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五月祭 消えた虚しさ 底知れぬ

はじめまして、UTFRのノートン(文科3類一年)です。いつもとはちょっと雰囲気が違った記事ですがご賞味あれ。

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※この記事はある一年生が五月祭が無くなってしまった(正しくは無期限延期)ことに対する気持ちをただただ吐露しているだけである。普段のようなアカデミック、高尚、役に立つ、徳の高い記事を期待の読者はあまりの低俗さに失神しかねないので閲覧の際は気を付けて欲しい。また意見、質問、オブジェクションはあんまり受け付けてないので悪しからず。


5月17日日曜日、気温27度、快晴

本来ならば昨日と今日は五月祭だった

この五月晴れの中、特製Tシャツを着てクラスメートと汗を流しながらベビーカステラを売り、高校や浪人時代の友達にたかられて迷惑そうな顔をしつつ内心ワチャワチャできる嬉しさを噛み締め、はたまた悪友とナンパ対決をして夢中になりシフトを忘れ五月祭委員に小言を言われ、そーいえばALESAの課題が終わってなかったことを思い出して一瞬ブルーになるが、活気あるお祭りの雰囲気と雲一つなく青く晴れ渡る空をみて、受験が終わったんだという気持ちを限りなく味わっていた、

はずだった。


現実はどうか

季節外れの暑さを呪い、たった一人で目の前の時計がカチコチ鳴るのを聞きつつ、6畳の自分の部屋にタイピング音をただ響かせているだけだ。(ALESAの課題が終わってないことに頭を悩ませているのは同じである。哀しい)


一言言わせてもらいたい


な に こ れ?????????


なんで、どうして?

意味がわからない

なぜよりにもよって僕たちなの???

合格した後からあっらゆるイベントがなくなって、最後のとりで的な立ち位置だったんだけどその五月祭まで消え失せるなんて、もーーーー最悪。

いや、仕方ないことだからさいいんだけど。いいんだけど

なんかこう報われないよねー。

嗚呼、虚しい。虚しすぎる。

・・・・・・はて、なぜ虚しい?


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むなし‐い【空しい・虚しい】《形》 からっぽだ。内容がない

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勿論世の中で多くの人が僕らよりずっと理不尽な状況に陥っていて、

「たかが学祭の一つが無くなったくらいでどーのこーのいうんじゃありません!」

って言われそうだけど、だからと言ってこの気持ちを飲み込んで口をつぐんでしまうのもどうかなぁと思う。

実際僕は五月祭ってのは受験生を大学生へと変える一種の教育装置だと思ってる。

点数や偏差値を絶対の尺度にしてきた僕たちを、その価値観から脱却させある意味”普通”の人間に戻す絶好の機会。(一定数は抜け出せないようだけど)

一筋縄ではいかない人間関係とかちょっとした社会の仕組みとか物づくりとかを通じて、長きにわたるお勉強生活ではなかなか得られなかった”何か”で、空っぽでモノクロになってた心を色鮮やかに満たせる場。

それが失われた今、なんとなくだけどまだ受験生を引っ張っている気がする。大学の勉強を受験の延長線上で考えている節がある。まだ僕の世界は彩りが少ない。

あくまで自分の感覚だし、その事実が良いとか悪いとかいうつもりは無い。

ただこれが僕たちにどんな影響を与えるのか気になるところ。(みんな遊ぶ機会をなくし真面目に勉強しすぎて底点が爆上がりするかも、しれない。コワイ)


兎にも角にも、虚しさの正体が分かった気がする。ちょっと五月祭を美化し過ぎた気もするが、要はまだ空っぽなのだ。流す汗、疲れ、苛立ちそして笑顔が埋めていくだろうスペースがまだ空いている。

だが心配はいらない。なんといっても駒場祭がまだある。というか五月祭が七月に開かれる可能性もなくは無い。この空白が埋まっていくだろう過程を楽しみに取っておける。

もし五月祭が本当になくなり駒場祭も無くなったら、僕は絶望のあまり玉川上水に向かい見聞などはばからず友達と一緒に飲み明かすだろう。






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