32年ぶりに見たアンパンマンの話

私は満35歳である。1歳10ヶ月の娘がいる。彼女はいま、アンパンマンに狂っている。幼い頃の私と同じく。
毎日毎日アンパンマン!ばいきんまん!あかちゃんまん!!ドキンしゃん!!と取り憑かれたように口にしている。起きてすぐの第一声すら「アンパンマン(が観たい)」で、もはやアンパンマンが怖くなってきた。

さて、そういうわけでアンパンマンを32年ぶりに観る日々が続いている。当時は私も(無抵抗な)父を標的にあんぱんちを繰り出したりごっこ遊びをしていたが、改めて見てみると思うことが沢山あった。

まず、ばいきんまんは器用貧乏で努力家でアンパンマン強火推しだった。

第1話「アンパンマン誕生」では、アンパンマンはジャムおじさんたちに祝福されて大切に大切に躾られ愛され育てられる。
ばいきんまんはどうか。
彼は生まれた星をいきなり飛び出し(送り出されたのかは不明)アンパンマンワールドにて住むに相応しい場所を瞬時に選定し、自力で卵から生まれて自力で育つ。
自分の住む家もゼロから作り、フィットネス機器やモニターや宇宙船もハンドメイドする。ドクターストーン以上かもしれない。

あまり知られていないがアンパンマンワールドにはお金が無い。とにかく喜んでさえ貰えればOKという価値観なのだそうだ。
ばいきんまんが仮にあのスキルを善行に使っていれば誰からも慕われ感謝され見返りも得られ、楽に生きることができるだろう。でも彼はそうしない。アンパンマンに勝つことしか頭にないからだ。

もし、彼がアンパンマンワールドに貨幣経済という概念を持ち込んだらどうなるだろうか。今のこの私たちのような醜い争いは起きるだろうか。
アンパンマンワールドの住人たちはみなとんでもない善性の持ち主で、基本的には怒ったり喧嘩したりずるをすることはない。
(ちなみにばいきんまんの下手くそな変装が見破られにくいのは、彼らが疑う心をほとんど持たないからだそう)
私は思う。ばいきんまんが本当にアンパンマンを潰したいなら、嘘や誤魔化しや暴力を行使するのではなくあの世界に根付かせるほうが遠回りながら効果的な気がする。宗教なんか最高に効果がありそうだ。
が、彼はそれをやらない。子供向けアニメだからと言ってしまえばそりゃそうだけれど、そんなメタ的な要素を一旦脇に置くなら、彼はただひたすら自分の力だけでアンパンマンを倒したいのだ。
アンパンマンのことが嫌いなはずなのに、何度ぶっ飛ばされようが諦めない。彼はアンパンマンワールドで1番頭が良くて頭が悪くて、幸運で不運で、そして悪事に不向きな奴なのだ。

理由はわからないが、娘はばいきんまんが結構好きである。アンパンマンのぬいぐるみとばいきんまんのぬいぐるみを同時に抱きしめる。
ばいきんまんはアンパンマンワールドでの明確な「悪役」で、それは子供たちがこの先の人生でどうしたって遭遇する理不尽な悪で、「悪いことをすれば成敗されますよ」という見せしめ対象そのものなのに、視聴者からは嫌われていないのである。
突き詰めれば単にコロコロして丸っこくて愛嬌がある見た目だからとかそんな理由かもしれないが、娘を見るにつけ、人間には悪とも善とも馴染めてしまう柔軟性が生まれながらにあるのだと思う。

有り得ないことではあるけれど、もしばいきんまんがその頭脳と実力をもってして本気でアンパンマンワールドの住人の心を汚そうとしても無理ならば、実はかばおくんやちびぞうくんやジャムおじさんたちは一般人のような顔をしているにもかかわらず、いちばん一般人からは遠い仏のような存在なのかもしれない。

【おまけ】
あの世界はいくらなんでも崖が多すぎると思う。ガードレールマンとか柵小僧とか、そんなご都合キャラがいないのによくみんな何とか生きてるな。落下対策をしろ落下対策を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?