マガジンのカバー画像

音楽の背中・暮らしの奥に(日記)

220
大人や子供がやってきて音楽をまなぶここutena music field での出来事と、日々のふりかえり、明日への希望などを。 音と音のあいだにある音楽と西洋音楽の仕組みへの敬意…
運営しているクリエイター

#感覚

感じることを大切に。「冬至の会」をおこまいました。

感覚とあそぶ「冬至の会」を今年も行いました。 うちの音楽教室(音楽室)では、毎年年末行事として、“冬至の会”というのをやっています。 冬至の日、夕方17:00から18:00にかけて、おとずれる暗闇のなかでおこなう遊び。 その目的は 感覚を見ることから解放し、きく、におう、あじわう、ふれる、 を浮き上がらせること。 一年という天体のサイクル(音楽・リズム)におもいめぐらせてみること。 暗闇のなかでの対話・・など。 去年はオンラインで生徒さんのご家庭繋いでの会でしたが

音楽を描く’10月愛媛のワークショップ

自分の体感や感覚から音楽に触れていく、そのために、感覚と音楽との間をつなぐツールとして、クレヨンや色鉛筆を使い、動線を描きます。 微細なところで、やりとりする作業。 昨日は、月一回開催されている愛媛でのワークショップでした。 いつか取り組まなければと思っていた 長調と短調の違い。 理論的なところを、体感で掴んでいく作業は 時間も手間暇もかかりますし、集中力も必要。 いつも開放感を楽しんでいただいているみなさんにも 今回は、地道に定規で線を引くところから始めました。 一度

いつかどの街にも「音楽を描く」音楽教室ができたらいいなあ

今日は音楽教室の先生に向けて書きます。 4月にはutena drawing を使ってオンラインでやり取りしていく企画を考え中です。utena drawing がわからない?そりゃそうですね。うちの音楽室でやっている音楽の伝達方法です。 utena drawing 略してu.d は素朴な遊びのようなもので、楽器も楽譜も後まわし、まずは触れて感覚を動かして感じるところから始めるものなので、うんと音楽の敷居が低くどなたでも楽しんでいただけます。 もちろん子どもとの相性も抜群です

うすくらがりに灯るほたるのような・・オンラインワークで気付いたこと

オンラインは骨と筋と皮しか伝わらん、だからこそなによりも、生徒たちのゆるやかな笑顔に癒やされます。 utena music field でも、オンラインワークが一斉に始まりました。 youtubeでのビデオレターでの告知が功を奏し、また、先週のうちにセッティングも済ませていたので、順調にワークに取り組むことができました。 設定にはお父さんも多く参加していただいたり、私も家庭訪問みたいで、なにか、華やいだ気持ちになったり、オンラインでしか味わえない交流ができたことは意外な収穫

明日は冬至の会(暗闇体験と地続きの感覚のこと)

音楽教室の年末行事の冬至の会明日は冬至ですね。 一番夜が長い日。 utenaの音楽教室では、この日に集まって、 暗闇体験をするのが恒例となっています。 ここから、365日。 365日って、昔は沢山あると思ってた、今はとても少ないと感じます。 365という点が俯瞰できてしまう、みたいな感じ。 一緒に集まる子どもたちの365日はどうなんでしょうねー。 きいたってわかりゃしないんで、ただ、この一年の底みたいな日に ろうそくを一緒に眺めるばっかりです。 闇の暖かさ 数年前に、東

感じることの先に「私」がある

五感って、感覚が5個ってわけでもない

ゲーテの目ゲーテは目の人だった、 と、なにかで読んだことがあります。なにだったかよくおぼえていないのですが・・それはどういう意味だったのだろうか、とときどきふっと思い出します。 よく、現代は視覚情報が溢れていて、人間の感覚も視覚過多だ、というようなことを耳にします。あと、視覚優位か、聴覚優位か、とか。現代人が視覚の情報過多、というのはそのとおりだと思うし、視覚に対峙させるのが聴覚、というのもわかる。でも、自分はどうなんだろう、ということでこれを考えてみると、私はどうも、ひ

音楽と”触れる”こと

数年前に、真っ暗闇のなかを歩いていく「ダイヤログ・イン・ザ・ダーク」の体験に行ったことがあります。 純度100%の暗闇のなかを、その道のプロ(つまり視覚に頼らない生活をしている人)に誘導してもらいながら、恐る恐る足を踏み出しました。 それは視覚を奪われた欠けた世の中だったでしょうか? とんでもない! そこから広がる、なんともファンタジックな世界! 聴覚と共に、触覚がうんと働きはじめる・・ その時、普段見ることに隠れて主体として表立って感じることのすくない 「触れる」という感覚

小さい音ほど大きくきこえる

熊谷守一。 アリは二本目の左足から歩き始める、とか、 雫が水面に落ちたとき、できる水の玉の曲がる様子を絵にかいたりとか、 「見る」力の優れた人であったらしい。 絵画に時間を凝縮させている画家は多いけれど、 絵画の中で時間を引き伸ばしている、めずらしい画家。 それは子どもの目。 私は 熊谷守一にそんな印象を持っている。 その熊谷守一が言った言葉で心に残っているのが、 「小さい音ほど、大きく聞こえる」 これを情緒的に捉えるか、もっと体験として捉えるかで、全く違う局面が現れる