見出し画像

遠い朝

「人はみんな生まれた瞬間だけ無傷で、あとは傷ついていくだけ」という言説を目にして、それは本当にその通りだと思う。じゃあどうやって傷ついていけばいいのかということだけれど、これはなかなか難しい。ヒュウッと身を躱して上手いこと彫刻のように仕上げられれば最高だけれど、やり直しはきかないし、向かってくるのが彫刻刀とは限らないし、だいいち自分が木なのか石なのかすらわからない。ここは石だけどここは木で、おっとここはちょっと虫が食っちゃってますねぇみたいなことだって全然あり得る。

もちろん僕は君の美しさを知っているし、どんなに醜い傷がつこうが君を骨の髄まで愛している。それは大前提として、30余年生きてきた一応の到達点として伝えておきたいのは、前も言った気がするけれど、君自身の直感を大事にして欲しいということである。これはちょっと嫌だな、みたいな違和感もそうだし、この瞬間が永遠に続けばいいのにみたいな感動もそうだし、この人といると心地良いなとか、その日寝る前に思い返すようなそんなちょっとした諸々、それはたぶん君の石であり、どんなに珍妙でも君の最も美しい部分だと思う。

普通じゃないかなとか、誰かに嫌われるかもとか、そういう実際的なことに流されてしまうのはものすごくよく分かるし、僕も当然偉そうに言える立場にない。そういう感情もとても大切だと思う。けれど、わがままかもしれないけれど僕にとって大切なのは他ならぬ君だから、自分の奥底にアンテナを張っておいてほしい。君の中で、それも結構底に近いところで発生した気泡は、必ずいつか、とんでもない大きさになって水面で弾けるだろう。そう、風呂で屁をこいた時と同じように。あれ嗅いじゃうのってなんなんだろうね。

まぁでも要はそういうことである。「あ、いまこいたな」と思ってほしい。屁をこいた自分に自覚的になってほしい。なんだか変な文脈になってきちゃったけれど、僕が君のママを一目見た瞬間「この人だな」と思ったのはたぶんそういうことだと思う。屁だなと思ったのではないよ。あといま急に思い出したけど、音楽の先生に音楽というのは音を楽しむと書くけれどあなたの授業は全然何ひとつ楽しくないですと言ったこともあった。あれもなかなかの屁だったと思う。あとでめちゃくちゃ謝ったけど。

世界を単純化するのはすごく簡単だしその方がもしかすると幸せなのかもしれないけれど、最初の話に戻ると、それって結局、傷を傷ではないと強弁しているようなものだと思う。傷は傷として認めて、良い傷でしょうと隠さずにいられるような生き方を僕はしたいと思ってるし、君にもそう生きてほしいと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?