Good Night (Take 10 with a guitar part from take 5)/The Beatles

お気づきの方もいるかもしれないが、時折、「曲名/アーティスト名」のタイトルで記事を書いている。この記事がまさにそうだ。しかしこのタイトルには理由がある。我々は、「愛すべきおバカ曲」というテーマの下にこの記事を書いている。そこには、愛情とおバカさの両方が等しく揃っていなければならない。どちらに肩入れすることもできない。だから、客観的なタイトルを付けざるを得ない。ということにしておこう。

僕は子供の頃からビートルズが大好きだ。

ポールの来日公演では、ポールの第一声を聞いた瞬間、自分でもびっくりするくらい泣いた。(飲みすぎてリバースするときを除けば)嗚咽することって人生であんまりない。

僕の中で、ビートルズには常に甘美な思い出が伴う。昔好きだった女の子もビートルズが好きで、彼女がポール派で僕がジョン派だった。それがどうしてそうなったのかいまとなっては分からないが、僕が彼女をポール、彼女が僕をジョンと呼び合っていた。当時はそれがとても楽しかったのをよく覚えている。

小学4年生くらいの時、オリジナルの新聞を作ろうという課題が出て、ビートルズの曲を網羅したカタログを書いた新聞を作ったこともあった。読者軽視も甚だしいが、いまにして思えば、あの頃の僕にとってはとても自然な行為だった。いまどきの小学生だったらYouTubeとかで簡単に曲を聴けるんだろうけれど、あの当時、小学生だった僕が音楽を聴こうと思ったら、親に頼んで図書館に連れて行ってもらってCDを借りてくるくらいしか手段がなかった。あの新聞を作った頃も、聴いたことのないビートルズの曲がたくさんあった。ベスト盤に封入されていた全曲名が書かれたリストを広げて、「恋する二人」とか「夢の人」と
いった邦題を読みながら、この曲は一体どんな曲なんだろう、きっと信じられないくらい素晴らしいんだろうな、とずっと想像をめぐらせていた。あの新聞には、そういう気持ちが不器用ながらもとても純粋な形で込められていたと思う。

小学生の頃、僕は人づきあいが下手だった。何人かで一緒に友達の家に遊びに行ったとき、みんなは外に遊びに行ったのに僕一人だけ友達の家に残って本を読んでいて、友達のお母さんにひどく心配されたこともある。そのへんの人間の不出来は今でも全く変わっていないのだけれど、もしかすると、ジョン派になったのはそのあたりに理由があるのかもしれない。ジョンはとても不器用な人だったそうだ。とても傷つきやすく、そのせいで人を傷つけてしまう人だった。弱さの隠し方が上手くない人だった。

ビートルズにGood Nightという曲がある。ジョンが息子ジュリアンのために作った曲だが、ジョンらしからぬ甘美なメロディーとシンプルさを持っている。ジョンはそれを嫌がって、リンゴにボーカルを押し付けた。バッキングはオーケストラだから、この曲のレコーディングに参加しているビートルズのメンバーは、リンゴただ一人だ。ジョンもポールもジョージもレコーディングに参加していない。ジョンにとってはどうでもいい曲であり、なおかつ、ビートルズが解散に向かってバラバラになっていく、長らくそういう文脈に置かれた曲だった。

しかし、2018年、リリースから50年が経って、この曲のアウトテイクが発掘された。それまで誰も聴いたことのなかったこのテイクは、驚きをもって迎えられた。そこには、ジョンとポールとジョージのコーラスが録音されていたからだ。そして、ジョンのフィンガーピッキングによるギターには、最上級の優しさが込められていた。

この曲は、むしろ、ビートルズがバラバラになっていく中で、彼らを結び付けた曲だったのだ。これは僕の勝手な推測だけれど、たぶん、この曲に込められたジョンの息子への純粋な愛情が、ビートルズのメンバーを結び付けたのだろうと思う。ジョンがそれまで決して見せなかった弱さ、ナイーブさが、この曲では隠されていなかった。

しかし、結局、ジョンはこの曲をリンゴに歌わせて、この上なく装飾的なオーケストラをかぶせた。ストレートに自分の感情を表現することが恥ずかしかったのだろう。息子への愛を伝えるのにも、何重ものオブラートが必要だったのだ。僕は、そんなジョンの純粋さと不器用さがとても好きだ。

ジョンは、このテイクの最後、"I think I held a funny note?"と茶化して終わる。バカだなぁと思うけれど、それがとても不器用で愛おしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?