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ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied㉖

生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…

26曲目もマーラー!…ひとかけら、届くかな?

マーラーGustav Mahler(1860-1911)作曲
若き日の歌 第一集 Lieder und Gesänge aus der Jugendzeitより
思い出 Erinnerungen
                ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵

私の愛は歌を目覚めさせる
繰り返し繰り返し!
私の歌は愛を目覚めさせる
何回も何回も!

あなたの熱い口づけを夢見る唇は
歌とメロディの中、あなたの事を歌わずにはいられない!

そして思いが愛を諦めようとすると
愛の苦しみとともに歌が押し寄せる!

こんな風にして愛も歌も私を縛り付ける
繰り返し何回も!
歌が愛を目覚めさせ、
愛が歌を目覚めさせる!

詩は前回の「春の朝 Frühlingsmorgen」と同じくドイツの詩人レアンダー (Richard Leander,1830-1889) のもの。レアンダーは優秀な外科医でもあり、メルヘン作家でもあった。

 重い液体が滴り落ちるようなピアノの連打が終始響いています。歌声部のメロディは自問自答を繰り返すように一枚一枚フレーズが重ねられ、それは解決することなく節の最後にヒステリックに爆発します。そしてその衝撃をピアノがエコーのように引き継いでいきます。…これは狂乱のアリアならぬ狂乱の歌曲。心の奥底に渦巻く感情をのぞき込み、いつ終わるとも知れぬ問いに気を狂わせていきます—愛が先か歌が先か??(どこかで聞いたことのあるフレーズですね—「卵が先がニワトリが先か」)第3節で愛から解放されたいと思った途端金属的なピアノのメロディが聞こえていきます。精神が壊れていく様子を表しているのです。それはまるで繊細なガラス細工が砕けていくようにも聞こえます。続く歌声部の「愛の苦しみLiebesklagen」は、まるで髪の毛をかきむしりながら叫ぶ悲鳴そのものです。悲鳴のエコーはなかなか消え去らず、この感情の持ち主に逡巡する時間をあたえているかのようです。第4節では諦めと絶望の念に茫然とする様子が歌われ、それを引き継ぐピアノのエコーは心がえぐられるように深く重く響きます。 
 愛にとらわれ正気を失い歌を口ずさむ…そうなってしまうほどの「思い出Erinnerungen」とは!? …この歌には『本当は怖いグリム童話』のような暗い世界がひろがっているように思えます。メルヘン作家だったレアンダーの詩だからでしょうか?マーラーが不幸な幼少期を過ごしたことが念頭にあるからでしょうか?この暗闇の響きは他の作曲家のものと一線を画しているように思えてなりません。
 どんな人も心の中に闇はあるもの…。この曲を聴いてぎょっとしませんでしたか?心の奥底を覗かれたような気持ちになったとしたら、それこそドイツ歌曲の醍醐味を味わったことになると思います。ドイツ歌曲にはとても身近で親密な、誰もが経験し得る感情が湛えられているのですのですから。

前回のドイツ歌曲の楽しみFreude am Lied㉕にマーラーについての解説があります。よろしければご参照くださいませ。
https://note.com/utauakiko/n/n39f7c85085fe





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