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有事になったら庭に野菜を

農家の子

庭歴かれこれ30年になります。
最初は弓削島という瀬戸内海の島で、地中海性気候にちかい、
暑くてからっとした土地で、そのころまだハシリだったネット通販でハーブの種を買い、ばらまくだけで、芽がでて膨らんで花が咲いた、ボリジやマロウ。
今から思えば、気候や土地がハーブに最適だったんですね。
背丈ほどにローズマリーが茂っておりました。
庭仕事とはとてもいえない、放置園でした。野ばらが茂りすぎて、木の塀が傾いていたり、拾ってきたミモザを植えたら、おおごとになってしまったり。それでも、庭の楽しさをおぼえたのは、たしかにあのハーブ園。

今の庭を手に入れて20年あまり。
ここは石鎚山の麓で雨が多く、風も強く、その上粘土質の上に真砂土をかぶせた土壌では、水はけが悪く、ハーブどころか、何を植えてもアンバランスに葉っぱばかりが茂り、根腐れをおこす、最悪な土地でした。

スギナのほかなにも生えていなかった、この庭。
すぐにでも薔薇園にしたいと思っていた夢がどれほど無謀だったか、今ならわかります。ただひたすらに、牛糞堆肥を混ぜ混ぜし、油かすを施し、窒素しかない土地はさらに窒素過多になりました。あまりのうまくいかなさゆえ、いろいろ情報を仕入れ、試して今に至ります。何よりありがたいのはミミズだと、今はもちろん知っています。

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冬には山からはんぺんと呼ばれる土壌菌を拾ってきて培養したり、米ぬかを蒔いたり、ということを気長にくりかえし、というかいつの間にか時がたっていた・・庭と向き合うと恐ろしく時間のスパンが長く、私も真っ向から庭に向き合ってきたと言うより片手間に掘り起こしたり実験して遊んでいたという感じで。そうして、今や庭は粘りの多い団粒構造がしっかり構築された良い土に変わりつつあります。

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実家は農家で、肥料も農薬も普通に使う普通の兼業農家でした。
小学校の行き帰り、田んぼに農薬が撒かれる日は息もできないほどの化学的な臭さで子どもながらにどうしても好きになれず、また、あれが、人の友達が少ない田舎の大切な友達のバッタを殺してしまうこともうすうすと気がついていました。

幼い頃田植えを手伝った(というより家においておけないので連れていかれてた)記憶だけが農業の手伝いで、親は、農家では食えないから継がなくていい、と言って、一切手伝いをさせられることはありませんでした。でも、こうやって庭をもってみて、わかる、自分の素性。庭とつながっている感覚。農民の血はもっと根深いところで眠っていたのかも知れません。そしてこうやって自分の庭でかなりの時間をすごすことになるとは若い頃には、思ってもみなかったことでした。

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自分の庭を持ったとき、自分の好き勝手にできる嬉しさがあって、農薬や化学肥料を使わないと決めるでもなく、そういうふうにやっていました。使わないという意思的ななにかではなく、消極的に”使えない”という方が近いかも知れません。めんどくさい。手伝わされなかったので、全くど素人から始められたのは良かったんだと思います。知っていてどのタイミングでどんな薬って知っていたら、深く考えないでやっていたかも知れません。

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もしかしたら今が有事?

弓削の庭も、今の庭も、始めるときに漠然と心に思っていたことがあります。

もしも有事になったら、庭に野菜を植えよう。と。

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その有事がいつ起こるのか、どんな事が起こるのか、などということになんの具体性もないのだけれども、ハーブや薔薇を植えながら、これは、いつか野菜を植えるために土を作っているのだと、思って、だから、農薬を使えない、というところもありました。

今年、いつになく野菜をちゃんと植えていて、コロナの影響で、時間があったのもあるけれどちゃんと管理していています。去年は友達が助けてくれたので、邪魔なゴミも随分なくなっていて土地も空いていたのも良かった。

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トマトをもぎながら、ん?これはもしかして、あの、庭を持つときにいつも漠然とおもう「有事」なのではないだろうか。と。私は自然に、かなり深いところの無意識に誘われて野菜を植えたのかも知れません。

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ただ、私は有事というのは食糧危機のようなものを思い描いていたのですが、どうも、そうではないらしい。朝、目を覚まして庭に水やりをして、野菜をもいで帰ってすぐに朝食に出す。そうすると、私自身が水を吸い上げ、栄養を土から吸い上げる植物のようにおもえ、そうして、根を張り、日を浴び、実を結び枯れていく、植物のひとつのように、生き物として向かう時間を愛おしく感じるようになったのです。

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不安という、動物質の感情に拮抗するように、今この瞬間を喜びに変えてくれるのは、ただただシステマティックに流れていく植物質の時間。その間にある食というもの。

それは、奇しくも、感情と普遍的なものとの間に生まれた「音楽」というのに似て、個的な感情と、感情を介さなくても伝わる普遍的なシステムの双方から満ちてきて、干渉しあい、必然的な音をなしながら流れていく。そうして、日々私が連続しながら生まれ変わる。

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なにか、そういう時間がすこし見える気がするのです。
そんなことを背景にしながら、音楽ワークブックを作っているのはたまたまというわけではないのかも。だいじなのは音楽を体験していくその微細なプロセスで、連続したものが途切れないように配慮すること。

世界が大きく変わるかも知れない、何も変わらないとしても、なにかを模索し始めている私の無意識。

土をいじりながらピアノを弾くのはなかなか身体的にはハード。でも、精神的にはどこかに必然性があるのだと、前より一層感じるようになってきました。

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エノコログサの畑を前にして

さて、実家のその後、父がなくなり、大方の畑は親戚や知人によって農地としての生命を継続していただいているのですが、家屋ちかくの田んぼが放置されたままになっていて、エノコログサや、すすきに似た大きな穂状の植物が風にたなびいています。今年はまだいい、ここに樹木の種が入ってきたらどうなるんだろう・・・

そして、たまたま、大好きな著書「数学する身体」の森田真生さんのtwitterで知った「協生農法」という雑草とともに育てる方法に、ぶち当たって、今立ち止まってるところ。

んー。だからどうすれば良い?もすこし考え中。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!