人前で歌えなくってもいい
義母が病床で
「美香さん、何か歌って」
と請われたとき、
私は歌えませんでした。
いろんなものがつっかえていて。
それは音楽大学へ行く前から
ずっと患っていてた、
コンプレックスやプライドや
そもそも人前で「聞いてもらう」
ことの、性格的な不一致や。
さらには、大学でなまじ音楽ばかりやってきて
その音楽の領域に枠ができてしまっていて。
それはそんなに大きい出来事だったわけではないけれども、
義母が亡くなってから
歌ってあげればよかった、と。
義母が亡くなってすぐ、
芸術療法7領域の大学での講座の小さな新聞の告知を見つけ
それは、自由になった土日をその講座で埋めることにしました。
その後、父が亡くなる前、
一緒に赤蜻蛉を歌いました。
父はとっても音痴だった。初めて聞いた父の歌。
音楽は好きやったよ、と。
新しくなった一見明るい病室もやっぱり重苦しくて、
友人からライヤーを借りて、ずっと病室でつまびいていた。
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私は今も、音楽イベントが苦手。
それは克服できないし、
克服できなくていいと思っています。
あの時
歌えなかった私とずっと向き合ってきた。
芸術療法の講座は確かに何かを変えてくれたと思います。
それは、歌える自分を作るためだったのか?
そこのところは結局何も変わっていない自分に気が付く。
でも、あ、そうか。
そうか、
歌えなかった自分でも
よかったんだ。
誰かに「聞いてほしい」
と、
誰かの「素晴らしい音楽を聴きたい」
が出会う場所にある音楽
もちろんそれはそれで素晴らしいことだけれども
私という個体は
もっと違う音楽との出会いや
人との出会うルートを
求めてたんだなと。
誰にでもあるその人の飾りのない音楽を聴きたい。
耳を澄ませて、心を動かせて。
立派な花束でなくても
背中に回した手に隠していた
小さな野の花を、そっと
ためらいながら、差し出せたらいい。
そうできる時にすればいい。
受け取ってもらえそうな時にできたらなお良い。
その微細な何か、が私にはとても大きなことなんだと、分かった気がします。
本当に聞きたい音楽も
そして自分が演奏するとしても、
きっとその自分にとってのプロセスと繋がっているところでなるもの。
自分の拙い音楽を紡ぎ始めるとこから始まる。
「一緒に歌おうか」
今ならそういうだろうけれども、
大事なのはプロセスだから、
あの時歌えなかった自分が今はよくわかるし、
それはまた、向こうの世界で再会したらでよい。
音楽が生まれるところへ。
愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!