足りたときには……
 ブラートフ:ええ、その理解のために、他人に相談する必要はないのですね。しかし、単純な公平性の観点から、あなたの本に私にも目を通す機会を認めるべきのように思えます。
 コルニローワ:私はそれを持ち歩いていません……
 ブラートフ:あなたは安全な場所に保管しているのですか?
 コルニローワ:ただ自分の家の中にいると、私は自然とそうなります。
 ブラートフ:ふむ、ではどうやってそれをしているのでしょう?
 コルニローワ:わかりません。でも、あるお願いのために雇い主の好意を利用させてください……
 ブラートフ:私は元より同意しています。
 コルニローワ:実は1年に一度、誕生日を祝う日に私の力は弱まるのです。ちょうど27年前の5月18日に起きた些細な出来事ですが。ですから、私の雇い主(あなた)はその日にタイピスト無しでも大丈夫でしょうか?ちょうど27年前の5月18日に起きた些細な出来事ですが。ですから、私の雇い主(あなた)はその日にタイピスト無しでも大丈夫でしょうか?
 ブラートフ:それは言うまでもないでしょう。明日、口述は行いません。誰も私のタイピストの誕生日のお祝いするのを禁止なんてできません。
 コルニローワ:それでは、私たちが一緒に祝うことの邪魔になるのでは?
 ブラートフ:それはご招待いただいていると考えてよろしいですか?
 コルニローワ:それはあつかましいにもほどがあります。
 ブラートフ:いえ、そうではなく……私は前もってあなたのお客人たちに敬意を払っていますが、その人たちの誰もが私のクライアントになりえるという考えが私を退屈にさせます……
 コルニローワ:誰一人として銀行屋さんに貸付口座を開かせるようなことはないと保証します……それと同時に彼らはみな、私の本のページ全てではないにせよ、いくつかの行や言葉、カンマやコロンが、あなたの関心をひくと思います。
 ブラートフ:あなたの言う通りです。本は最初から最後まで読まなければなりません。明日の夕方、あなたのお客にはいつもの人数に1人加わるとして……しかし……
 コルニローワ:(さえぎって)あなたの考えを当ててみましょう。もし、あまりにも大きな銀行家ブラートフの名前がもっと平凡なものに変えられたら……
 ブラートフ:すみませんが、それはあなたの考えです。でも私はそれが気に入りました。(コルニローワは微笑む)しかし、あなたは何かをお笑いになるつもりですか?
 コルニローワ:いいえ、私は感動しているんです。2か月、あなたの顔がこんなに明るくて、目が輝いているのを一度も見たことがありませんでした……もしあなたがご自分の頬がバラ色になっているのが見られたなら……
 ブラートフ:それは素晴らしい! つまりまだすべてが滅びてしまったわけではない。地上には目を輝かせるものはある……おそらく誰かはこう考えるでしょう。そんな気分の人間は取引所に向かい、利息を計算し、周りの人間の請求書を取っておいたり、クライアントと対談したり、仕事の手紙を口述するだろうって。違うぞ、ちくしょう! そんなことは誰か別の人間にやらせておけばいい……私はついに長いあいだの夢を実現するんだ。3週間、休暇を取る……少しの間タイプライターの席についてくれますか。今すぐに処理をします。(デスクに向かう)
 コルニローワ:(タイプライターのところに行き自分の席に座る)私の顔に、この席にとって不十分な謙虚さが残っていないか心配です。
 ブラートフ:私はこれ以上そんなことを要求しませんよ。(呼び鈴を鳴らす。ドゥボサーロフがすぐに入ってくる)

16場
 ブラートフ:イワン・ペトローヴィチ、もし戻っていたらオフィスの部長とセルゲイ・ウラジーミロヴィチにここに来るよう伝えてくれ。
 ドゥボサーロフ:それが、まだ朝食中です。
 ブラートフ:それなら、君でいい……
 ドゥボサーロフ:あのー、ウラジーミロヴィチ・ゲンナージエヴィチ。オフィスにはゲンナージー・マトヴェエヴィチがおりますが……
 ブラートフ:それはいい。ここに来るよう伝えてくれ。(ドゥボサーロフ退場)今になってあなたを見て、なぜ2か月あなたを見なかったのかわかりましたよ。タイプライターに向かうあなたの顔はまったくの別人なんですね。
 コルニローワ:私はここではタイプライターの部品(延長)ですから。(ゲンナージー入場)

17場
 ゲンナージー:お邪魔してすまないね。(ブラートフとコルニローワを見る)驚いたね、1時間も二人きりとは……かわいい女性だ、いや何でもありません。(コルニローワに)あなたをかわいいと言ってしまったことをお許しください。ただの老いぼれですから、ハッハッハ……しかし、まぁもちろん……女性たちはいつも許してくれますが。
 ブラートフ:それにご老人はいつも余計なおしゃべりと……それはそうと、父さん……(彼を脇の方に連れていき、小声で)朝がた、ここに妻が来たんだ。彼女は父さんに私の不義理(不貞)を大きな声で話さないよう頼んできたよ。
 ゲンナージー:え、あぁ、そうか……ハッハ! それがどうしたんだ? 冗談を言ったんだ。二人を養えないような男には一人の女で充分だが、もし何十人にも払えるような男ならいったい何の問題がある? そういっただけだよ。そう、老人のたわごとだ。しかし、お前の妻は自分のことだと受け取ったか、お前のことを言っていると思ったんだな。
 ブラートフ:妻がデリケートなことはあなたもご存じでしょう。
 ゲンナージー:わかってる、わかってる、だから言ったんだ……ハッハッハ……まぁ、いい、いいさ……もう言わないさ……お前はセルゲイを呼んだのか? そうだ、旅行に行くんだろう? 長いことか?
 ブラートフ:3週間です。それでも、ぜひ、ここに立ち寄ってくだされば。(セルゲイとドゥボサーロフが入場)

18場
 セルゲイ:僕を呼びましたか……
 ブラートフ:私は明日から3週間休暇で外出する。オフィスはお前に任せる。必要な時には、おじいさんがお前にアドバイスするだろう。私はお前を信頼している、セルゲイ、それが正しいと証明してくれ。
 セルゲイ:(ビックリして)もちろんだよ、パパ……僕は……当然さ。
 ブラートフ:私は部長には不満があるから、きっとあの男を解雇することになるだろう。しかし、それでもイワン・ペトローヴィチは仕事を知っているし、お前を助けてくれるだろう。
 ドゥボサーロフ:(丁寧に彼に一礼する)ありがとうございます、ウラジーミル・ゲンナージエヴィチ。
 ブラートフ:少し会計の時間が必要だ。
 コルニローワ:(立ち上がって)失礼ですが、その間、仕事のお休みをいただいてもよろしいでしょうか……
 ブラートフ:どうぞどうぞ、もちろんです。ミス・コルニローワ、お休みください。
 セルゲイ:でもパパ、僕にもタイピストが必要なんだけど……
 ブラートフ:お前は別の人をオフィスから使いなさい。行きましょう、イワン・ペトローヴィチ。(退場、ドゥボサーロフは彼に付いていく)
 ゲンナージー:(セルゲイの肩をポンと叩いて)そう、お前は別の人を雇わないとな……ハッハ……コルニローワさんは美しすぎる瞳をお持ちなんでな……別の人を雇わんとな……ハッハッハ……!(退場)

19場
 セルゲイ:3週間、3週間だ! 聞きましたか、フリスチーナ・ヴラーシエヴナ。私には丸々3週間あるんです。
 コルニローワ:あなたはお父上を一文無しにするには充分な期間だとお考えなのですか?
 セルゲイ:そんなことは簡単には行きませんよ、マダム。あなたは私たちがどれだけ金持ちなのかご存じない。
 コルニローワ:今ではそのことは世界中が知っています、そうではありませんか?
 セルゲイ:まぁ、私にはどうでもいいことです。しかし、あなた、あなたも……まさかあなたもちょうど離れるんですか? 残ってください! お願いです!……あなたが一生忘れられないような3週間を私たちは過ごせますよ。
 コルニローワ:(書類を取り、デスクの方へ向かう)あなたのおじいさまはこう言っておられました。コルニローワさんは美しすぎる瞳をお持ちだから、お前は別の人を雇いなさい……あなたは別の人を雇わなくてはね、セルゲイ・ウラジーミロヴィチ(ブラートフ入場)

20場
 ブラートフ:どうしたんだ?
 セルゲイ:僕はコルニローワさんに残ってほしいんだ……彼女は経験もあるし……手紙の形式も良く知っているから……
 ブラートフ:ミス・コルニーロワには休暇を与えた。私は自分の決定を覆すような習慣はない。セルゲイ、会計係がお前を待っている。
 セルゲイ:わかった、行くよ。(退場)
 コルニローワ:今日はもうタイプライターを閉じてもいいですか?(タイプライターを閉じて、しまう)
 ブラートフ:ええ、ええ、さて最低でも3週間だ。そして、明日にはあなたの生活を見ることもできる。招待状にはまだ効力がありますよね?
 コルニローワ:ええ、もちろんです。でも、招待状は銀行家ブラートフから取り上げて、ミスター……(考えて)。そう、建築家のベレースキン(ブラートフに偽名を付けている)にお渡ししましょう。もしあなたの好みに合えば。
 ブラートフ:素晴らしい! 建築家ベレースキン?……私は建築家ベレースキンが気に入りました、今日はすべてが好ましい。あなたは私の目が輝いているとおっしゃいましたよね?……私の目はもうずっと長いあいだ燃えることはなかった。今、私には何か自分の人生に新しく美しいものが始まるような感覚がある……どう思いますか?
 コルニローワ:私も同じように感じ始めています……
 ブラートフ:しかし、こうなると多くの時間を無駄にしたことが悔しいですね。あなたも2か月前にこれが始まっていればと残念に思いませんか?
 コルニローワ:いいえ、残念ではありません……
 ブラートフ:どうしてです?
 コルニローワ:新しく美しい……それは良いことでしょう。でも、もし2か月前に始まっていたのなら、それは今ではもう一つの想いでになってしまったのでは?……
 ブラートフ:おお!


 

 
 
 

これから少しずつ訳していきます。文字が現在のものではなく、旧字体なので時間がかかりそうです。

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