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変拍子

なんだこのフニャフニャは、、と愕然としたのも今は昔で、もはやこれが当たり前になってしまった。それどころか、このコシが複雑骨折したようなうどんこそ至高という気すらしてくる。宮崎うどんの人知れぬ魔力のなせる業なのかもしれないが、おそらく、4年の歳月は十分であったのだろう。

思えば4年前、僕は失意のアメリカからフニャフニャの体で宮崎にたどり着いたのだった。いま振り返るとそれはほとんど脱走兵のやり口で、コロナを体よく言い訳に、自分の弱さから目を背けるための逃避行であった。かりそめの疎開だと言い聞かせていたのも、本当はそうではないことをどこかできちんと予感していたからだろう。

宮崎での4年間、現地に誰一人友達がいないこともあって、人との付き合い方が少し変わったような気がする。僕はナルシシスティックなところが強くて、それはいまも変わらないし今後も変わらないだろうけれど、誰かを傷つけたこと、誰かに助けられたこと、誰かを許すこと、誰かと真剣に向き合うことについて、やっと、少しばかり、自分事として実感できるようになったと思う。

あまり知られていないけれど、宮崎県のスローガンに「日本のひなた 宮崎県」というのがあって、僕はこれがとても好きである。この地の魅力をよく言い表していると思う。正当化バイアスかもしれないが、ひなたで過ごした4年間は、僕の人生を今後も明るく照らしてくれるような気がしている。

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