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人生で1度だけお笑いの入口に立った話

23歳。自己表現が演劇からお笑いに変わった頃の話。我々はお笑いライブを始めた勢いのまま、芸能事務所のお笑いライブに出るため、初めてネタ見せへ行くことになった。

密な空間でネタ見せチャレンジ

目黒にある芸能事務所。密な空間。レッスンスタジオに50組ほどの芸人の卵、それを仕切る強面の男性。過去、表か裏で一世を風靡したと思しき雰囲気と圧倒的上から目線。これがネタ見せの現場だ。
今は養成システムが確立されているが、当時はネタ見せのスケジュールを確認して、現地に行けばネタ見せができる、ネタ見せで認められればライブに出場できる。ライブで評価をもらえれば出番が増え、芸能事務所との契約、そしてスターへの道。そんな夢を描きながら密な空間に多くの若者が足を運ぶ。

我々は当時、大洋ホェールズという名前の3人組で活動していた。すでに横浜ベイスターズにブランド変更され、大洋ホエールズは過去の言葉だった。その本家と「エ」の字の大小で差別化して、間違えて検索するヤツがいたらしめたもの、みたいなコンセプトで名づけられた。

ネタ見せは進んでいく。見ていて半分くらいが「なぜこのレベルで見せに来たんだろう」という疑問を持つレベル。残り半分が「なんか面白い切り口あるな」と思えたり、ネタ見せで笑ってしまうレベルの存在だった。
初めてのネタ見せで緊張していたが、この疑問を持つレベルの半分の人たちに自信を付けさせてもらったことを覚えている。
自分のやりたいことをやって、運がよければ通るだろう。表現の鍛錬なんてない。とにかく目立ちたい、スターになれるかは運で決まる。そんな思考。今のお笑いコンテストもこの憧れエントリーがエントリー数を下支えしているのだろう。
我々は4年間の演劇経験や1年あまりのお笑いライブ経験、新宿の歩行者天国で通り過ぎる人たちを立ち止まらせる経験を積んでいた。ここに自信はあった。我々は面白いかどうかはともかく表現のスタートラインには立っていると確信はしていた。

ネタ見せの結果、私が自覚したこと

我々の番になった。私たちのスタンスは音楽ネタ。電気グルーヴの「お正月」をかけながら音に合わせて硬軟小ネタを連発していく。ベタなネタを重ねていき、終盤にいくほどスピードもテンションも上がっていく、そんな作り。

終演後は「ダメ出し」と呼ばれるフィードバックの時間。これまでの演者のようにボロカスに言われるかと思いきやこき下ろしのようなものはあまりなく、いくつかのフィードバックが出た。硬軟のメリハリ、もっとハイテンションに、でも切り口は面白い。そんなことを言われた。
このダメだしの中で「ナガノに似ている」と言われたが、それが誰かわかるまで15年ほど時間を要した。

最後に演出が放った一言は今でも忘れられない。

「(他の2人を指して)お前は勢いがある、お前はなんか面白そうな雰囲気がある。お前は華がないな。ナポレオンズみたいなメガネかけろ。いいな

(参考)ナポレオンズ(向かって右がメガネのボナ植木さん)
http://www.tvland.co.jp/napoleons/japanese/profile.html

その当時、自分はダサかっただけで人間としての素材は一流で人を惹きつけると疑ってなかっただけにショックで、以降、自分には華がないことを自覚し徹底した自虐スタンスが確立された。

ダメ出しが終わった。明らかに他の演者に比べて怒られてない。
結果、常連組を除いたチャレンジ枠で通過したのは3組。我々も通過した。
その時、とても従順に演出の話を聞いて一緒にネタ見せを通過したピン芸人の女性がいた。彼女はその後コンビとなりスターダムを駆け上がっていった。そして彼女もまた、いつも同じ眼鏡をかけている。

人生初の「晴れ舞台」

いよいよ本番。大井町にある「きゅりあん」という劇場がその舞台だ。お笑いを愛しているコアなファンたちが見に来る。自分たちのお笑いライブに比べれば来場者の数は多い。
楽屋はみんな一緒。今でも現役で活躍しているお笑い芸人もいた。慣れた面々同士で騒がしく盛り上がっている。
「貯金箱」と言いながら先輩芸人が後輩芸人の肛門に硬貨を入れながら爆笑していた。どう見てもいじめなのだがいじめられている側が喜んでいる構図を保つことで成立していた。異様な空間だった。

我々はチャレンジ枠なので通常の芸人とはルールが異なる。持ち時間は3分間だが、観客のリアクションが弱いとライトがだんだん消えていき、消えたら途中で終了。演じきったら合格というルールだった。

我々のネタは後半盛り上げていくスタイルなので前半はローテンションだ。開始20秒ほどで早速一段ライトが暗くなった。そこから60秒ほどでライトは風前のともしびとなり、我々の挑戦はあっさり終わった。なお、件の女性芸人は暗くなってから粘りに粘って完走している。

終了後のダメ出しが始まった。いろいろ言われたが我々は未熟だった。ネタの構成とルールの不一致、照明を消すルールの曖昧さに不満を募らせていた。途中、演出が放った

「いいか!お前らは猿や!頭のええ猿や!」

という言葉に対し3人とも

「いや、人間だし」

という見解で一致し、以降連絡を取ることもなく、私たちの挑戦は終わった。その後は別の事務所にネタ見せにもいったが通らず、徐々に音楽の道を進んでいく…。

ここで紹介した女性芸人をはじめ、一部の芸人は未だスターの枠の中にいる。我々がここで終わってしまったのは言ってしまえば大人でなかったことが原因なのだが、大人だったらあんな破天荒なネタは生まれていないとも考えてしまう。
お笑いで生き残ったほとんどすべての方々は持ち合わせたセンスと運の何倍もの努力と信念で生き残ってこられたのだと思う。

そんな芸に生きる皆様への尊敬の気持ちは決して止まない。

みなさんにも挑戦の歴史があると思います。
その歴史を改めて紐解くと懐かしさとともに今の自分を奮い立たせるヒントが得られるかもしれません。
みなさんの挑戦が今の自分をますます輝かせる原動力となりますように。

<このチャレンジの前のnote>

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