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ルート66の旅 Day3 ヴィクターヴィルからベガスへ

3日目の目的地はラスベガス。ルート66はラスベガスを通っていないため完全に寄り道となるのだが、一度はVegas Nightを経験したい男子大学生の総意により、ラスベガスを目指すことになった。アナハイムからラスベガスまでは道なり450キロほど。直行すれば4時間かからずに到着できる距離ではあるが、ディズニー疲れもあったので、大いに寄り道を楽しむことにした。

アナハイムから北東へ120キロほど進むと、ヴィクターヴィルに到着した。モハーヴェ砂漠の南端に位置する都市で、昼と夜の寒暖差が非常に大きい。夏は高温で乾燥しており、この日もかなり暑かったのを覚えている。この街には小さな博物館、California Route 66 Museumがある。壁に書かれたモチーフには非常に覚えがあるのだが、残念なことに中身に関する記憶がごそっと抜け落ちてしまっている。写真を見返しても内部のものが見つからない。ルート66に関連するグッズや標識が所狭しと展示されている空間の記憶はあるのだが、それはこの博物館の記憶なのだろうか。日記をつける習慣なく長期旅行をしてしまうと、こういうことが起こる。

一年間の留学生活の中で、この旅の期間中がもっともバーガーを食べた二週間だった。その始まりはここヴィクターヴィルのEMMA JEAN'S HOLLAND BURGER CAFEだった。栗山千明や國村隼も出演したハリウッド映画、キル・ビルの中にも登場していたダイナーだ。Route66 Histrical Pointという表示があったので、歴史あるバーガー屋だったのだと思う。店内にはキャトルマン・ハットをかぶった紳士が何人かいて、これが日本を発つ前にイメージしていたアメリカそのものだと興奮した。紳士たちの隣にブロンドの美女が並んでいれば、それはもう完全に西部劇の世界なのだが、それがどうだったかはあまり記憶にない。最後まで全く慣れなかったのは、ナイフとフォークでもってバーガーを食べる文化である。かぶりついた方が早いのにと思いながら、バーガーを細かく切って口に運ぶ。おかげで胃もたれしなかった。あの食べ方にはそういった効果もあるのかもしれない。

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お腹を満たし、モハーヴェ川に沿って北東に100キロほど進むとキャリコ・ゴーストタウンに到着した。この記事のヘッダーの写真はゴーストタウンへの入り口で撮ったものだが、この辺りまでくると一面が砂漠地帯でとにかく暑い。男子学生三人旅で日焼け止めなど準備してあろうはずがないので、猛烈に肌が焼けた。キャリコは1881年に誕生した街で、銀を採掘する鉱山業で発展した。郵便局や消防署、売春宿なども併設され、かつては1,200人ほどの人口があったという。売春宿があったというのはなかなかに重要なことだ。今アメリカで売春が合法化されているのはラスベガスのあるネバダ州のみ(しかし同じネバダ州でも、ラスベガス地区では禁止されているのが一般のイメージと乖離していて面白い)なのだが、この州で売春宿が発展したのも鉱山の発展と関係があると聞いたことがある。キャリコの街は1907年にゴーストタウン化したとのことなので、シルバーラッシュの天国と地獄をわずか四半世紀の間に経験した街、ということになる。施設内ではカウボーイやカウガールの服装をしたスタッフや観光客が随所に見られ、銃撃戦のスタントなんかが突然始まったりする。

キャリコにはCalico and Odessa Railroadと呼ばれる鉄道が走っている。およそ8分間かけて坑内を回る鉄道で、かつてはWaterloo Mining Railroadとして走っていた鉱山鉄道を再現したものだ。五ドルほどの運賃で乗車することができる。リアルウエスタンリバー鉄道とでも言えばいいのか。アメリカの黄"銀"時代の思い出を乗せて荒野を走るレトロ列車。ロマンが溢れる。西部劇の世界を堪能した後は、いよいよネバダ州の不夜城へと向かう。

さて、キャリコから国道15号線を北上し、約2時間が過ぎた頃、夢の街ラスベガスに到着した。なんとか陽のあるうちに到着することができたので、ベガスという街の昼の顔と夜の顔をどちらも楽しむことができた。一攫千金を目指し、多くの人々が金脈を求めてカリフォルニアを目指すなか、その中継地点としてオアシスの役目を果たしたのが、砂漠の中のわずかな窪地、ラスベガスだった。もともとはマフィアとカジノが結びついた街だったが、ベンジャミン・シーゲルやハワード・ヒューズといった男たちの活躍により、この街は単なるカジノ街から脱却した。今のラスベガスを一言で表すなら、街をあげた総合エンタメ施設といったところだろうか。もちろんカジノやポールダンスといった「不夜城」のイメージ通りの場所もあるが、それ以上に劇場やアミューズメントパークといった施設が充実していた。正直言ってこの街の魅力は活字にしてもあまり伝わらない。

様々なホテルが趣向を凝らし、街の中にニューヨークやパリ、カイロ、ヴェネツィアなどの街並みを作り出している。さながら東武ワールドスクエアみたいというと規模が違うと怒られてしまうかもしれないが、それぞれの意匠が積み重なって街の活気が生み出されていると思うと興奮する。当然ながら砂漠地帯なので夜は冷え込むのだが、この街の熱気がそれを感じさせないのが面白い。今更オススメするまでもないだろうが、Bellagioというホテルで開かれる噴水ショーは一見するべきだ。箱根にあるオルゴールの森美術館でもなんでも、基本的に噴水ショーは美しいと思うのだが、ここの規模は別格だった。演目は様々あるそうだが、Lee GreenwoodのGod Bless the USAに合わせた噴水ショーは素敵だった。この国では国の成り立ちを讃えるポピュラーな歌がいくつかあるのだが、日本にはそのような曲はないのだろうか。一晩考えてみたが、君が代と郷ひろみしか浮かんでこなかった。

個人的にここに泊まりたかったなと思ったホテルは、VenetianとPalazzoである。ブルーマングループが劇場を展開していたのもこのホテルだ。ここではヴェネツィアの街並みが再現されており、ホテルの周囲をゴンドラがふらりと漂っている。誰かの飲みかけのカクテルがそこいらに放置されている光景までもがおしゃれに見えてくるのだから不思議だ。この経験が影響し、イタリア語の勉強を始めた。COVID-19も影響し、イタリア本国に行けるのはいつになるかわからないが、挨拶と簡単な会話くらいはできるようになってから本場のヴェネツィアを訪れたい。

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100年ちょっとの間に巨大都市に成長したラスベガス。ゴールドラッシュ、世界恐慌、経済政策、ダム建設といった要素が複雑に絡み合い、世界一の歓楽街は誕生した。この中でHoover Damと呼ばれるダムの果たした役割が大きいのだが、それはまた別のお話。

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