音楽のまえにある”音楽”

幼い子の中で一緒に生きていたもの・・”音楽”・・のこと

音楽大学へ行ったけれど見つからなかった”音楽”
それを奇しくも垣間見たのが、自分が起こした火事だったこと。
ピアノがならなくなってもなってるものの存在が自分を生かしてくれたこと
を、前の記事で書きました。


では、その”音楽”はなんなのか・・・・
子供の頃から親しんでいた、それは何だったのかな、と思い出したいなと。このnoteで「音楽を描くことはじめ」を綴りながら思い出そうとしてるところです。

今、現在の私はいろんな体験を経た人間としてここにいます。
たとえば、ピアノの学習や演奏などはもちろん、他にもスタインウェイのメンテナンスで深い深い奥行きのある音をきいた(これも前に記事に書いたやつです)、とか、いろんな先生から受けた影響、読んだ本、自分で突き詰めていったこと、生徒とのやりとり、など。

その年をとった私がことばにしようとすることと、まだまだ幼い自分が感じていたそれはきっとそんなに違わない、とおもうのです。むしろなにも予備知識のない当時の私のほうが、もしかしたらシンプルに自分とその対象との「あいだ」を行き来してたかもしれないなあと思います。これまでに経験したこと、特に私が選んで記憶にとどめているようなことはみんな、その、幼い自分、まだ何も予備知識のない自分の「あれ」を別のフェーズで確認し、承認し、それによって私自身の「感じること」を認め、許していくプロセスで必要な経験だったと思います。

まだことばにも形にもならなかった頃のことを、思い出そう、としてるのです。
形にならないまま、思い出したい。

知らず求めていたもの、内側から支えてくれていたもの”音楽”

なにさま、自分というのは世の中から浮いていました。

周りからどう見えていたのかはわかりませんが、自分の中での「生活」への違和感はいつまで経っても平行線でした。中学生のときにはいじめにもあい、それが更に生活から逃避していく理由にもなったのでしたが、それもそこに、逃げ込める場所があったから、でした。

とにかく、今から思えばピアノを弾きたかったというよりは、それに触れていたかったのだと思います。高校のときには、下宿先から誰よりもはやく登校し、守衛さん?に音楽室の鍵をあけてもらい、合唱部の朝練習の前にピアノを練習させてもらったりしました。「何の権限があって、あの子だけピアノ弾けるの」みたいな声が聞こえてきて、あー苦手、人間、苦手だなーと一瞬、思いながら。(単に、家が遠くて練習できなかったからです。先生にお願いして弾かせてもらったのだけど、今から思うとどこにそんなことを頼む勇気があったのか、不思議です。)

そして、高校生のときにきいたLP、 パブロ・カザルスの「鳥の歌」とフリードリッヒ・グルダのフランス組曲とモーツァルト。
私は本気であの頃 「あれ」が音楽で、その音楽をやりたかった。技術のなさも才能の貧相さも目にははいらず、無謀にも「あれ」をしたいと思っていたのでした。他のどんな立派な演奏にも心揺れる事はありませんでした。そのくせ、ふとスズメが水浴びして羽を広げたりしてパシャパシャするのに揺れてしまう、それに触れてみたかったのでした。私にはその延長にカザルスの音楽もグルダの音楽もありました。

西洋音楽、という花

植物や動物の時間、自然の水の時間。
時間、というプロセスの中で初めて見えてくる動き。

西洋音楽・・・人が営みの中で生んだその音楽は、ちょうど植物の成長が極まったところで渦を巻き、色をつけ花になるのに似ているかもしれません。あの雀の羽のパタパタの”音楽”が人の歌になり、アンティフォニー(歌のやり取り)になり、大勢で合奏し、そして華やいでいったその実質と、植物の花はとても似てるかもしれない。

人は、音楽に出会ったとき、もしかしたら、誰もがあの、”音楽”にふれるのかもしれない、と今は思います。音楽に触れて初めて人が感じるもので、なにも特別なものではないのかもしれない、と思うのです。違うでしょうか?

今日は東京に来ています。
今日のレッスンで、受講者さんが
「音楽、好きだったよね〜子供の時・・」とおっしゃってて
ああ、それ。

と、思いました。

ところが、やっているうちにそれの見失っていく、あれは何なんだろうと思います。いつの間にか何かがすり替わってた。

私も一生懸命今思いだそうとしてます。
あの、子供の頃、ずっとそれに囲まれていることを疑わなかった、あの”音楽”とのやり取りを。


愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!