うたつむぎ

奄美大島の島唄と島踊り、特に八月踊りが大好きです。 両親共に奄美大島出身の大阪生まれ。…

うたつむぎ

奄美大島の島唄と島踊り、特に八月踊りが大好きです。 両親共に奄美大島出身の大阪生まれ。奄美群島日本復帰50周年記念イベントで改めて奄美の文化に魅せられて20年余り。関西、関東、そして奄美で島唄・踊りで交流してきたことを中心に発信していきたいと思います。

マガジン

  • 奄美大島の唄心にふれて

    奄美シマウタの唄者、故太原俊成さん(昭和5年~平成29年)の回想録です。 シマウタが初めて全国放送テレビで紹介された。昭和38年の教育テレビ『芸能百選』に出演するなど、昭和30年代後半~40年代前半に東京でシマウタ普及伝承活動に大きく貢献しました。生前に筆者が聞き取った回想録音を書き起こしていきます。

最近の記事

https://news.yahoo.co.jp/articles/6eb2306f78a6e596118b06d95cb6119e1ccc17c5 これは嬉しい。 島歌にもジュゴンの歌詞が残っています。

    • https://ronso.co.jp/book/%e5%a5%84%e7%be%8e%e3%81%ae%e4%ba%ba%e3%83%bb%e3%81%8f%e3%82%89%e3%81%97%e3%83%bb%e6%96%87%e5%8c%96/ 「奄美の人・くらし・文化」 民俗文化研究所奄美班 編著/植松明石 監修 芦検集落豊年祭について詳しく掲載されてて、参考になりました。 読みやすく、かつ、内容充実。奄美のくらしや文化に関心がある方はぜひ読んでいただきたい一冊です。

      • 芦検豊年祭(2005年8月15日)【サシガミと道祓い】 カミヤマの下にあるトネヤ(神事を行う住宅)から振り出す人々。 力士たちに怪我がないようにと、サシガミと言われる鬼門を避けて家を出てトネヤに向かいます。また、女性達が歌うみちゃれ節には道祓いの意味があると言われています。

        • 芦検豊年祭フリダシ(2005年8月15日撮影) 先頭のシタンシタン(露払い)が着ているのはウンジョウギン(裂き織りの野良着)。顔や身体は黒い泥状のものが塗られている。これは泥なのか、ナベヒグル(竈の炭)なのかは不明。いずれにしても何か霊的な意味があるのだと思う。

        https://news.yahoo.co.jp/articles/6eb2306f78a6e596118b06d95cb6119e1ccc17c5 これは嬉しい。 島歌にもジュゴンの歌詞が残っています。

        • https://ronso.co.jp/book/%e5%a5%84%e7%be%8e%e3%81%ae%e4%ba%ba%e3%83%bb%e3%81%8f%e3%82%89%e3%81%97%e3%83%bb%e6%96%87%e5%8c%96/ 「奄美の人・くらし・文化」 民俗文化研究所奄美班 編著/植松明石 監修 芦検集落豊年祭について詳しく掲載されてて、参考になりました。 読みやすく、かつ、内容充実。奄美のくらしや文化に関心がある方はぜひ読んでいただきたい一冊です。

        • 芦検豊年祭(2005年8月15日)【サシガミと道祓い】 カミヤマの下にあるトネヤ(神事を行う住宅)から振り出す人々。 力士たちに怪我がないようにと、サシガミと言われる鬼門を避けて家を出てトネヤに向かいます。また、女性達が歌うみちゃれ節には道祓いの意味があると言われています。

        • 芦検豊年祭フリダシ(2005年8月15日撮影) 先頭のシタンシタン(露払い)が着ているのはウンジョウギン(裂き織りの野良着)。顔や身体は黒い泥状のものが塗られている。これは泥なのか、ナベヒグル(竈の炭)なのかは不明。いずれにしても何か霊的な意味があるのだと思う。

        マガジン

        • 奄美大島の唄心にふれて
          1本

        記事

          再生

          巻き立つような歌声 奄美大島豊年祭

          2005年8月15日に行われた、奄美大島宇検村芦検集落豊年祭フリダシの様子です。 力士たちは掛声を、女性達は「みちゃれ節」を歌って土俵まで行進します。 最後は土俵の上と下で幾重もの輪ができ、掛声と歌声が巻き立つように響き合います。 見ているだけでセロトニンとかドーパミンといった幸せホルモンがたくさん出てきそうです。

          巻き立つような歌声 奄美大島豊年祭

          再生

          川畑清さんの思い出

          東京でシマウタ普及伝承活動を支えてきた川畑清さん。太原俊成さんの回想録音から、懐深い人物像とジーンとくるエピソードを書き起しました。戦時中はねシマグチ、シマウタは絶対するなよって言われていたものだから、三味線はね、弟にあげて東京に行ったんだ。でも、まあ、根が好きだからね。古仁屋会に行ったらね、油井の人が三味線持って来ていたから、その人に三味線借りて弾いたわけ。 それでみんなにパーッと(※評判が)広がってね。それで、しばらくその人に借りて弾いていたけど、笠利の川畑さんという方

          川畑清さんの思い出