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時空を超えた父との邂逅(その2)

かつて私は、父を否定し、否定し、否定しまくっていました。

私が否定したその父の人生とは・・・・

ノーベル化学賞を取る、学問に優秀だった父はそんな志を持っていました。
ある大学の農学部に合格し進学が決まっていたところ、父の父親が急死。

家を支えるため、父は地元の銀行に就職。
就職試験の時、父は面接官に「仕方なくここに来た!」と堂々と話したということ自慢そうに語っていました。
それでも諦めず父は勤めながら通信で学び奨学金とお金を貯めて一年は東京に出て大学を卒業しました。
家への仕送りで1着しかない背広をずっと着ていたら見かねた上司が仕立てるようにと布を贈ってくれたとか、そんな貧乏話はよく聞きました。

銀行に入ってから父は努力を重ねたのでしょう、転勤を重ね、ある程度の地位になったようです。
遺品の片付けで名刺が出てきて、支店長などを経て子会社の取締役で終わったようでどんな地位にいたのか、あまりよく知りませんでした。
黒塗りの車が迎えに来るのを断って自転車で銀行に通っていた記憶があり、無駄や見栄を嫌う父らしいエピソードです。

それでも高度成長時代のサラリーマンはモーレツですから、昼は立ち食いそばで五分、は当たり前だったようで、昔の父親像は同じようなものかもしれませんが、家での父は大体、権威的で不機嫌で威張っていました。
私の反発心はそこからです。
自分が我慢して生きているから人にも我慢を強いる。
お前たちのためにどんなに苦労をしているか、と聞かされると「だったらやめればいいじゃん」と思っていました。
思春期の会話、私は「好きなことで生きる!」父は「そんな甘いもんじゃない!」

しかし、父の苦労も我慢も「家族への愛情」でしかなかった。
そんな父を感謝もせず、否定していた自分の浅はかさ。
学費も下宿代もお金を出してもらって当然、の図々しい自分。
父の愛の上にすっかりあぐらをかいている未熟な自分だった・・・

そんな気づきがあった頃、未来の素材を扱う新しい事業と出会いました。

写真は最近、姉が見つけた支店長時代の父。
笑顔で、その中にやりがいや喜びもあったんだろうなあと改めて感じました。
(さらに続く)


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