ズルイ男と二人の女

相手を利用しちゃってるなーというある方のお話を聞いてて、自分も昔は相手の気持ちには応えられないけど、相手の好意を自分の寂しさを補う為の道具(ツール)として使ってしまってたことがあったなーと思い出しました。人としてはすきなんだけど、恋愛感情ではなくて。いま思うと居心地は良かったけど、それは自分の寂しさを埋める相手なら誰でも良かったのかなって。

自分に自信がないときほど、その好意はとてもありがたく、自分の存在を認めてくれる存在のように居心地が良くて。相性がよいってこういうことなのかなと思ったのだけど、いま思うと、それはただのぬるま湯で。自分が楽だから相手を利用していたことに気づいたのは好きな人ができてその好きな人とも別れてしまって、すこし経ってから。その好きだった人とは好きなのにお互いがお互いの幸せを願って背中をポンと押して別れた。その経験があってから、自分はあの子と向き合えてなかったなって。

今思えば、相手と向き合っていれば、相手の好意にはお断りをいれて、相手の幸せを願い、連絡を断ち、他の人へのドアはこちらです。と辛くてもするべきだったと思います。

相性が良いというのは、ただ楽な人という人もいるんだけど、僕はちょっと違う見方もしていて、すっぽんぽんの状態でお互いが何を我慢することもなく、自分が自分じゃなくなって、最初は浮いてるんだけど、気づいたら相手という存在が入ったお陰で、あたらしい自分が定着している化学反応みたいなものかなって。

過去の自分といまの自分って切り分けて表現できるぐらいにね。それでこの相手としか考えられなくなるというか、他の人だと物足りなくなり、この人とは楽で楽しくて居心地がよいって体が脳が覚えていく。それが心地よくて、お互いがたのしいなって思える関係。

将来的な不安はあるかもしれないけど、この人となら仕事なくなってもお金なくなっても頑張って生きていけるかなって思えて。そういう相手だと不安にすら思わない。ずっと笑っててほしいし、自分もそれを見て幸せになれるのを知ってるから。

そこに無理とか我慢の言葉はないんだよね。不安という言葉も。実は2人の矢印が違う方向に向かってるから、それらを感じるのであって。

まーこんなこと言ってますが、自分や相手の寂しさを埋めるだけの道具もたまにはいいかもしれないですけどね。

ズルイのも人間だから。

けれどぬるま湯ではなく、少し熱いぐらいのお湯の方が気持ちいいし、あがったあとのお水も美味しいから、僕は恋がしたい。僕は恋がしたい。

大事なことなので二度言いました。

遅くまで仕事したからか、寝起きで頭がぼーっとしてベッドに深く沈んでいたので、話を聞くので精一杯だったけれど、そんなことを思ってたりしました。

さて、遅めの朝ごはんでもつくろうかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?