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東京コレクションの入口に立った話

当時、超絶ダサい私が、なぜか東京コレクションの入口に立ったという話。それは決して私が美しく生まれ変わったという美談ではなく、「あわよくば」のチャレンジの結晶だったと思っている。

夜の歌舞伎町 LIQUIDROOMの前で

もともと大学卒業したころから大洋ホェールズというユニットを組んで、新宿の歩行者天国でお笑いライブを行っていた。最初はお笑いだったので、日曜昼の新宿通りだった。新宿通り、伊勢丹前。日曜日は歩行者天国となっていた。そこで行われるパフォーマンスの数々。当時の歩行者天国には長井秀和の姿もあった。間違いない。

そこから、このnoteにあるお笑いの入口に立った後、私たち3人は音楽に傾倒していった。音楽といってもMS-1というサンプラーを使って半分お笑い、半分テクノみたいな流れ。

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香田晋が行進するエバラのCM
「唐揚げおいしく作るならモミモミ〜(モミモミ〜)」
をアレンジして最後のモミモミをループさせながらそこにテクノを被せていく。
あるいは金八先生のセリフつなぎ合わせ、これにテクノを被せていく
「先生はね」「病気だ」「いいかみんなこれだけよーく覚えておけ」「先生はね」「病気だ」こんな感じでMS1のボタンごとにセリフを割り当て、組み合わせて笑いを取る。ここにテクノのリズムを被せていく。

このネタを引っ提げて夜の新宿歌舞伎町コマ劇場裏にあるLIQUIDROOM(リキッドルーム)というクラブが入っているビルの出口に陣取り、延々つかみのお笑いネタとテクノを流して道行く人たちに何かを届けていた。

闇雲にこんなイカつい場所で真夜中にライブをしているわけではなく、LIQUIDROOMの下にいることで有名人のクラブ帰りを狙っているのだ。
「あわよくば」を狙い、暇さえあれば夜な夜な深夜から朝までリキッドルームの下でお笑いネタを繰り広げていた。

歌舞伎町で深夜ライブをやっていると色々な人間と知り合う。挙げるとキリがない。その人を見るだけでも楽しみなくらいだった。その中の一人、エルトンと言う変な外人とも仲良くなった。コイツは最終的にはかなりヤバいヤツだったんだけど、それはまた別の話で。
2001年の新宿歌舞伎町のビル火災、風俗店スーパールーズが燃え盛る模様もこのエルトンと一緒に生で目撃している。

その時が訪れた

そんな歌舞伎町で夜の音楽ネタを繰り広げていたある日、その瞬間は訪れた。いつものようにネタに立ち止まり見ていく洗練された男性。笑いながら声をかけてきた。名前は?それ誰が考えてるの?そんな感じの会話が繰り広げられたのち、

「面白い。今度東京コレクションでそれやってよ」
「マジですか!」

声の主はLADMUSICIANというファッションブランドを手掛けている黒田雄一氏。後ろにいったスタッフから簡単な事務連絡を聞いた。東京コレクションというファッションショーの前座としてこの路上でやっていたネタを披露してくれ、というものだった。ギャラはない。当時、他にもいろいろな奇跡が起きていた自分たちにはその凄さとか、実感がわかなかった。

東京コレクション@LADMUSICIAN当日。白金台八芳園。普段見たこともないおしゃれな男女がランウェイの両サイドから舞台を見ていた。

いつも通りのネタ。狂騒と笑い。場は盛り上がってくれた。緊張よりは見るからにダサい私たちで事足りたかどうかが不安だった。だからホッとした。

記念にもらったのは当日参加者、スタッフに配られていたTシャツ。私は生まれて初めて外にタグのあるTシャツを着た。

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20年経って、このTシャツも着るのが難しいくらいくたびれている。捨てることはないだろう。きっと私の最後の瞬間、ともに炎となり煙となるだろう。

音楽に傾倒した時代。夢を追い求めた3人。当時、モテを目指す男子が読む「Hot-Dog PRESS」という雑誌で1度共同生活をしながら音楽に傾倒した3名の紹介があった。

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2004年まで続く音楽と共同生活の日々。

あわよくばの精神で掴んだ華やかな世界の入口に立ったという話。
「できない」「無理」「甘くない」そんなブレーキを持たずに走り抜けた先にあった眩しい瞬間。今でも「走れ」と私にエールをくれる。



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