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ロリータ・コンプレックス

あらすじ

引きこもり歴12年のおじさんが、
12歳の姪っ子に翻弄されたりする
ちょっと変わった家族の話。

――――――――――――――――――――

他サイトでも重複掲載。
https://shimonomori.art.blog/2022/05/04/loli-komp/

※本作は横書き基準です。
 1行23文字程度で改行しています。

その他の作品の案内。
https://shimonomori.art.blog/2022/04/30/oshinagaki/

――――――――――――――――――――

(1/17) 姪、リナ。


――――――――――――――――――――


「おじさん、これなぁに?」


と、めいのリナがいたずらっぽく笑い、
持ってきたのはコンドームの箱だった。


彼女の叔父おじであるコータが脱衣所の棚に置いて、
時折ときおりひとりで使用しているものを
リナが見つけだして部屋まで持ってきた。


なに、と問われて答えられるものではなく、
ヘビににらまれたカエルのごとく、
コータは顔に脂汗あぶらあせを浮かべて
鳴き声すらでなかった。


「きゃはは。きもーい。」


彼女はいつものようにコータを笑い、
箱を投げ渡して部屋を出ていった。


「6年生のリナちゃんが、
 避妊具なんて知らないはずないわよ。」
と、のちに母にまで言われる始末であった。


そうして今日もひとつ、コータの秘密が暴かれた。


コータは呆気あっけにとられ、
ため息を深く吐いてから
学習机の液晶モニタに向き直った。


12年間引きこもりを続けるコータは、
同居するリナに今日もからかわれる。

――――――――――――――――――――

(2/17) 肩身の狭い同居者。


――――――――――――――――――――


まだ幼さの残るふっくらとした顔にまるい目、
細く明るい髪のリナは、コータの兄の娘であるが、
運がいいことに父親にはあまり似ていない。


姪のリナとの同居は、
コータの預かり知らないところで決まった。


「今日から一緒に暮らすことになったから。」
と、コータの両親、つまりリナにとっての
祖父母が、コータの住む家に連れてきた。突然。


かわいい盛りの孫娘まごむすめ
両親は過剰かじょうなまでに甘やかし、
予想通りコータの肩身かたみはますますせまくなった。


リナは隣の兄の部屋を使っているので、
せきひとつ、物音ひとつにさえも気を使う。


さらに食事、風呂、トイレなどの生活の中で、
廊下を歩くだけでもリナの視線がつきまとい、
彼女はコータの部屋にまで平気で侵入してくる。


なにかしゃべればリナに笑われ、
部屋にやって来てはからかわれ、
食事中などはにらみつけられ、足蹴あしげにされる。


12歳の女の子の言動など理解できるはずもない。
コータの生活は常におびやかされた。


引きこもりとしての面目めんぼくは丸つぶれだった。


――――――――――――――――――――

(3/17) 引きこもり、コータ。


――――――――――――――――――――


斑咲むらさきリナ、12歳。
虫崎むしざきコータ、引きこもり歴12年。27歳。


陳列ちんれつされたこの事実が、コータを苦しめる。


兄の子供が大きくなった月日の早さと、
引きこもっていて12年も経っていたことが
なにより恐ろしかった。


リナはコータの兄、ヨースケの娘である。


兄のヨースケはいまのコータとは真逆の
陽気ようきな性格で、大学を卒業して就職し
すぐに子供を作って結婚した。


相手が虫の入った『虫崎』という名字みょうじを嫌って、
兄が婿養子むこようしとなったのはいい選択だと思う。


虫崎家に嫁入りした母親もやはりこの名字を
好いてなかったようで、ふたりを後押しした。
ついでにコータも名字に苦労した過去がある。


いまではさずかり婚と呼ばれるが、
なんと相手は6つ年下の16歳。


当時のコータと同い年の子だったのに驚いた。


そのときのコータといえば、
高校デビューに失敗し、中退し、
めでたく引きこもりを開始した。


それから現在にいたるまでこの状態。


コータがいまも健勝けんしょうに引きこもれているのは、
高校中退後に両親を説得してくれた
兄のヨースケのおかげだった。


そんな兄は6年前にこの世を去った。

――――――――――――――――――――

(4/17) 働く引きこもり。


――――――――――――――――――――


「父さん、組合長の話は、やっぱり無理です。」


「ん、そうか。今度の旅行んとき説得しとく。」


「よろしくお願いします。」


「ねぇ、なんの話?」


食事中に、仕事の話をするべきではなかった。
興味きょうみぶかげにリナが質問する。


我が家の和食ばかりの食事にきたのか、
リナのはしの進みは遅い。


料亭りょうていで働いていた母の作る
さわらの照り焼きは今日も美味しく、
コータはリナの質問など無視して食事に集中した。


「あぁ、コータが商店街の
 ホームページ作ってんだよ。」


「ウェブサイト…。」


「そんなことやってるの?」


リナがまたにらんでくる。


コータは引きこもり歴12年のベテランである。


伊達だて酔狂すいきょうで引きこもってはいない。
一応、年齢相応のかせぎもあるにはある。


「ECってやつはやっぱ無理なのか。」


「いーしー?」


「通販サイト? の略だよな。」


正しくは電子商取引イーコマースの略だが、
コータは否定せずに首肯しゅこうした。


「そのいーしーってなにがムリなの?」


「後でメールします。」


コータは説明する気がないので、
父に向かってそれだけ伝えた。


「いま! 教えて!」


「コータ。」父はリナに甘い。


母も黙ってあごをしゃくり説明をうなが四面楚歌しめんそか


「こ、個人で責任を負うにも、
 やっぱり、限界があるんですよ。
 お客さんの個人情報とか。セキュリティとか。
 お金のやり取りですから…。」


「まあそうだよな。
 そんなら企業のサービス使ったほうが
 よっぽど安全だわな。」


コータのとなりで、話を聞いてなお
つまらなそうにしているリナが
机の下で足をってきた。


――昔はあんなに可愛らしかったのに。


――――――――――――――――――――

(5/17) 秘密の質問。


――――――――――――――――――――


リナと最後に会ったのは、
兄ヨースケの葬式そうしきの日だった。


まだ6歳だったリナは、
式の間はコータのお腹に
ずっとしがみついていた。


似合わない喪服もふく姿のコータを
父親の面影おもかげに重ねていたのか。


幼くして親を亡くした子供の気持ちは、
あの場の誰にもわからなかった。


6年の歳月は残酷ざんこくなものがあった。


あの幼く可愛らしかったリナは、
たくましく成長してやんちゃに育った。


コータは兄の死後6年経っても引きこもりで、
リナは複雑な事情を抱えても毎日学校へ通い、
祖母そぼとともに買い物にも出かける。


そこに生まれや年の差など関係もなく、
コータにとって彼女はまぶしすぎて
直視のできない存在感を放っていた。


「おじさん、いくつ?」


「えっ?」


「年齢だって。」


「あ、…27です。」今年でもう28歳になる。


「血液型は?」


――パスワードでも聞いているのだろうか?


そんな疑問がふと思い浮かんだが、
誕生日や血液型をパスワードに設定するほど
コータのネットリテラシーは低くない。


オー型です…。」


「おじさん、パパと一緒なんだ…。
 マクラくっさ…。カレー臭?」


コータの仕事中にも関わらず、
リナは部屋にやってきてベッドで寝そべり、
他愛のない会話を求めては、
その会話を一方的に拒絶きょぜつされる。


「おじさんなんでそんなことやってるの?」


と、リナにたずねられたが、
コータは返答にきゅうした。


コータの父がかたわらで営業の仕事をして、
コータは地元の商店街でウェブサイトの管理や、
折込おりこみチラシ、店内のメニュー作りなどを
手掛けている。すべて父親のコネのおかげだ。


コータがなぜそんな仕事をできるのかといえば、
生前、兄のヨースケが、
「引きこもるなら手に職をつけたらいいぞ。」
と、アドバイスをしたからだ。


高校中退後のコータは、
将来が不安でどうしようもなかった。


その不安を解消するための行為を、
ヨースケが提案してくれた。


しかしいまは、両親は定年間際であるし、
世話焼きで頼れる兄とは今年で同い年になる。


モラトリアムの延長に過ぎないかもしれない。


そんな事情を端的たんてきに説明するための、
上手く取りつくろう言葉が見つからずにいる。


「マクラ洗って。」


しかしリナはコータにまくらを投げつけて、
部屋を出て行ってしまった。


――――――――――――――――――――

(6/17) 雪原の地雷。


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七夕たなばた。ってまだ先じゃん。」


リナが雪原のようなほぼ白紙のドキュメントを、
後ろからのぞき見てつぶやいた。


いつものように、リナは勝手に部屋に入ってくる。


一時いちじはカギを掛けたこともあったが、
扉を叩かれ、廊下で騒がれてあきらめた。


引きこもりのヒエラルキーは最下層。
無駄な抵抗であった。


7月になると商店街に七夕のもよおしがある。
ゴールデンウィークが明けると、
そのイベントのポスターやチラシを作るために
企画を提案ていあんしなければならない。


という説明はコータはしたくない。
黙って前年の企画書を開いてうなった。


こうした企画で商店街への
集客が増えたのであれば、
コータ自身の評価につながる。


七夕は五節句せっくのひとつで、年に一度、
7月7日に織姫おりひめ彦星ひこぼしが巡り合う日とされ、
短冊に願いを書いて笹に飾るなぞの風習がある。


商店街では例年、通りに大きな笹を飾り、
短冊に願いごとを書いてもらっている。


織姫をイメージした呉服ごふく屋自慢の着物を、
通りに展示するのが定番だった。


来客者向けのくじ引きに
各店舗から寄せ集めた景品けいひんなども用意しているが、
梅雨つゆ時の雨続きで思った集客は得られなかった。


去年作った天女てんにょ羽衣はごろもこと商店街謹製きんせいタオルは、
在庫の山と化し、新たに誕生した在庫問題を
放置して1年が経過した。


「つまんないの。」


「痛っ!」


不満をあらわにしたリナに肩を軽く叩かれ、
コータは地雷地雷を見事に踏み抜いた。


考えれば怒られて当然だったが、
リナは別のことで叩いたに過ぎなかった。


――――――――――――――――――――

(7/17) 姪からのダメだし。


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リナの母親はリナを残し、男と共に蒸発じょうはつした。


コータはそんな事情を探りはせず、
それとなく察している。
当然、干渉かんしょうすることではないことも。


親権についてトラブルは発生していないし、
転校手続きもコータの母親が手早く済ませていた。
手際のよさはさすが2児の母だった。


そんなわけで、
一切を預かり知らぬコータ自身は
リナに対してなにかしてやれることもなく、
引きこもりを継続けいぞくしている。


七夕たなばたなんて子供だましじゃん。」


短冊に願いごとを書いて飾る。
小学6年生にもなると、
そんなことが児戯じぎにも思えるものか。


コータは過去の自分に照らし合わせたが、
遠い記憶はひどく曖昧あいまいだった。


それに男女の逢瀬おうせのために
親に捨てられたリナからすれば、
七夕などは不快感が勝るのかもしれない。


「商店街っていつもグランマと通ってるけどさぁ。
 笹飾ったからってひと増えるわけないじゃん。」


リナは祖父母のことをグランパ・グランマと呼ぶ。


リナの至極しごく真っ当な意見に、
コータは自然とうなずいた。


「どこでもやってるイベントなんて
 有名な観光地じゃないんだし、
 もっと地元のお客さんのこと、
 考えないとダメじゃんさ?」


リナの言葉にコータは目を皿にして驚き、
自分の考えを改めた。


「あ、ありがとう。」


「おじさんのカレーくっさいマクラ洗って!」


お礼の返事に、今日もまくらを投げつけられた。


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(8/17) 夜中の侵略者。


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――リナがなにかを言っている。


リナの気配を感じたが、夜中ということもあり、
コータは無視して動画をながめていた。


「痛っ!」やはり肩を叩かれた。


「ねえ! 無視しないで!」


横を向くと、そこには半泣きのリナがいた。


「ごめんなさい。なんですか?」


ゴキブリが出ても騒がないリナが、
大きな抱きまくらを抱えてやってきた。


「なんで無視したの?」


「えっと…。勉強してて…。」


動画は英語の教材で、
ヒアリングに集中しながら
タブレットに筆記を行っていた。


無線イヤホンを取って、
コータは素直にあやまった。


「英語? しゃべってみて。」


「喋れませんよ。」


「じゃあなにしてたの? えっちなこと?」


「ちがっ、違います。」


リナは時折ときおり変な話を振る。
生理や陰毛の話や、以前のコンドームなど…。
コータを困らせる話題ばかりだった。


そんな時、コータは困って沈黙ちんもくすると
リナは肩を叩いてあきらめてくれる。


こんな夜中にやってきたのだから、
今日はそうではないらしい。


「じゃあなんか喋って。」


リナはベッドで横になって、
無茶振むちゃぶりをする。


コータとしては姪を相手に、
話をすることは一切ない。


両親相手でも仕事と家のこと以外で、
会話をすることもなかった。


とはいえ、無視した自分も悪いので、
声をひそめて話をした。


「えっ…と、英語の勉強は、
 観光地のお店のメニュー作りで。
 英語にするだけだと伝わらないから、
 料理の説明文を加えるようにしてるんです。」


「お仕事の話ぃ?」


「なんで?」コータは困惑した。


「もーいいよ。続けて。」


少し笑いながらリナは目を閉じて、
うんうんとうなずく。


コータはタブレットに目を落として、
仕方なしに仕事の話を繰り返した。


いまやってる仕事の内容や、
悩んでいることを口にしてみると、
情報が整理できて、またメモを取る。


気づけばリナはそのままベッドの上で寝てしまい、
引きこもり唯一ゆいいつの居場所を失ったコータは
リビングのソファで一夜を明かした。


――――――――――――――――――――

(9/17) 運転手兼、引きこもり。


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コータは車で両親を駅まで見送った。


両親と組合長ら夫婦とは旅行仲間で、
隔月かくげつペースで旅行をする旅マニアだ。


神社仏閣じんじゃぶっかく巡りの次は
城跡じょうせき巡りが熱いらしい。


「おじさん、運転できたんだ。」


「…きみのお父さんのおかげでね。」


残念ながらリナは旅行に同行せずに、
今日ひと晩は、ふたりで過ごすことになった。


コータは自動車免許は、
兄のヨースケから自動車学校に通う
資金の提供を受けたからである。


自動車学校への送迎も買って出るほど、
年の離れた弟思いの、世話焼きな兄だった。


引きこもりといえど、こんな地方では
どこへ行くにも車は必要になってくる。


「これからどこ行くの?」


「帰りますよ。」


「えぇーつまんない。つまんない。」


信号で停車を確認してから、
助手席からコータの肩をぽこぽこ叩いてくる。


――帰りたい。


「わたし、あそこ行きたい。ケレス?」


「あーショッピングモール…?」


ケレスは地元の大きなショッピングモールで、
引きこもりのコータにはえんのない場所だ。


「なにか、欲しいんですか?」


「服とか靴とか、ヘアアクセとか、あと下着ぃ。」


「そういうの、母さんに頼んでください。」


「はー? もーまじ、つまんない。」


リナは祖父母に対して猫をかぶる。
当たりがキツいのはコータに対してだけである。


コータはため息をついて進路を変えた。


彼女の機嫌をそこね、またベッドを占領せんりょうされては
コータも困るからだった。


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(10/17) 笑顔のリナ。


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「おじさん、もっとオシャレしたら?」


「必要ないから。」


コータはいつものよれよれのパーカーに、
だぼだぼのゆるいデニムパンツ。


ショッピングモールというのは
アラサーの独身男がこんな格好で、
少女を連れて歩ける場所ではなかった。


リナに指摘されてコータは恥ずかしくなってきた。


「わたしが見つくろってあげる。」


そう言って持ってきたのが、
派手はでりゅう刺繍ししゅうの入った黒色のシャツで
いつものようにコータは笑い者にされた。


「似合わなーい。」


「それなら、持って来ないでくださいよ…。」


「えぇー、いいじゃん。次これ着て。」


「それより、ご飯はどうします?」


「なんか作って。」


「デリバリーじゃダメですか?」


「わたし、ハンバーグ食べたい。」


家ではあまり出てこない洋食の注文。
ハンバーグ程度の料理ならコータでも、
作れない気がしないでもなかった。


「あ、レトルトでいいですか?」


「ダメ。」


満面まんめんの笑みを向けられ拒絶きょぜつされた。


ふたりは1階のスーパーに寄り、
コータはレシピサイトを見ながら材料を調達する。


「ハンバーグは、なに肉?」


「もー。」


「お高い…。」


カゴに入れられた牛ひき肉の値段に目をうたがった。
コータはあとでそっととり肉と変えておいた。


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(11/17) 知らない知り合い。


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「あれ?」


コータがリナとはぐれたことに気づいたのは、
会計のためにレジに向かうときだった。


「車は入り口近くだし、大丈夫…かな。」


12歳なら迷子になっても、
自分でなんとかできる年齢だ。


――と思ったが、
12歳のころの自分を思い返せば
いつまで経っても自分を迷子と認めず、
躍起やっきになって家族を探し回った
恥ずかしい記憶がよみがえった。


――さっさと会計を済ませよう。


コータはそう考えてレジに向かうと、
女性店員に呼びかけられた。


「ムシくん?」


虫崎むしざきコータをそう呼ぶひとは限られている。


コータは相手の顔をチラと見て、
背中にワっと汗が湧き出た。


「や、矢那津やなつ…さん。」


「おーやっぱそうじゃん。
 ひさしー。てか変わってないねぇ、ムシくん。」


十数年ぶりの対面。
高校時代の同級生は当時のままの明るい髪で、
大きな目をした美人だった。


「あっ…。」財布を取り出す手が震える。


コータは引きこもりだが、
外出を積極せっきょく的にしないだけで
日常生活はこうしてそれなりにできている。


しかし忘れていた。
外には昔の自分を知るひとがいる。
それを恐れていたことを。


矢那津やなつアイはコータにとって、
一番会いたくない人物だった。


「いまなにやってんの?」


「あっ…買い物…です。」


「知ってるー。仕事だって。」


「えっ…。あの…。」


「キョドってんの? なに?」


「いえ…。すっ、すみません…。」


「おじさん! 勝手にどっか行かないでよ。」


そこへはぐれていたリナがけ寄ってきた。
しれっとお菓子をカゴに入れた。


「えっ? ムシくんの子供?
 にしては…なに…? お小遣こづかいあげてるやつ?
 ははーん、もしかして誘拐ゆうかい?」


ちがっ…。」


矢那津やなつ冗談じょうだんめかして言われたが、
即座に否定しようにも言葉が途切れた。


「おばさん! コータのなに?
 客に対して失礼過ぎない。」


「お…?」リナに言われて矢那津やなつの顔が引きつる。


「…すみません。ごめんなさい。」


コータは頭を深く下げ、
コイントレーに新札を置くと、
ケンカごしのリナのくちをふさいで
サッカー台へと逃げた。


――――――――――――――――――――

(12/17) コータの弱点。


――――――――――――――――――――


「痛っ!」リナに指をまれた。


「なにすんの! 変態! ケーサツ呼ぼっか?」


怒っている彼女にコータは首を振る。


「あの…大きな声、出さないでください。」


「だってあいつが悪いんじゃん!
 コータのことムシだとか
 ユーカイ犯って言ったし。」


「知り合いだから。冗談じょうだんです。」


「あのおばさん、店員なのに、
 なんなのあのアレ!」


バカにされ、怒りが収まらない様子のリナに、
コータはなんだか冷静になって、
いつもの口調でゆっくり話した。


「客だからって店員さんに対して、
 えらそうに振る舞えるわけじゃないです。」


「だってあっちがバカにしてきたじゃん!」


「僕はバカにされてません。
 リナさんはバカにされたら、
 同じように振る舞うんですか?」


「コー…おじさんのせいで、わたしが
 変な目で見られるのがイヤなの!」


リナはそれらしい言い訳を並べて、
そっぽを向いた。


リナの言う通り、コータは自分の姿を見て、
もう少し身なりを整えようと思った。


「ムシくん。」


「あっ。はい…。」


「これ、おつり、とレシート。」


「あ…、すみません。」


矢那津やなつから離れるために、
釣り銭を受け取らずに
さっさと帰ろうとしたのだが、
意図いととは逆に引き止められてしまった。


親戚しんせき?」


「…め、めいです。兄さんの。」


「そう、お兄さんの娘さんだったんだ。」


「なに、おばさん。パパの知り合い?」


「ううん…。
 おばさんって呼ぶのやめてもらえる?」


「おばさん、いくつ?」


「…にじゅぅ…5歳。」


「今年で28ですよね…。同い年なのに、
 なんでサバ読んだんですか。」


「アラサーおばさんじゃん。」


「リナさん。やめてあげてください。」


矢那津やなつ見栄みえを張った自分をじて顔をおおった。


「だってそうじゃん。」


「リナさんだって、いつまでも
 子供扱いされたらイヤですよね。」


「うん…。そうだけど…。」


コータ自身、いつまでも実家暮らしというだけで
揶揄やゆされたり、発言をさまたげられた経験がある。


リナは自分に対しそんなことを言わなかったので、
矢那津やなつ揶揄やゆした態度を責めた。


「すみません。お仕事の邪魔じゃまをしてしまい。」


「ううん。大丈夫。
 ムシくんまた来る?」


「え…?」できれば来たくはないのが顔にでる。


「じゃさ、連絡先教えて。」矢那津やなつは押しが強い。


「はい…。」


コータは異性いせいの押しにめっぽう弱い。
ウォーターサーバの訪問販売が女性だったので、
勝手に契約をしてしまった失敗もある。


コータはこんなときのために、
財布にしのばせた名刺めいしを取り出して
おどおどと渡した。


「コータ! はやく帰ろ。」


「じゃあ袋詰め手伝ってください。」


「にぇー。」


苦々にがにがしい顔を見せたリナだが、
コータの袋詰めの手際の悪さを
見るに見かねて手伝ってくれた。


「仲良しなのね。」


そう言うと矢那津やなつは明るい笑顔を向けて
仕事に戻った。


彼女のせいで緊張きんちょうしっぱなしだったコータは、
店を出るころにはひどく疲れてしまった。


――――――――――――――――――――

(13/17) 叩かれる引きこもり。


――――――――――――――――――――

「あのおばさんと知り合い?」


矢那津やなつさんね。
 中学と高校で同級生だったひと。」


「初恋のひと?」


「違っ…そういうのじゃないけど。」


「けど?」


説明できずにくちごもる。
コータのこうした反応はリナもよく見ている。


けれども、普段のそれとは反応がことなり、
顔は血の気を失い、余計に青白くしている。


「痛っ!」


沈黙が続くと、また肩をリナに叩かれた。


「お腹空いたから、早く帰ろ。」


「…はい。」


「コータはなんで
 わたしのことキライにならないの?
 怒ったりしないの?」


「嫌って欲しいんですか?」


「だって、イソーローじゃん、わたし…。」


複雑な事情を抱えているリナが、
コータ相手に初めて胸の内を明かした。


コータの両親とリナは、はたから見ても
上手くやっているように思う。


リナは猫をかぶるのが上手いし、
両親も引きこもりの息子以上に溺愛している。


虫崎と斑咲むらさき、ただの名字の違いが、
彼女を不安にさせるのかもしれないとも思った。


けれども成人してなお実家住まいのコータは
家主やぬしでもないので、リナにくち出しできる
立場にはない。


「リナさんはちゃんと、家族ですよ。
 出ていくなら僕のほうです。」


「そんなのしたら、わたし、
 コータを毎日パンチしに行くから。」


「いまでも毎日してますよね。」


「へへっ。べしべしっ。」


いつもより優しいパンチが
コータの肩をでた。


――――――――――――――――――――

(14/17) 家族の秘密。


――――――――――――――――――――


「コータってなにか秘密にしてる?」


ハンバーグをひとりでこねているコータに、
突然リナから質問が飛んでくる。


「…ありますよ。」


「なに? 教えて。」


「秘密ですから、教えませんよ。」


「えー!
 家族に秘密はナシだってパパ言ってたよ。」


「それじゃあリナさんの秘密は?」


「教えるわけないじゃん。」


「…ですよね。」


彼女は矛盾むじゅんに気づいていないのか、
コータは最初からあきらめた。


「なんかないのー?」


「家族の間にだって普通に秘密は持ちますよ。」


「グランパとグランマにも?」


コータの両親はいまでも仲睦なかむつまじい。


陰様かげさまでコータ自身、いまもこうして
引きこもりを続けていられる。
いまごろは温泉でも楽しんでいるのだろうか。


「ふたりは夫婦なので。どうかな。あちっ。」


「ふーん。やっぱないんだ。
 あっ、いい匂いしてきたー。」


ハンバーグの中に火が通る間に、
ソースを別に作る。


料理は効率こうりつを考えなければいけないので、
れないコータはなにかとあわただしい。


リナはそんな姿を楽しげに見て、
手伝ってくれる様子はなかった。


――――――――――――――――――――

(15/17) 秘密の暴露。


――――――――――――――――――――

「なんでカレー?」


コータは目の前で
ハンバーグを作っていたはずだが、
レトルトのカレーライスが出されて
リナは困惑する。


コータはカレーの箱を見て、
演技っぽく驚いた。


「あっ、中辛だっ!
 …まあリナさんは大人びてるし、
 甘口じゃなくても大丈夫ですよね。」


しかし最近では祖母の料理の味付けが、
リナ向けに甘口になっている。


カレーの辛さについてはコータは昔、
同じことを兄のヨースケにやられた。辛口で。
辛さに涙ぐみながら食べた記憶がある。


「…食べれるよ…たぶん。
 ねぇ、ハンバーグは?」


フライパンからやや焦げたハンバーグを
カレーに盛り、その上には別に作った
ソースを掛けた。


半透明なあめ色のソースが
カレールーに不思議な色味を与える。


「なにこれ。」


「照り焼きハンバーグカレー。」


「へぇー。」そんなに興味はなさそうだった。


「むかし兄さんがよく作ってた、
 デラックスカレー。」


「パパのカレー?」


「でもウチは共働きだったから
 レトルトでしたね。」


目をかがやかせるリナに申し訳なく思い、
適当な記憶の改竄かいざん謝罪しゃざいした。


「んーからいじゃん! はぁー。」


「ハンバーグのソースと混ぜてみてください。」


「んそっ、あまい! ふしぎ!」


リナの舌には少し早かった中辛のカレーも、
テリヤキソースのおかげで辛さはまろやかになり、
スプーンが気持ちいいほど進んでくれた。


しかしハンバーグを口にして、手は止まった。


「ねえ、コータ。
 これ。とり肉でしょ。」


牛のひき肉からとりのひき肉に変えたのを
味で誤魔化すためのカレーだったが、
コータの秘密はすぐにリナにバレた。


――――――――――――――――――――

(16/17) それは不意におとずれる。


――――――――――――――――――――


今日も無事に1日が終わった。
コータは食器を洗い、洗濯物をたたむ。


家事に不慣ふなれで手際てぎわの悪さを見るに見かねて、
風呂上がりのリナがアレコレ指示したが、
結局コータの隣で鼻歌はなうた混じりに手伝った。


家事が一段落したコータは
カラスの行水ぎょうすい同然に風呂に入り、部屋に戻ると
商店街から来ていた仕事のメールを片付ける。


商店街に送った七夕の企画は、
前年の企画に加えてスタンプカード風にした。


店舗ごとに台紙を用意し、期間中の
来店頻度ひんどを伸ばす目的に特化させた。


地方の小さな商店街だからこそ
コータでも対応できる規模の内容で、
商店街の若手チームから一応の評価を得た。


台紙のスタンプを貯めたお客さんに、
前年に大量発注を掛けた在庫の商店街タオル、
天女の羽衣を配るという魂胆こんたんこうそうした。


この企画を提出前に、
リナにも太鼓判をもらった。


しかし商店街側の嬉しい反応よりも
やりなれない家事に疲れが残り、
ときおり学習机に突伏つっぷして
仕事への集中力がまるでなかった。


――これで一人暮らしなんてできるんだろうか。


いつもの不安が押し寄せてくる。
不安を払拭するために仕事をしているのだと、
自分に言い聞かせてコータは手を動かす。


メールを返信し終えると、
新たにメールが来た。


知らない相手だったが、
メールの件名ですぐに相手が分かった。


「ひッ…。」


矢那津やなつからのメールに、
声にならない声が出た。


そんな時に扉がノックされ、
コータは肩を驚かせた。


「はッい?」


「入っていい?」


普段はそんなことをたずねずに、
自分の部屋のように入ってくる
相手の言葉にさらに驚いた。


「どうぞ。」


「まだ仕事中?」リナが顔をのぞかせた。


「と…。これで終わりますよ。」


「ずっと座ってると、『また』になるよ。」


「なんでそれを…。」


コータはになった経験がある。


それを知っているのは医者と両親…。
個人情報の漏洩ろうえい元はすぐにわかった。


家族間のコータの秘密はやはりつつ抜けだった。


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(17/17) つきもの。


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リナはいつものようにコータのベッドで横になる。
ただ、夜中に訪れることはあまりない。


コータは矢那津やなつのメールは開かず、
クライアントを閉じた。疲労困憊こんぱいで、
なにかができる気分でもなかった。


「コータ、もう寝なよ。」


リナがうながすのは、コータのベッド。


「え、えー。」


だがリナの顔はいつもに増して険しい。
機嫌が悪いのか、口調も穏やかではない。


また不機嫌になられても困るので
仕方がなくすみで細くなった。


日頃の運動不足の象徴である腹がはみ出し、
いまにもベッドから落ちそうになる。


――少しはせよう。


「コータって、ちゃんと眠れないってことある?」


「…ありますよ。」


リナからこんな相談をされたのは初めてだった。
当然、コータは不眠ふみん症の専門医ではないので、
治療方法は医者に相談するしかない。


蛍光灯の残光が、見慣れた部屋の陰を作る。


「コータはなんで眠れないの?」


「…高校を中退した、
 辞めたって話は聞きました?」


「うん。知ってる。
 不登校の引きこもりでしょ。」


「あー…。はい。」


おおむねあっているので弁明べんめいは避けた。


「自分のしゃべってる内容が、
 伝わらなかったり、話相手を不用意に
 傷つけたりするのが怖くなって。」


「いまも?」


「あ…、うん。今日、みたいになる。」


決して矢那津やなつが悪いわけではない。
自分の中にあった均衡きんこう崩壊ほうかいして、
ある日、気づけば学校を逃げ出していた。


暗い部屋で背を向けているので、
リナに顔を見られなくて済む。


「そっか。コータも大変なんだね。」


「でも兄さんがさ。」


「うん? パパ?」


「『不安はつきものだ。』って。」


「つきもの…って?」


「いつでもあるって意味ですね。
 風邪ひいたら不安になりますよね。」


「うん。まぁー。」


「いまの仕事が上手くいかなかったらとか、
 地震が起きたらどうしよう…とか。
 考えたらキリがないから、
 それにそなえてみんな足掻あがくんだ、って。」


「うん。わかる。わたし…
 グランパとグランマが帰ってこなかったら
 どうしようって、なったりするの。」


背中越しに鼻をすする音がした。


「パパはコータと同じ年で
 死んじゃったんだよ。」


それが、リナの不安の要因よういんだった。


「コータなんてで死んじゃうかも…。」


「死にませんよ。」断言だんげんしたものの不安になった。


「みんないなくなったら…
 わたし、またひとりになっちゃう。」


葬式の日以来の、弱気なリナは珍しい。
けれどもそんな彼女に掛けられる言葉を、
引きこもりのコータは知らない。


ひとりになった彼女を想像する。


「毎日パンチする相手が必要ですね。」


「するよ。」


「いたっ。」


やはりリナに背中を叩かれる。痛くはなかった。
それから手がコータの身体にもぐり込み、
腹をつままれた。


「コータのおデブ。カレーくさ…。」


不満をぼやき、背中から腹を抱きしめられる。


「おやすみ。」


「…おやすみなさい。」


この状況をコータは受け入れがたかった。


リナが眠りについたなら、
またリビングへ逃げようとコータは思っていた。


彼女の睡眠を邪魔じゃませずじっとしていると、
背中の暖かさにまどろみ、そのまま
深い眠りに落ちるコータであった。


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(18/17) 彼女の秘密、
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リナには秘密がある。
コータだけが預かり知らぬ秘密。


リナの母親は彼女を残し、男と共に蒸発じょうはつした。


その男はリナの、たぶん本当の父親で、
コータは実は叔父おじではない。


ずっと抱いていた疑念ぎねんが、父親の死後、
母親の態度の変化で確信かくしんに変わった。


DNA鑑定かんていは必要はない。
小学生でもわかる理屈だった。


リナの血液型はAB型で、
父親のヨースケは、叔父のコータと同じO型。
O型の親からAB型の子供はまず生まれない。
虫崎家と血のつながりはなかった。


母親はリナが疑念ぎねんを抱いていることに気づき、
ふたり目を妊娠した母親は男との再婚ではなく、
失踪しっそうという最悪の形でリナを置き去りにした。


母親にとって、リナという娘は
はじめから無かったことにされたのだ。


失踪の原因は、母親の不貞ふていを許さず、
彼女を拒絶きょぜつした娘のリナにあったのかもしれない。


母親の失踪後、父親だったヨースケの祖父母が、
息子の忘れ形見であるリナを引き取った。


しかし本当の家族ではない後ろめたい気持ちが、
時折ときおりリナを不安にして眠れなくさせた。


叔父のコータは「不安はつきものだ。」と言った。
父親のヨースケにそっくりな声で言った。


亡き父親の言葉であり、
その不安こそ、リナの抱える秘密であった。


「コータって結婚願望ってあるの?」


「え? なに…?」


学校から帰ってきたリナに言われ、
コータは息を切らした彼女の様子に動揺どうようする。


コータは最近、服装に気を使い始めた。


いつものダサいよれよれのパーカーに、
だぼだぼのゆるいデニムパンツではなく、
ちょっとオシャレな服をネット通販で買っている。


それに高校時代のジャージを引っ張り出して、
庭に出てなわびも始めた。
腹をらすだけでこれは続かなかった。


コータの変化は、ショッピングモールの
ケレスに行って以来いらいだったので、
リナは不審ふしんに思った。


「もしかしてまさか、もう結婚予定してる?」


「してませんよ。」


反応が少し不貞腐ふてくされ気味で、
うそをついてる顔ではない。


コータは考えが表情に出やすい。


しかし、ケレスで名刺を渡した初恋の相手、
矢那津やなつと連絡を取り合っている気配もある。


リナはいぶかしみ、自営業のコータが
ひまをしている日は無理やり外出に付き合わせた。


一緒に馴染なじみの商店街に買い物に行き、
ケレスまで短いドライブし、ついでに映画を見た。


祖父母がいつもの旅行に出かけた日などは、
庭にテントを張り、ふたりでキャンプを楽しんだ。


そんなリナが秘密を打ち明かすのはずっと先で、
それはコータとちゃんと家族になる頃だった。


(了)