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産後のつまづきダイアローグ

1.プロローグ:夫の言動は、適切ですか

自分がトイレ行きたいのも疲れて座りたいのもお茶飲みたいのも眠いのも我慢して必死で赤ちゃんの相手してお世話して心配して一日過ごしてへとへとなところへ帰ってきた伴侶に「なんでこんな散らかってるの?」とか「親失格じゃん」とか言われてる各位へ。

スイセンはニラによく似ているそうです。

「そうだスイセンだ!」って思ったら、女性相談員さんや保健師さんにお電話を。レッツ離婚。幸せへの第一歩は、戦略的撤退です。

2.育児をめぐる懊悩は、女の罪と罰ですか

こんな疑問を投げつけられたことはないでしょうか。

「なんで産んだの?」
「産んだら苦労するって、わかってなかったの?」

現実世界でここまで直接的に言ってくる人はそんなにたくさんではないでしょうが、匿名のネットではこのような意見が日常的に飛び交います。

わたしもネットで、よく言われます。知らない人から、SNSで。

「大変な思いをするのは、予見できなかったからじゃん」

このようにわざわざお伝えくださるのは、たいていは反出生主義を掲げる方です。『この世は悲しく苦しいことで満ちているので、新しい人間をこの世に生み出すのは間違っている』との信念をお持ちで、それゆえ、親が子どもにまつわることを「赤ちゃんかわいい」でも「夜泣き大変」でもなんでもとにかくネットに書きますと、『どうして産んだんだ、かわいそうに』と、藪から棒に子どもに同情されたり、『私はこんなバカ女と違って産まない選択をしていますから、勝っています』と場外から勝利を宣言されたりします。

現実問題としてご自身が発する言葉のナイフは、画面の向こうの母親を傷つけるものとなりこの世に不要な痛みを増やしているわけですが、そこの矛盾にはお気づきになれない程度には、癒え難いメルトダウンを抱えておられるのかなと感じます。

ただ、そうした方の『人は生まれてくるべきではないと声高に主張する行為』が、いつしか『子どもを産んだ女は罰せられるべきだ』にエスカレートし、やがて『子どもを産んだ女に対しては堂々と罵倒する』という他害行為となっているとき、ご自身には制御し難い精神疾患が背景に隠れている場合もありますので、もしご家族や近しい方に、そのようなヘイトをばら撒かれているご様子がありましたら、病院に繋ぐ手段もあるということは、どなた様もお心に留めていただけますと、いいかなと思います。

余談:近年の精神医療・精神医薬の進歩はめざましいそうで、かつてなら良くならないとされた疾患も早期の治療開始で改善が望めることも大いに増えています。ご家族様、特にお若い方は、親御様・祖父母様などの攻撃性の高まりを認められましたら、精神科病院にご相談なさってみてください。

3.素直な疑問

そしてとある方(以下「***氏」と記載)から、冒頭の《「なんでこんな散らかってるの?」とか「親失格じゃん」》に関して、以下の疑問を頂戴しました。

「すごく論点をずらしてしまうのですが、我慢して疲れるくらいなら子供産まなきゃいいのでは?と思ってしまいます。
一番悪いのは心無い言葉をかける旦那さんですが、そもそも子育て中でもなければこの言葉は飛んでこないわけで、、、
もし自分に子供が出来たら(一生独身だろうけど)気を付けます。」

この方が反出生主義なのか、シンプルに不思議なのか、そこは問いませんでしたが、《子供産まなきゃいいのでは?》という質問(の体を取った侮辱)自体はよく受けるものですので、私信の形式で次のように回答しました。

4.「産まなきゃいいのでは」への回答

 パートナーの無理解を受けて苦しんでいる人に対して、「あなたがそこでそうしていなければその苦しみはない」と説くのは非常に簡単であり、技術的には幼児でもできることです(あなたが幼児レベルだと言っているのではなく、机上の空論だけなら考察材料の少ない幼児にも可能だということです)。
 また子どもを産むことは一人で望んで叶うことでもなく、人間は単性生殖でもなく、子どもの保護者は基本的に二人以上いて然るべきとされるところ、保護者になりきれない人(多くの場合で夫)がその実すくなくないという現実問題があります。
 その問題を見ず、母親の嘆きにだけ焦点を当てれば、「嘆くくらいならなんで生んだの?(産まなければいいのに)」という発想が生まれるのも仕方のないことでしょう。
 しかし大半の初産において、妊娠者は「子を育てることの負荷の高さ」を漠然と想像しこそすれ、それをパートナーと乗り越えていこうという気概、そのための準備、共に育てましょうねという同意を拠り所に妊娠を継続し、長期の苦痛を経て出産に至るかと思います。「産後、パートナーの無理解に嘆くつもり」で妊娠・出産という大ダメージを被る事業に手を出す人は多数派ではないでしょう。
 一方で、妊産婦・経産婦の女性に対しても、周産期でないかのような、産後でないかのような、赤子のいない家であるかのような『サービス』を期待し、自分が子へのサービス提供者側に回ったという自覚のないままのパートナーがいるのがこの場合の『論点』です。
 赤子は無力で力強い混沌ですから、育てる側はどうしたって“我慢して疲れる”ことになりますが、サービス提供者側の自覚も保護者の自覚もない人は、我慢も疲れもごめんだというわけなので、ここに齟齬が生じ、負荷の高さを分かち合える相手がいるはずだった前提が覆され、妻は絶望に突き落とされます。
 この瞬間、すさまじい負の感情が芽生えたにもかかわらず、それを抱えたまま我慢して生きそして老いたのがかつての女性たちであり、わたしたちはそれを嘆きの伝聞として知っています。昔は反撃も逃走も今ほど自由にならなかったことでしょう。
 でも今は、かつてよりは多少、女性の人権の扱いもマシになり、服従以外の選択肢もある時代になりつつあるとわたしは見ます。それはひとえに先人たちのおかげです。死なずとも殺さずとも、離婚することで『駄目な夫』から離れる選択肢が残されています(実現可能かどうかは個別の状況によりますが)。
 切迫する現在の責任を、過去の本人の選択に見いだすのは、冒頭述べたように技術的にはとても簡単に《問題をないことにする方法》です。しかし問題はすでに生じ、過去は変わらず、人間も容易には変わりません。視野が狭まるほどの悲しみと落胆の中にあっても、未来が残っていることだけは確実な事実であり、わたしはこれからもそういう意図で、はからずも苦労の渦中に放り込まれた誰かに向けて、海に小瓶を流すように呟くつもりでいます。「残念な過去と残念な家族は変わらずとも、あなたの未来は選択で変えられますよ」と。
 少しは「産まなきゃいいのでは?」への回答になりましたでしょうか。
 以上です。

5.続いての疑問

***氏はご丁寧に、上記の文章の理解に努める姿勢を見せてくださり、すぐ回答への返信を下記のつぶやきにして示してくださいました。

ご丁寧に返信ありがとうございます。拝読させて頂きました。
私は若干20歳の若造でして、やはりまだこのような事例についての見識が乏しく、軽はずみな言動だったなと反省しております。
仰る通りパートナーの理解が得られないのを想定して出産を敢行される方は少ないでしょうね..
それもこれも、しっかりと子供を育てる上での事前の合意や確認を行うということが必要なのだと強く感じました。
特に共働きの家庭も増えてきましたし、より一層子育てをする家庭は両者の協力が不可欠な世の中になってくるのでしょうね。
私個人の意見としては、その合意段階においてどこまでの協力が必要かを明らかにして頂けるとありがたくも思います。多くの女性は「それくらい察せよ」と憤るかもしれませんが、逆に子供を育てる経験則をなかなか手に入れにくい男性だからこそ、経験が得られやすい女性側の協力が頂けると嬉しいです。
リプに長々と書いてしまいましたが、やはり双方が(特に男性側が)しっかり理解しあうことが大事なのですね。
しかし女性の方が理解が深い以上、どこまでの協力が必要かを明言してくれると非常にうれしいものです。(多くの女性は察せよと怒るでしょうが、、、)
元ツイの旦那さんは極端ですが、ある程度理解を示している(はず)なのに、ニラをスイレンに変えられてしまっては何も対策の講じようがありませんので、、、
お互いが「対話的に」協力していくことが大事なんだと考えました。

驚くほど真摯にご対応いただき***氏には感謝しております。ただ引っかかり(太字部分)がありました。また当初「なにか間違っていたらご教示願います」という旨のフレーズが最後にありましたので、お言葉に応じるつもりで追加で書かせていただいたのが下記のパラグラフです。(なお現在はそちらのひとことは消えていますので、完全にわたしからの長文送りつけ案件になっております)

6.育児は女性が主導すべきか

 ご確認ありがとうございます。もう少し掘り下げさせていただきますね。
 ***さんは育児を巡る男女について、このようにお書きになりました。
『子供を育てる経験則をなかなか手に入れにくい男性』
『経験が得られやすい女性』
『女性の方が理解が深い』
 さて、これらについて私見を述べます。
 いつか、***さんが誰かと、子どもをなしましょうとなった際、相手の彼女はすでに子どもを育てた経験を持っている前提でしょうか。どこかで出産育児を何度か経験した上で、あなたと子をなすのでしょうか。彼女の方が子育てについて理解が深いというのは、一体どういう理由からでしょうか。
 あなたはこれまでの20年の人生の中で、なんとなく、子育ては女がするものであり、男は協力する程度のものだというイメージを作り上げてきたのかなと感じました。
 日本にそういう男性はわりと多く、夫であり父である彼らの当事者感覚の欠落とお客様感覚は、長年多くの女性を追い詰めています。
 しかし現実に、多くの男女は自分たちの初めての子どもをなす際に、経験の無さにおいて平等でしょう。男性にとっても女性にとっても、初めてだらけの世界です。妊娠という未知の体験、出産という未知の恐怖、一度も会ったことさえない自分たちの赤ちゃんという未知の生き物。
 ただ妊娠と出産の苦しみを経験するのは女性のみですので、男性はこの時、無力を理由に傍観者となるか、意欲的に苦痛の緩和に知恵をしぼり行動する戦友となるかは選べます。
 きょうだいがいた人でも、自分の子育ての経験はないのでゼロからのスタートになるでしょう。育児書に書かれているのは基本的な事柄にとどまり、あなたの赤ちゃんが何を好み何を怖がるか、いつ喋り出しいつ歩き出すかなど、どこにも記されていません。
 なぜ熱を出したのか、なぜ嘔吐したのか、教えてくれる人はいません。日々の観察、日夜の育みを通じて、傾向を捉え、把握して予測して明日に活かす、その連続です。
 この得手不得手に男女差はなく、「女だから上手いはず」という思い込みも無意味なら、「男だからわからなくても仕方ない」といった言い訳も無意味です。育児は実践あるのみです。
 ここで***さんの言葉をもう一つ引用します。
『女性の方が理解が深い以上、どこまでの協力が必要かを明言してくれると非常にうれしいものです』
 さて。ちょっと放っておけば落命してしまう脆い命を、二人の宝物を、大切な我が子を、なんとか手探りで生かして育てている女性にとって、この言葉は圧倒的にひとごとだというのが、おわかりいただけるでしょうか。
 親同士で細かな分担、たとえばゴミ出しは夫がやって哺乳瓶を洗うのは妻がやりましょうねといった分担を決めておくのはできるでしょう。では、夜の2時にむずがり泣き出した子を抱っこしてあやすのはどちらにしましょうか? 3時は?
 出勤直前に吐いた子を抱き上げて宥めるのは? 朝イチで小児科に連れて行くのは? 職場に遅刻の電話をするのは? 吐瀉物を片付けるのは? 後で子どもが食べられそうなものを考えて買いに行くのは? その間子どもを見ておくのはどちらにしましょうか?
 障害が見つかったら、自分たちの親にはどちらが説明しますか? 子の担当医とはどちらが頻繁に会いますか? 入院に付き添うのは? 朝夕、薬を飲ませるのは? 痰の吸引は? 備品の調達は? 知能検査に付き添うのは? 発話訓練は?
 特筆すべき支援を必要としない子でも、生まれて5年間くらいに起こるすべての業務を事前にあらかじめ想定し分担しておくのはとても無理で、その場その場で考える瞬発力と対応力が求められるのは、非常時さながらです。
『お互いが「対話的に」協力していく』と言っている暇はだいたいの場合において無く、今すぐ動ける者が動く必要があり、できなければ一家がノロで数日間再起不能に陥るような、具体的なトラブルに発展したりします。
 男も女も、ないのです。足掻くしかない中で、疲れて帰って来る愛する人のために、寝不足の心身に鞭打って、初陣の混乱を掻い潜り、赤子の投げたあらゆる物を拾い、泣くのを宥めつつ一品多く作るのです。しかし“協力方法を具体的に示されていない夫”は、言うのです。
「母親ならもっとうまくやれない?」
 同じスタートラインから歩き出したのに、この景色の差はなんでしょう。悲しき荷物の差は、なんでしょう。女は育児がうまく、男は育児なんか知らないもんわからないもん、ぼく疲れてるもん、そんな、日本社会に漂う空気は、赤ちゃんとその親を幸せにするものだとはわたしには到底思えません。
 協力しようか、じゃないのです。あなたが当事者なのです。たとえはアレですが、動けない味方を抱えて戦地を駆け抜けないといけない時に、隣にいる、戦友と信じている人間から「何か手伝うことあるなら言って。俺わからんから」と言われたら、「てめえ脳ミソついてねえのか」となりはしないでしょうか。
 10キロ近い装備を終日降ろせず補給もままならず緊張感とともに走り続けた人が「疲れた、休みたい」とこぼした時、10キロの荷物も緊張感も持たずお昼ご飯を30分かけて食べて普通に走っていた人が「オレも」と言ったら、返すべき言葉は本当にそれですかとなりはしないでしょうか。
 ここまでお読みになったらお疲れ様です。そろそろしめましょう。
***さんは素晴らしいことにまだ20歳ということなので、これからどんな人間にもなれますし、素敵さに磨きをかけることもできますし、素敵な人に出会える可能性も持っていますね。
 いつか素敵な家をつくるとき、当事者であり続けることの重要さと、傍観者になり果てた時に失うものと傷つけるものの大きさを、思い出してくれたら、いいかなと思います。
 いっぱい幸あれ。
 乱文失礼しました。

上記の回答に対して、きっとご関心の外の具体的すぎる話でしたでしょうに、***氏は下記のようにご返信くださいました。とても誠実なお人柄を感じます。

ありがとうございます。非常に勉強になりました。
女性の方が子供を産む前に子育ての知識が得やすいというのは、単に同性の友人が多く話も聞きやすいというところから予想したまでです。しかし、いくら「話を聞い」たところで百聞は一見にしかずですよね...
雨滴堂さんがおっしゃるように、自分は男は子育てに関与はすれど「協力する」程度の意識しか持たないと考えていたのかもしれません。だからこそこのような発言ができたのだなと思い返されます。
経験のなさにおいて平等というのは実にその通りでありますね、、、
突発的な出来事において「対話する」、育児中そのような暇はなく、動けるものが動くというのには理解できます。
個人的には「動けるときに動いてね」で十分に対話になりえると思いますし、そこのところは夫婦間にもよるものだと考えました。
まさに自分が「育てているんだ!」という当事者意識を持ち続ける、これを僕自身肝に銘じていきたいですね。
逆にまだ将来がある段階で様々なお話を聴けて、そして考えを改めるような機会を設けていただき本当に良かったと思います。ありがとうございました。

7.エピローグ:課題は妻の言語化スキルか

わたしと***氏の対話はここまでです。以上おわり、とすればきれいにまとまるところですが、現実はなかなかそうスムーズには運びません。現実ですから。その後の***氏のツイートを下記に引用します。

確かに自分が夫で、当事者意識を持ってないことに気づいてないなら、直接文句言ってほしいってなります...
もし、奥様方が直接不満を言ってくれると思いあがることこそが、当事者意識の希薄さということなのでしょうか?
実際、子供産まなきゃ~の一連のツリーで自分の考えが変わったわけではあるし、旦那さんと奥さんが面と向き合って考えの齟齬を是正していこうという意識が双方に必要なのかも。
そういう点で、この女性側のモヤモヤをきちんと言語化して伝えることも大事なのではないかって感じ始めました。
男性側の当事者意識が低いのは大前提として問題だけど、その大前提を覆せるのは奥様自身の率直な気持ちだと思います。
他の人の呼びかけよりも何倍も強い影響力を持つんじゃないかと考えています。
あくまで予想なので間違ってるかもです。実際の現場ではそんな理想論は無駄なのかもしれません。

女性側が自分のモヤモヤを言語化していない、伝えていない、という可能性に***氏は思い至りました。これも現場をご覧になっていないので当然かも知れません。

しかし実際には、日本の産後の女性の多くが、かなり具体的に夫に指示し、それを「今じゃなくていいよ」と無視されたり、「俺のやり方でやるから指図は要らない」と間違ったことをされたり、頼んだことではないことでなぜか忙しがられるという行動を受けたり、いまやってほしいのに「働いてきて疲れてるんだ」と偉ぶられたりと、とにかく《産後の妻を下に見ているからこそ出来てしまう無視や軽視》に苦しめられ、絶望し、指示するのにも依願するのにも疲弊し、伝わらなさにもどかしさを覚え、その末に諦め、自分でなにもかも抱え込み、というか子どものために抱え込むほかなく、さらには「言ってくれたらやったのに言ってくれなかった不親切なおまえが非協力的で不親切だっただけだよね」というとどめを刺されているという現実があります。

ここで問題なのは《言葉足らずで不親切な妻》ではなく、《会話の協調を無視する夫》です。

(会話の協調というのは今考えた言い方なのでなんかもっと適切な言い方があれば各位そのように訂正してください。ベースの考え方は語用論《グライスの協調の原理》です)

8.夫婦の会話と協調の原理

まず、ウィキペディアから引っ張ってきた下記の《4つの公理》にすこし目を通してみてください。

《グライスの協調の原理》
量の公理 - 求められているだけの情報を提供しなければいけない。
質の公理 - 信じていないことや根拠のないことを言ってはいけない。
関連性の公理 - 関係のないことを言ってはいけない。
様式の公理 - 不明確な表現や曖昧なことを言ってはいけない。

会話には、全部が全部誠実であるのは無理でも、ある程度の誠実さが必要です。これを踏まえて多くの家庭で発生しているディスコミュニケーションの事例をみていきたいと思います。

まず1つ目に《量の公理》、求められた量の情報を提供しないといけないという公理を無視した会話例を御覧ください。

《量の公理の無視》
妻「何時に帰って来る?」
夫「残業で遅くなる
妻「わかったら連絡してね」
夫「できたらするね

これはよくある会話ですが、夫側は量の公理を満たしていません。妻は帰宅時間から逆算し、子どもの寝かしつけや活動、料理などに取り組む必要があるので帰宅時刻をできるだけ正確に把握したいわけですが、そこが考慮されていないゆえか、夫は聞かれたことに答えませんでした。連絡してほしいという発話にも応じていません。
実際わからないんだから仕方ないだろ、という方におかれましては、職場でも出先からの戻り予定時刻を聞かれて「えっとオ、終わったらカナー」で通るのかご確認いただければと思います。通るならさぞお偉いお立場かと思われるので、さっさと帰宅時刻をご自身でお決めの上、連絡なさればよろしいです。

2つ目に《質の公理》があります。信じていないこと、根拠のないことは言ってはいけません。3つ目に《関連性の公理》があります。関係ないことは言っちゃダメ、言うのは不誠実だよというものです。

《質の公理と関連性の公理の無視》
妻「ミルク飲む量が最近減ってるから心配なんだ。今度小児科で相談してみようと思うんだけど」
夫「元気だし、心配ないんじゃないの。心配なら行ってきなよ」
妻「あなたは心配じゃないの?」
夫「俺が小さいときもそんなもんだったよ

本当に心配ないんでしょうか。病気が潜んでいないかという妻の心配は無視でいいんでしょうか。心配したら巻き込まれて小児科に同行しろと言われるのが面倒くさいのでしょうか。あと赤ちゃんの頃の記憶があるのでしょうか。すごいね。どうでもいい。役に立たなかった。心配は妻一人のものとなりました。

4つ目に《様式の公理》があります。不明確な表現をしてはいけないし、曖昧なことを言ってもいけないというものです。

《様式の公理の無視》
妻「ちょっと! 寝かしつけしてる間にお皿洗ってくれる約束だったよね」
夫「いまやろうとしてたんだよ

……例示このくらいでいいですか?(MPが赤文字)

9.おわりに:妻であり母であり苦しんだあなたへ

今回わたしの***氏への私信に、はからずも多くの反響をいただき、9割9分が実際ご苦労をされた方からの「よくぞ言語化してくれた」といったおそれ多いものでしたが、そう書いてくださった各位に伝えたいことは、まず、そのように言ってくださってありがとうございます。

しかし、あなたが言語化していなかったわけではないのです。あなたが言語化に長けていなかったのでもありません。あなたの夫が、協調の原理を無視し、会話の公理を無視したがために、あなたの要求が遂行されず、育児における協調が困難になったのです。

あなたのモヤモヤは、言葉にしたのに伝わらなかったからこそ、戻ってきて悲しきモヤモヤに成り果てたのです。いま夫とうまくいっているかそうでないかはともかくとして、過去のモヤモヤに苦しめられている方は、どうかご自分を責めないでください。あなたは言葉でも態度でも表情でも伝えようとメッセージをあらゆる手段で送ってきた、それでも相手に伝わらなかった、あなたのせいでは決してなかった。あなたはよく頑張っています。

よい日をお過ごしください。
あなたのご尽力にねぎらいを込めて。雨滴堂より

☆Special Thanks
転載許可をくださった***氏に感謝します。誠実なご交流、どうもありがとうございました。

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