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伴奏に引っ張られる弾き語りを歌中心のバランスに

高校生の生徒さんが弾き語りをレッスンしてほしい、ということでやってきました。

コードを覚えるより難しいこと

コードを覚えること自体は実はそんなに難しいことではないです。
まずはそれが使えるようになるには、拍節ことに変わるタイミングがカクカクしないで、すいっと良いタイミングで入ること。こういうときもドローイングしますが、彼女はすでにそこはクリア。

なので、では歌をあわせてみる、と。
みんなそうなりがちなんだけれども、伴奏に歌を合わせてしまいます。
最初は、細かに拍子を取りながら歌っていました。

それは一見、音楽に乗っているようにみえるんだけれども、
音楽に乗らされてる、のかも。

それが、歌の方にうんと重心がかかってきて、歌に伴奏が溶け込む、というほうに意識が変わると、
断然歌が生きてくるのだけれども、
それが難しいですね。
みんな、そう。

ビートとは別のアルシスとテーシスをもつメロディ

で、こんな話をしました。

拍と拍子は一定の繰り返しを持っていて、確かに音楽を転がしていってくれてる。それは間違いない。
でも、歌のフレージングは必ずしも、拍子と同じじゃないよね。
アウフタクトもあるし、拍節間にフレーズの切れ目が着地する、むしろそれが普通。そして、短いフレーズもあれば、ながいフレーズもあるでしょ、一定ではない。歌は、拍や小節線に縛られない息遣いを持っていて、独自のアルシスとテーシスで運動している。
歌詞の言葉からの影響も大きいでしょ。音高の上がり下がりも。(これは楽曲で実際にあれこれかんがえてやってみるのがいい。)
拍や小節線の波を受けながらも、それをうまく利用しながら一番上位で活躍するのは、歌になるよね、弾き語りだったら。君は、この歌の何にぐっときたの?そう、メロディや歌詞ね。

例えば、人の身体。
丁度心臓の音が喋ったりするのを支配しないで、でも人の体を支えてるみたいな、それは音楽でいうと拍や拍子だ。人間の体は、心臓のリズムがあって、呼吸のリズムもあって、消化、睡眠、いろんなリズムをいつも奏でているけれども、当事者はそれよりも話すことほうに意識が向かう。生きてるって、その無意識のビートの重なりの上にあるんだよね。メロディは、音楽の中でその一番生きてて重要なとこだ。音楽も人体の構造にとても良く似ていて、一筋のリズムで動いてるんではなくて、多層に折り重なって響きあっている。

歌を中心に据えた弾き語りにするには?

でも、さて、言うのは簡単。理解するのも簡単。気づけばいい。
でも、じゃあどうやって、意識をシフトして、メロディにバランスの中心を持ってこられる弾き語りにできるのかな。

まずはカウントをやめてみようか。カウントは歌のなかにすでに生きるように歌ってみよう。そしてこの曲をもっともっとよく知ってみよう。フレーズの形、差し込まれた和音。言葉と音楽の連動。

しっかりそれを見つめて、自分の声で起こしてみて、それから伴奏をつけようか。
伴奏はうんと海の底で波打ってたらいい。歌は鳥のように波の上を飛んでみようか。背景と、主体と。

まっすぐ見つめ返してくる、生徒。
小さいときから何も変わらないけれど、
確かに大人に向かってるんだなーと、一緒に歌いながら思いました。

*写真は別の今日のレッスンのドローイング。息を使い切る練習。


愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!