カザルスのほかに何がいりますか?
友人に連れられて小さな骨董屋をたずねた。
小さな店内に心地よく積み重ねられた食器や鋳物を眺めているうちに、店内に流れるチェロの音色に気がついた。その音楽は使い古された雑器の柔らかな肌の色に似ていて、店内の棚に入り込み同化している。
店内を満たすというような圧倒感はなくて、ただ音楽は小さなコンポから流れでていた。
そのチェロの音色は、私を音楽の道へ誘ったチェリストの音に似ていた。
パブロ・カザルス・・彼のチェロは決して光沢がある響きというのではない、むしろ倍音がさざめくように空気と同化している。
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店主の話は面白かった。
思い出の場所へは、二度と行ってはいけない。
と、彼は言う。
どんどん景色が人の手によって変えられていく現代、心にある思い出の場所を尋ねた時、もしも、その景色に手が加えられてしまっていたら、もう、記憶は塗り替えられてしまうから、と。
店内に カタルーニャの「鳥の歌」が流れていた。
私の知っている カザルスの抑揚ではない、けれど・・・
店を出る前に思い切って、「このチェロは?」をたずねると、店主は私にCDジャケットを手渡してくれた。
カザルス、その人だった。
「音楽はカザルスとラフマニノフ、ほかになにがいりますか?」
と、やわからな声で店主は言った。
時の流れ、空気の感触、ピアノで奏でる鳥の鳴き声、チェロ。
何度も繰り返し聞かれるそのCDのおと。
カザルスと、その彼。
時間、というものの肌理。
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昔書いた記事がひょっこり出てきたので、ここに挙げておくことにします。
愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!