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星がひとつ消えた空に

先生の訃報をきいたとき、ああ、故郷の天国へ行かれたんだなと、淡々と受け止めた様な気がしていました。
伝えてくださった先方のお友達の声も明るく
運転中の電話だったので、どうか安全に帰ってきてね、と。
次々にかかってきたり、こちらからかける電話口の
古い友人たちもみな明るく、
悲しみでありながらどこか祝祭のようにも思えたのは
その先生がまちがいなくだれよりも「生ききった」ことを
皆が知っていたからだと思います。
この週末のこと。

それでも日が経つうちに
確かにこの世にもう先生のお姿はないのだと思うと
日常の空の星がひとつ消えてしまったような
そんな空疎なものが胸に浮かんでいるのに気が付きました。

幼稚園が閉園になるとき、
あまりに保護者の皆さんの思いが強過ぎて混乱が起き
巻き込まれるようにして、保護者代表をやる流れになってしまい
最後の園庭で私は
「閉園はきっといいこと。これからは一人ひとりの中にこの園の灯りを灯したい。」
と言いました。

けれども、後から知ったのは
先生は本当はもっともっと先生を続けたかったのだということ。
その後に書かれた手記に無念の思いのたけを書いておられたのを見て
あの閉園式とき、私は先生の思いに至らず、
浅はかなことを言ってしまったな、と後悔しました。
同じ、子どもと関わる身として、その無念は痛いほどわかります。
今もその後悔はずっと燻っている様な気がします。

ある時、たまに顔を出した教会のイベントのとき
先生は私に
「どうか天使さんたちを導いてあげてください。」と
それは言葉だったか、手紙だったか覚えていないけれど
確かにそう私に伝えられたのでした。
わたしが障害のある子も引き受けていたことをご存知だったからか
それとももっと子どもたち全てを「天使」とおっしゃったのか
それはわからないけれど。

いやいや、先生。
私は先生の足元にも及ぶとは思えないです。
それでも、その言葉はずっと、宝物のように
私の胸にとってあります。

先生はきっともう一切の無念もなく
喜んで天国へ召されたのに違いない。

もうあんな人に出会うことはないでしょう。
遠くでそっと胸に秘めていたけれど、
多分私の生き方を大きく変えたのは
先生と園の出会いがあったから。
そういう人はきっと私一人ではない。

ただ生きていてくださるだけで
まだ、この世はすたものではないと思えた。
遠くの空のけれど大きな星のように。

その、星が消えた、それはたくさんある星のほんのひとつ。

あの時自分が言った言葉が刺さります。
もう、自分の前を歩いてくれる人はいない。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!