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委ねる・任せる・託す

2021の私の最大の課題は、委ねる、任せる、託すということに間違いないと思います。写真は1日の今朝飲んだ、桜茶。

保護者さんに委ねる

12月は、いつもどおり愛媛での定期ワークショップも行い、冬至の会をユーチューブ動画を使ってやってみたり、あっという間に過ぎてしましました。

これは冬至の会のときのろうそく。

子どもたちの様子がラインで届いたり、渡した黒い画用紙に絵を書いたのを届けて頂いたり、で、見えないパソコンの向こう側の空気感も少し共有ができたかな。

私はなんでもやるなら伝えるべきことを全部伝えなければと思ってしまうので、冬至の会も遠距離で、保護者さんにおまかせしていいものか悩んだのですが、毎年一年という地球のビートを感じるための会が抜けてしまうよりはやったほうがいい、と、思い切ったのでした。そして、多分やっぱり、音楽室でみんなで共有するような「教育的意図」は成功とは言えなかったかもしれない。私がそばについててあげたかった。でも、保護者さんとお子さんのいい時間がとれた、という報告には、ほっとしたと同時に、そうか、委ねる、というのも、大事なことだったんだな、と思いました。

老犬を委ねる

冬至を過ぎたあたりから、生徒たちに可愛がられていた老犬モズさんが食事をとらなくなり、うとうとと眠ることが多くなり、なくことも唸ることもなくなり、生徒も来なくなった年末の音楽室によろよろと這い上がってきて、寝たりしていました。15を越える年なので、無理に病院につれていくこともせず、静かに過ごしてもらうことにしました。

年末は実家へ帰らなければならず、30日、もうこれが最後かもと思いながら、家人にわんこを委ね、その生命力をわんこ自身に委ね、実家へ。初日の出を実家でみてから、帰ってきたら、彼は待っていてくれました。

仕事を任せる

何もかもを自分でやろうとしてしまう、やらないと気がすまない、というかやりはじめたら、その筋をずっと追っていたい、という欲求が強い人間なんだとおもいます、自分というのは。けれども、やり始めた仕事の枝葉が多すぎて、本筋を追う時間よりも枝葉の作業に時間が食われていくことに、焦りみたいなものがチリチリすることが多くなってきていました。それを、少し人に委ねてみる。任せてみる。ありがたいことに、生徒さんの一人に、任せられることが勉強にもなるし、いいバイトにもなるというので、無理の行かないところで、お願いできる助っ人が登場。私がするべき仕事を少し肩代わりしてもらえると本当に助かります。そこで花開く別の水脈が生まれるのかもしれないし。

こうやって使ってみると、委ねる、と任せる、はちょっと違うな。

委ねる、にしても、任せる、にしても、私は自分を少し解いて、手放さなければならない。でも、委ねた時はその結果がどうあれ、すべて委ねる、ということで、任せるというのは、ある一定の共有する結果がある。では、託す、は。

理念を託す

おそらく、今年最大の私の試練は、その自分を手放しながらなにかを共有していくこと。

託す、というのは、同じ理念を追う、その追えない先を誰かに託す・・そんな感じで使う言葉のような気がします。

音楽教室(音楽室)としては、私のキャパシティはいまがギリギリいい感じで、これ以上は崩壊するかも、なので、生徒は増やさない。ただ、このコロナ禍の中、多分ウチのような音楽フィールドを求めるニーズは必ず増えてきていると感じているし、それに応えたいという思いも強いのだけれど、いかんせん、キャパは決して広くない。としたら、この、utena music field がやろうとしていることを他の教室に託すということはできるだろうか、ということをずっと考えています。

としたら、「音楽を描く」「音楽リテラシー」といった私のワークのおおもとにある「自分の音楽を、感覚を育むことで掘り出してくる」という理念。

例えば、今までの私の考えかただったら、とにかくキチンと全部伝えるのが私の義務、という感覚があるので、いい加減な理解で先生が生徒さんに使ってしまうということは避けたいと思ってきました。だから、そのためにはある程度の組織的な囲いも必要だと考えてきていました。

でも、もしも、どこかの先生がピンときて、とにかく、やってみたい、という衝動があったとしたら、これまでの私はそれに対して
「いやいやそんなもんじゃ、本当に使えるものにはならんよ」
と釘をさしてきたように思います。

でも、これを、
「やってみたら?で、それから一緒に考えよう!」
という方向にシフトしていく時期に差し掛かってきたと思うのです。

そこにはこのコロナ禍という時代もある。今だからこそ必要なことなのに、”少なくとも6回、ワークショップ受けてください”などと言ってもワークショップ自体が今開催が難しくなってきているし、そんな悠長なことでは今は芽吹くものも芽吹かない。オンラインでなにかを行うということは、そこにもう「その先を委ねる」というソフトな手放しが組み込まれているのだから、その水脈から、託す、までのルートを開拓していくなら、私はうんと変わらければならない。

その人を信頼して託してみる、そんな方向で私のライフワークも今年は方向転換をしていこうと思います。今年の抱負というか、お尻に火がついてるので、変わっていきたいと思っていること。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!