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かたわ許さぬ島掟

事件のこと。


子どものこと。

わたしは健常の子の親です
さいしょは それはそれは難しい子でした
眠らず食まず己が手を使わず
一日のうち二十時間以上
虚空を見据えて大きくのけぞり泣き続けるので
わたしに限らず 我が子に関わる人の多くが 障害を疑いました
発達障害かも知れない、知的障害かも知れない、
なにかの後遺症かも知れない、大きなケガをしたことはない?
たくさんの検査を いくつもの医療機関で 気の遠くなるほど受けてきて
けっきょく ただの “特性”です なにも ない と 断言され
予言のようだったその言葉は
ランドセルを買う頃になって成就して
急にすくすく 育つようになった我が子に
いったん覚悟を決めたわたしは
まだ 慣れずに 困惑します

姉のこと。

記憶の中の幼い姉は
すでに健常の子ではなく
まさか立てなくなっちゃうなんて、と 母がよく泣いていました
姉は車椅子に乗せられて移動し
一日の大半を ベッドか車椅子で過ごしました
自分のちからでできたのは ゲームコントローラーを持つことくらい

だからわたしは 健常の子として
必要なことをやりました
姉の寝返りを打たせました
姉のおむつを換えました
姉の入浴をやりました
姉の着替えをやりました
姉の手脚をさすりました
姉の服薬を管理しました
姉の叫びに傾聴しました
姉の投げる物を拾いました
姉の車椅子を押して どこまでもどこまでも行きました
毎日毎晩 何十年と 同じいとなみが続きました
ときどき 姉は 死にたがり
わたしも 幸せにしてあげられない罪を詫びて自分を責めました

健常の子は なんでもできます
わたしの生活は 姉のリズムの螺旋に乗って
進んでいるようで落ちており
はるか上方に 国とか社会とかがまぶしく見えるばかりの底なしの
深海に潜り続けていました

わたしは世間の人たちが
頻繁に夜通し眠ったり
あさひるばんと規則正しく食べたりしていると
大人になってから知りました

健常と健全は にているようで違うのです

この国のこと。

この国は 日本人のための島で
日本語をしゃべらない人や
日本人と異なる見た目の人は
ヨソモノなので 奇異の目で見られます
ヨソモノが 暮らしの不便を訴えても
嫌なら出てけ と黙らされます

この社会は 健常者を前提に出来ていて
自分ひとりでは暮らせない人や
健常者と異なる見た目の人は
ヨソモノと同じなので 奇異の目で見られます
ヨソモノと同じものが 暮らしの不便を訴えても
嫌なら死ね と黙らされます

わたしは
分断された島のふちを やむなくうろうろするヨソモノモドキです

人々の好奇から来る毒の声を
姉の車椅子を押しながら聞きました
子どもを抱きしめながら聞きました

人々は言います
“生まれる前にはわからなかったの?(障害児ってわかっていたら殺せたでしょ)”
“大きくなったら治るわよ(障害が治らなかったら、死んだほうがいい)”

言外に込められた意図に
気づかないふりなどできません
わたしは姉にも我が子にも 同じ毒をふりかけられました

障害のある人間は 許されない社会です
支援を受けて生きなさい 家族ががんばって支えなさい
外に 障害者を出さないでください
みっともないから 見せないでください
パラリンピックと24時間テレビでだけ
健常者をたのしませるのを許してあげますけどね と

わりと大勢の人が思っているので
国も それを 反映しています

お世話に疲れて役所を訪れても
百均ショップの店員さんが そこにないならないですねと述べるが如く
役所の人は言うのです

支援ですか これ以上できることはないですね
しおりに出てないならないですね
すでに手当をもらってますよね
これまでやれてたんだから これからもやれますよね

そう そうそう この感じ
姉のときにもそうでした
我が子のときにもそうでした

おまえ 健常者 おまえ 支えろ
家族 支える あたりまえ
おまえ 助けて 言う資格 ない
おまえ しぬまで がんばれ。

世界は21世紀だそうですが
時間の流れは 海流に阻まれ
ここは 局所的原始社会です
障害を負ったら しずかにおとなしく死になさい と
櫂で島から 突き落とされます

先日 動物園の生き物のお母さんが 育児放棄をして
職員が代わりに赤ちゃんを育てています と ニュースでやっていました
人間のお母さんが育児放棄をしても
赤ちゃんを助けてくれる人はそうそうおらず
お母さんは捕まり裁かれ
双方無事なら またむりやり 元の家庭に押し込められるので
動物園の生き物のほうが いくぶん待遇が良さそうです

結局。

わたしは健常だからこそ 健常でない姉を支えてきましたが
健常のわたしを支える誰かは この世に存在しませんでした
同じように
わたしは健常だからこそ 子どもを育むのも当たり前とされ
健常のわたしを支える制度は この社会に組み込まれていません

これ以上は育たない
これ以上は良くならない
歩ける日も立てる日も 自力で排泄できる日も来ない
そう告げられた あの日の母は
深い愛の反動で 気を違い
わたしにすべて 丸投げし
わたしが受け止めなかったら
姉も 母も 死んでいました

事件未満の 地獄の家庭が
あちらこちらに点在するのを わたしはたやすく想像します
耐えている人が 無数にいます

もし わたしの子も 障害があったなら
与えられたのは姉の時とおなじ
一日に数時間 通園させてもらえる資格
一週間に二回ほど 入浴させてもらえる資格
送迎を受ける資格
それだけ。

ほんらいなら 死んでしかるべきところ
生かしておいてやるのですから
それくらいで 満足しなさい
ぜいたく言うんじゃありません
島長には そう言われているようです

絶望。

健常だったはずの我が子の
他人の瑕疵で失われた未来を歩みつつ
あのお母さんは どれほど孤独だったことでしょう

育つことのない 変わることのない我が子の
肉体ばかり 大きく伸長し
制御のない腕力ばかり つけ
二歳の暴虐と暴挙と物分りのなさをそのままに
時間の過ぎてゆくさまに
自らの肉体の老いを思い
絶望した あのお母さんを
いったい誰が責められましょう

あのお母さんの長年したような苦労を知らずに
あのお母さんの長年耐えたような寝不足を知らずに
あのお母さんの何度も何度も行き詰まっては突破したその無理を知らずに
裁判官は ただ裁くのでしょう
刑は ただ執行されるのでしょう
あのお母さんをたすけなかったすべての人が裁かれないのに
責任をしょいこんだあのお母さんは裁かれる、
そんな原始的で 野蛮な島に きょうもわたしは暮らしていて
救いの無さに 絶望をつのらせ
まだ 螺旋の底にいるのを
否応なく突きつけられています


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