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与えられた環境


私は、小さな町で育った。小学校3年間は1クラス9人の分校で学んだ。9人の世界は狭く、この環境の影響で人見知りが更に深くなった気がする。

小学校の入学式の日、ある女子が出席していなかった。すると担任の先生が私に、その子の家を見に行って欲しいという。

どうして、私?

先生が言うので仕方なく、その子の家まで必死に走った。その子は、祖父母に育てられていたのだが、家族全員が寝ていた。入学式の日を間違えていたらしい。学生服は部屋の中央の壁に大切に吊り下げられていた。その後、無事に入学式に参加する事ができた。

その子の母は、金曜日になるとバスで帰ってくる。週によるが土曜日か日曜日の夕方にまたバスでどこかに帰ってしまう。毎土日の夕方、その子は弟と一緒に母を見送る。泣きながら、泣きじゃくりながら見送る。その光景は、子どもながらに違和感を感じずにはいられなかった。しかし、これは毎週毎週。。
ちょうど、その時間は友と走り回っている時で、遊ぶ傍でその光景が目に入るのだ。
その光景を見たあと、自宅に帰ると母がいる。母がいることの意味、当たり前でないことを小学1年で知る。その後、小学2年に上がる時に、その子は母の元へ行くために転校した。それ以降、会ったことはない。

人は生まれた時から与えられた環境が異なるということを、社会から教えられた。

けれども、あの時、先生は何故、私を指名したのだろう?あの子の家の近くの子は何人かいた。

あの時、人見知りの私にとって、どれほどの勇気が必要だったのか、先生は知っていたのだろうか?

しかし、今となると、先生の決断が凄いことだったと思う。

あの子は元気にしているのだろうか?あの先生も元気にしているだろうか?時折、思い出す。

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