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スゴい奴はスゴくないの話

昨日は子どもサッカーの大会でした。

自分は普段はリーダ格のコーチのサポートなどをしているわけですがこの日は特殊な大会で、自分が1チームを率いることになりました。
率いると言っても、この大会は子どもたちの自主性を重んじようという主旨なので、基本は子どもたちにすべて任せます。
なので自分は時間管理や、決め事がうまくいかない時のサポートなどが中心。

普段は3年生と練習しているのですが、今回は3,4年生の混合チームです。
なのでキャプテンは4年生。サッカーの中心も4年生。

見ていて思ったのはやっぱり1年あがると、サッカーの技術だけでなく自主性・協調性なども違う。もちろん3年生で大人びている奴だっているけど、基本的なところで、"先輩"ってやっぱり"先輩"として成長している。

3年生達の目にはどう映ったんだろうか。
漫然と一緒にいるだけでは気づかないと思うので、事あるごとに3年生に対して「やっぱり4年生ってすごいな」とか「頼りになるな」と伝えてはいたけど、何か感じ取ったりはしただろうか。

ただ、スゴい奴、優秀な奴という表現は注意が必要で、心の中はそんなに差がなかったりします。

4年生はすごかったけど、多分心の中では戸惑いもたくさんあったと思う。
普段コーチに引っ張ってもらってるのにいきなり自分らで決めろと言われ、3年生の面倒も見ろと言われ。
たぶん手探りで、迷いながらなんとかやり切ったんだろうなと思います。

自分は子供のころはそういうことに全く気付かず、ただただ「やっぱすごい奴はすごい」「自分とは違う」と思いながら過ごしてきました。
そういうのがコンプレックスみたいになったり、自信をなかなか持てなかったり、言い訳に使ったり、という感じ。

けど大人になって、いざ自分がリーダー的な立ち回りを任され四苦八苦をすることになった時に、

─あれ、もしかしてあの頃のスゴい人達も、実は同じだったんじゃないか

と気づきました。
反省するとともに、逆に心がとても軽くなった。
あぁ、迷っていいんだ、完璧でなくていいんだ、だってみんなそうだもん、と。

なので、子ども達にもなるべく早くそういうことに気づいてもらえたらなと思います。
自分で区別をつくらず、失敗を恐れず、生きやすく生きるために。

そういうことをしっかりと伝えて、理解してもらえたらきっと嬉しいな、と思います。

ただそれを伝えることはスッカリ忘れてました。

oh

おう、また今度、言おう、そうしよう

13分55秒

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