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ジェフ・ベックの訃報に肩を落とした私が聴いた曲。#今年のふり返り

「#今年のふり返り」というお題で書こうとしたのですが、自分のことよりも先に「著名人の訃報が多かったよなぁ」と思いあたりました。

日本ではシンガーソングライターの谷村新司さんが10月、KANさんが11月に亡くなりました。

海外では1月にギタリストのジェフ・ベックが78歳で亡くなり、年明けから世界中の人々が悲しみに暮れたものです。

早いもので1月10日の命日まで2週間を切りました。

ジェフ・ベックの思い出

私は高校のときにエアロスミスのアルバム『ロックス』(1976年5月)を買ってハマりました。すでにギターを練習していたのでジョー・ペリー が弾く鋭いギターフレーズに酔いしれていたのです。

そのジョー・ペリー が、レコードのライナーノーツかギター雑誌のインタビューで「好きなギタリストはジェフ・ベック」だというではないですか。

「ジェフ・ベックってそんなにすごいのか」

全く予備知識なしで買ったのがライヴアルバム『ライヴ・ワイアー』(1977年)です。ジェフのバリエーション豊かなギターサウンドと予想できないタイミングでカウンターのように入る斬新なフレーズ。私はその凄さに背筋がぞくぞくしましたが、友だちに貸したところ「ようわからんやった」という反応だったので、万人受けはしないのかもしれません。

『ライヴ・ワイアー』はジェフの最高傑作といわれるアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』 (1975年)の収録曲「フリーウェイ・ジャム」や「スキャッターブレイン」などを中心にライブ演奏したものです。

1975年のライブより「フリーウェイ・ジャムᐳデフィニットリー・メイビー」

ヴァン・ヘイレンのエドワード・ヴァン・ヘイレン(2020年10月逝去、享年65)もインタビューで「練習するときはジェフ・ベックのフリーウェイ・ジャムなんかをカバーしているよ」と話していました。

私も『ブロウ・バイ・ブロウ』 が代表作だという声に異論はありません。ただ当時はボーカリストのロッド・スチュワートがお気に入りで、第一期ジェフ・ベック・グループのアルバム『トゥルース』(1968年)や『ベック・オラ』(1969年)をよく聴いたものです。

ロッド・スチュワートはメンバーに入っていませんが、ドラムスにコージー・パウエルを起用した第二期ジェフ・ベック・グループのアルバム『ラフ・アンド・レディ』(1971年)は私の中でジェフのベストアルバムとなりました。

ジェフは『ブロウ・バイ・ブロウ』 以降、ソロで注目を集め数々の名盤を残しています。1985年には久々となるジェフ・ベック&ロッド・スチュワートのシングル『ピープル・ゲット・レディ』(インプレッションズのカバー曲)をリリースしました。

私はこの『ピープル・ゲット・レディ』を最後に、ジェフ・ベックの動向にあまり注目しなくなったのですが、来日ライブを行うなど元気に活動していることは見聞きしてました。

ロッドが盟友らしい追悼コメント

報道によるとジェフ・ベックの公式SNSで家族から「細菌性髄膜炎に突然感染し、昨日安らかに息を引き取りました」と投稿があったそうです。

まだ正月気分が抜けきらないなか、訃報を知って言葉に成らない喪失感に襲われました。

ロッド・スチュワートはインスタグラムにベックとの2ショットを投稿。

「彼は60年代後半にジェフ・ベック・グループのバンドで私とロニー・ウッドをアメリカに連れて行った」と振り返っています。

「彼はライブで演奏するときに、実際に私の歌を聞いて反応してくれる数少ないギタリストの一人でした。ジェフ、あなたは最高だった」

盟友でならではのコメントで追悼しています。

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今年1月に訃報を知った日、私は次の3曲を聴きました。

第一期ジェフ・ベック・グループ『トゥルース』より「You Shook Me」


第一期ジェフ・ベック・グループ『ベック・オラ』より「Spanish Boots」


第二期ジェフ・ベック・グループ『ラフ・アンド・レディ』の「ニュー・ウェイズ/トレイン・トレイン」は公式ではないため、こちらには貼りません。私の音楽ブログで聴くことができます。


最後までお読みいただきありがとうございました。ジェフ・ベックを追悼する際に選曲する参考になると幸いです。

#ジェフ・ベック #追悼 #ロッド・スチュワート #今年のふり返り


※タイトル画像は『JEFF BECK HP』より


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