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40年ぶりの再会💕

私は岩手県の自然豊かな三陸海岸沿いの町で小学校3年から卒業まで過ごしました。
その後、宮城、静岡と住まいが変わり、最初は「文通」していたお友達とも疎遠になる中、なぜかチエコちゃんこと「チー」とは年賀状のやり取りがこの年齢(58歳)まで奇跡的に続いていました。
小学校で繋がっているのは彼女だけ!

小学校卒業以来、直接会えたのは16歳の高校生の時。
チーのお兄さんが仙台の大学で七夕を見に来たチーと、どこかでおしゃべりした記憶が最後です。

年賀状にはいつも「会いたいね」と書くものの日常に紛れ、看護学校から看護師になったチーが職場結婚し盛岡に家を建てて落ち着いているのは知っていましたが、なかなか会えずにおりました。

きっかけは私の今年の年賀状。
「美の覚醒」プロジェクトで撮影した夫とのアートLOVEな写真!
あまりにも興味を惹かれたチーが年賀状に「詳しく聞きたい!」とコメントとメルアドを書いて来たのです。

おお、これは連絡だ!

ドキドキしながらLINEのビデオ電話で繋がりました。
40年振りです!

当時のチーより落ち着きや上品さが加わって、大人な感じに仕上がってました(笑)が、小学生の時のハツラツさやものおじしない、スッキリした人柄は変わりません。

お互いの歴史を語り合い、昔を振り返って自分の価値を見直す、良い時間となりました。

亡くなったうちの母のことを
「憧れていた、品がよくで優しい、いつもおやつを出してくれた」
と思い出を語ってくれて
これを聞いたら母も喜んだだろうなあ、もっと早く再会できたらこんな話も聞かせてあげられたなーと天国に報告しました。
私の家は銀行員の父と専業主婦の母、祖母、で転勤で都会の風に当たっていたせいか、もしかしたら都会の空気感があったのかもしれません。

小学校の記憶ってもうほぼないですが、
どうも私は幅跳びの選手だったみたいです(笑)
選抜部隊に選ばれて練習させられたものの、その中ではパッとしない、いつも「精鋭部隊のビリ」ってポジションが多くて「どうせ私はトップにはいけない」って思い込んでしまったんだなーと振り返りました。
しかも、「竹馬」が非常に上手かったらしい。
確かに塀の上を歩いたり忍者技が得意でした。
庭で遊んだこと、近所だったので2階の窓から大声で会話したことを思い出しました。コックリさんもしたよねーってお互い笑ってました。

私のチーの印象は
靴屋さんをやっているお家で、うちにはない雰囲気がありました。
お母さんはいつも感じ良くてシャキシャキしててみんなが忙しそう、うちのようにどんよりまったりしてない空気感が新鮮です。
チーにはちょっと歳の離れた兄と姉がいてテレビの歌謡曲ではない大人な音楽(当時フォークソング)やお年頃の情報なども目新しくて憧れました。
いつも靴屋さんの中を通って朝、登校の誘いに行くのですが、ヒールのある靴やサンダルを「こんな靴、履いてみたいなあ」って憧れて見ていましたね。
チーの誰にでも分け隔てないフランクな姿勢はご商売一家の賜物だったのかもしれません。

昔を語り、お互いにないものをいいなあって思ってたんだねーってなりました。

今はチーは看護師を引退し3人の子育て専業主婦から介護職の講師を担当するようになり、お子さんたちも無事に巣立って、時々仕事しながらののんびりを楽しんでいるようです。
私は相変わらず変化を求め、いろんなことに手を広げ日々動き回ってます。

これもお互いにないもので新鮮です。

温泉にでも一緒に行こうねーと初ビデオ通話を終えました。
彼女も小学校時代で続いているのは私くらいで。しかも、年賀状はほぼ出さないタイプなんだそう。奇跡です。

運気の切り替え時の節分を前に人生の振り返りができてほんと、ありがたいご縁復活です。
自分の身体センスに自信がスペシャル回復したのと、一軍のビリタイプって思い込みを克服する時だなーって感じました。

過去はただ過ぎ去ったもの、触れない、というのも一つの考え方ですが、過去認識を変えることで未来に生きるならそれも素晴らしい💕

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