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『 #同じテーマで小説を書こう ~人守る声~ 』

ひゅーひゅーという声がする。いや、声ではなくて音だろう。何十年も前から建っている、古い家屋だから隙間風が吹くのは仕方なかった。暴風雨の中、明かりもない山道をさ迷い歩くよりはましだった。昼間は歩いていれば暑いぐらいの気候だったが、日が落ちるにつれて気温がどんどん下がった。

秋の日はつるべ落としと言うが、茜色の空が浮かび上がった後は凍えそうな冷たい空気に身を震わせた。山奥の秋は多くの実りと豊かさを渡してくれるけど、油断をすれば一瞬で別の世界にさらわれる。父親と兄弟の三人で紅葉狩りに来ていたが、弟が転がる栗を追いかけ、その弟を兄は追いかけ、気づけば静かな山の中に二人きりだった。

「寒いね。兄ちゃん」

「うん。ストーブも何もないからな」

何も見えぬ暗闇の中で弟と身を寄せ合って寒さをしのぐ。あるのは毛布一枚きりだった。古くて汚いけれどないよりはましだった。何より急激な冷え込みに、指先から体温が奪わていく。

暖房設備がないこの家屋は打ち捨てられた古い家だ。十歳を過ぎたばかりの兄は、不思議に思って家屋を見上げる。ずいぶんボロボロに見えるのに、雨粒と湿った空気が入り込む以外は何もなかった。この嵐の中で家の屋根が飛び、ガラスが割れて壊れてしまうことを恐れていたが、そんな気配は全くなかった。見た目より丈夫なのだろうか。この家を選んでよかったと小さく息を吐く。この家からしばらく歩くと川があるが、崖下にあるからここまで水があふれることもないだろうと一生懸命考えて決めた。いざとなれば飲み水がくめる。

父親とはぐれ、さ迷い歩いた二人がたどり着いた先は、小さな村のような場所だった。家が数軒だから村とも言えないのかもしれない。最後の一人か二人までこの村に残り、とうとう住人がいなくなり家や村が朽ち果てていったのだろう。どの家も窓や扉が壊れていた。夕闇が迫ると同時に浮かび上がる黒雲は、嵐の匂いを二人の兄弟にかがせた。

焦った兄は七歳の弟の手を急いで引いた。崩れて壊れかけているように見えても、扉も窓もある一番安全そうな家を選んで小さくなっていた。明かりはできるだけ節約したいから、ポケットライトはつけていない。食事も明日の分を考えて、おやつに食べるはずだった一人分の、栄養補助食品を二人で分けただけだった。

「お父さん、探してるかな」

怯えているのか寒いのか震える声が耳元をかすめる。兄は何と言おうか考え考え必死に言葉を絞り出す。

「朝になったら道もわかるし、お父さんも見つけられるさ。今は雨と風がすごいから、探すのは大変だと思うよ」

朝になれば道が分かる、そんなことは分からない。父親も自分たちを見つけるのは大変だろうと兄は思う。とにかくこの暴風雨が過ぎ去るのを待つしかなかった。寒さと嵐の恐怖に震えながらも、弟はいつしか眠りに落ちていく。小さな寝息を立てるのに安心して、雨風の音を聞く。よくもこんな状況で寝ていられると思ったが、歩き回った疲れがどっとでたのだろう。本当は兄もくたくただった。

兄は熟睡はできず何度も起きては眠る浅い眠りを繰り返し、ふと目を開けると暖かい風が頬をなでた。何だろうと目を開けると、一人の男が橙色の明かりのそばに座っている。まわりは真っ暗闇だから、そこだけぼんやりと浮かび上がるようだった。

ストーブだと兄は思った。さっき探したのに見つからなかった。一体どこにあったんだろう。それに今部屋の中にいるおじさんは誰だろう。

橙色の光のそばにいる男がこちらを振り返る。どこにでもいる普通のおじさんだった。この家の住人だろうか。いやそんなことはない。水道も電気も食料らしきものも何もない。本当に朽ち果てていくだけの家だった。それじゃあ、誰かが自分たちと同じように迷い込んできたのだろうか。

兄は橙色の明かりのそばに行きたいと思った。弟の手を引いて立ち上がろうとしたが、身体はぴくりとも動かない。金縛りにあったかのようだった。今まで一度も金縛りにあったことはなかったが、これが金縛りなんだろうとぼんやりと思う。おじさん、誰と口を開こうとして声もでないことに驚いた。金縛りは声も出ないんだと内心慌てる。心臓がどくんどくんと大きな音をたて始めた。もしかしたら、目の前にいるおじさんは幽霊かもしれない。こういう山奥で自殺したり殺されたり死んでしまった人の幽霊が、成仏できずにさ迷い出るのだ。

もしかして自分と弟は死ぬのだろうかという考えが頭に浮かんだ。何とかして動きたかったけれど、どうにもならない。恐怖でいっそう気絶してしまえれば良いのにと思った時、見知らぬおじさんが口を開いた。

「明け方には嵐は抜けるし、ここはどこよりも安全だ。安心して夜明けを待ちなさい」

兄は言葉を発することもできず、見知らぬおじさんを黙って眺めた。そしてそのおじさんの格好の奇妙なことに気がついた。無精ひげを生やし、黒い布を上からかぶっているだけのようだ。ズボンやシャツや靴を身につけていなかった。さらによくよく見てみると、おじさんのようだと思った顔が獣のように変わる。狐でも狸でも狼でもない。兄が今まで見たことがない生き物で、恐怖よりも好奇心が勝った。もっとよく見ようとしたら、おじさんは顔をそらして兄からは背を向けてしまった。

「君たちがいる間は、しっかり守るから安心して眠りなさい」

見知らぬおじさんの声が優しく響き、はいと口を開けて答えた途端、兄はぐっすりと眠りこんでしまった。



「おい!君たち!大丈夫か!?」

騒がしい声と音で目が覚める。捜索隊の人達が兄弟のまわりを取り囲み、心配そうにのぞき込んでいた。弟が身じろぎするのに気がついて、兄は弟の手をそっと握る。発見しましたとか、二人とも無事ですとか、そういう声が飛び交ってうるさかった。怖かっただろうによく頑張ったねと労ってもらい、不意に涙が浮かんだ。怖くて怖くてたまらなかった兄弟は安心のあまり泣き出した。

捜索隊の中でも、身体の大きな男が兄弟それぞれを背負い小屋を後にする。兄は昨夜会ったおじさんはどうなっただろうかと気になった。あの橙色の光、自分たちが無事だったのは、ストーブがあったおかげだと兄は考えた。

「あの、このへんに誰か住んでいるんですか?」

兄を背負っている男が、誰も住んでいないよと短く答える。

「昨日、誰か知らないおじさんが来て、ストーブをつけてくれました」

この家にいれば安全だということや、必ず守ると言ってくれたことを話すと、しばらくして男が言った。

「ストーブもなかったし、見知らぬおじさんもいなかった。僕たちが来た時、君たち二人きりだったよ」

夢でも見ていたんじゃないのかいという、からかうような笑い声にそうかもしれないですと恥じ入るようにうつむいた。嵐の夜の中いた家を一目見ようと振り向くと、古い家のてっぺんで何かが動いたような気がした。最初はヘビだと思ったがヘビにしては大きかった。トカゲのようだとも思ったが、トカゲのはずがなく、恐竜や空想上の生き物、ドラゴンと言えそうだった。昨夜のおじさんの奇妙な顔形が頭に浮かぶ。ふと頭に浮かんだのは龍だった。

崖下に流れる川の名前は何だっただろう。このあたりに龍の名前の地名があったかもしれない。帰ってみたら詳しく調べよう。

(あの家には龍が棲んでいるのかもしれない)

どうしてそんな風に考えるのか兄は自分でも不思議だった。ドキドキしながら今思いついたことをそっと胸の奥にしまう。

(助けてくれてありがとう)

声に出さずにそっとささやいた。


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あきらとさんの企画に参加しました!『声』がテーマですが、あまりテーマに沿えてないです(汗)



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