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ルート66の旅 Day1 LAとサンタモニカ

2016年に大学の同期二人と旅をした。その旅行記を今、思い出せる範囲でメモ書き的に文書化しようと思う。本当は文章を校正したりして「読み物」にした方が良いのだろうが、思いつきでだらだらと書いているだけなので今の所はラフな日記である。旅行記の体裁になるのはまだまだ先だと思う。

2016年9月12日の午前6時、留学先のオレゴン州モンマスからバスが出発した。飛行機とバスとを乗りつぎ、14時を少し回った頃、ロサンゼルスの市街地に到着する。前日に到着し、すでに車を借りてくれていた友人たちと合流。慣れた日本車が良いだろうとトヨタのRAV4を借りる計画だったが、目の前に現れた車はバカでかいシボレーで、3人の我々では定員の半分をも満たせなかった。

「山下智久・ルート66~たった一人のアメリカ」は、山下智久さんが相棒のシボレーC20(通称あっくん)とともに、シカゴからサンタモニカまでの3755キロを走破する2週間に密着した旅番組である。東から西へ、夕日に向かってルート66を駆け抜けていく車、4000キロ弱を走破する達成感...よし、山Pを追随していろんなところに行って、日本でできない体験をしようと意気込んだ3人だったが、自分の新学期が始まるという非常に自分勝手な都合で、西から東に進む選択をせざるをえなかった。二人には申し訳なかったが、その後ニューヨークに立ち寄ったという話を聞いたのでそれはそれでよかったんだろう。夕日を背負って走るのもなかなか趣があっていいじゃないかと強がってみる。

さて、無事に合流を果たした僕らはチャイニーズシアターに向かった。TCL Chinese Theater。映画産業が栄え始めた1927年に、シド・グローマンによって建設された映画館で、中国の明王朝風の外観をしている。ハリウッドで唯一のIMAXシアターらしいのだが、ここでは内観よりも前庭の方が有名だ。200人以上のスターの手形や足形が飾られていて、常に多くの観光客で賑わっている。大好きなRobert De Niroの手形に飛びつく僕。全体的に1cmほど、彼の手の大きさが僕を上回っている。隣では川森がハンガーゲームの主人公、Jennifer Lawrenceと手形サイズが全く同じだったことに興奮している。

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同じ敷地内に立っている蝋人形の館、通称マダム・タッソーに向かうと今度はつよしのテンションが上がり始める。アイアンマンやソーといったMCUヒーローの面々が僕たちを待っていたからだ。今でこそMCU作品を一通り追っているので、つよしがとっていた行動の意味が分かるけれど、当時はなぜあんなに嬉々としてハンマーを持ち上げたり、勢いよく地面に落としたりを繰り返しているのだろう、なんて考えていた。映画を観た後でここを訪れていれば、さらに楽しめたかもしれない。それはここだけではなく、旅の中で総じて感じたものだ。

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蝋人形館の外に出ると、L.A.とワシントン州とを結ぶ国道101号線を挟んで、有名なハリウッドサインが見える。ラ・ラ・ランドで一躍有名になった天文台、Griffith Observatoryの方角である。憧れていた9つの白文字をずっと見ていると、アメリカの星条旗がいくつか目に飛び込んできた。この国ではいたるところに星条旗が飾られている。国への誇りを示しているのだろうか。景観がよりよくなるという意識からなのだろうか。日の丸ももっとあちこちで見かけていいのにな、そんなことを思いながら今回の旅のスタート地点、サンタモニカへと向かう。

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Santa Monica Pierはルート66の西端に位置する桟橋である。ルート66とは、イリノイ州のシカゴとカリフォルニア州のサンタモニカをかつて結んでいた、3755キロの旧国道のことだ。高速道路が発達したことでその役目を終え、1985年に廃線となった。歴史的にはアメリカの西部の発展に大きく寄与した重要な国道で、ポップ・カルチャーの題材として音楽や映画など様々な媒体に登場する。ピクサー映画のカーズもこの国道が題材であり、当初はRoute 66というタイトルになる予定だったらしい。
橋にはPacific Parkと呼ばれる公園、遊園地が併設されており、観覧車とちょっとしたローラーコースターが主張していた。観覧車の最高到達地点と同程度しか飛ばないカモメたちがウロウロと風に流されてゆく。

ルート66を巡る旅初日にして、「道の終点」と書かれた看板の下で記念写真を撮った。借りたてのシボレーの車体はまだ真っ白く光っている。贔屓目に見ても、長い国道を走破してきた旅行者には見えなかっただろう。まさに終わりの始まりである。残念だったのは天気で、雨こそ降っていないものの全体的には曇り空だったので、時折漏れてくる陽の光に夕焼けを想像した。時間が経つと海面付近だけはぽっかりと雲がなくなり、すでに沈んだ橙色の落陽が垣間見えた。たそがれる川森を横目に景色に感動した。

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夕食は川森の勧めだっただろうか、Michael Jacksonがとても気に入っており、ネバーランドまで2時間の配達を依頼したこともあるというメキシコ料理店、El Choloに向かった。留学先の大学のそばにメキシコ料理店はあったものの、常日頃からブリートしか頼んでいなかったツケが回ったのか、メニューが全くわからなかった。Cheese EnchiladaとChile Rellenoが一体なんなのか想像しながらそれらを注文した。付け合わせで出てきた豆がパサパサで、水差しを何度か交換してもらった覚えがある。そして見た目に似合わないこってりとした味。幸い太らない体質だが、これを食べ続けるとどうなるか、座席の周囲を見渡して確信した。

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ビバリーヒルズを横目に将来はここに住めるくらいのお金を稼ぐぞと夢を見つつ、翌日の予定に合わせてアナハイムに前乗りする。ビバリーヒルズ青春白書を観ておけば、ここでもより楽しめたのかもしれない。Super 8 by Wyndham Anaheim/Disneyland Driveというモーテルに宿泊したのだが、このSuper 8にはこの後の旅で幾度もお世話になってゆくことになる。二つしかないベッドを誰が争奪するのか、明日の運転手が一人でベッドを使う権利を得ることにしよう。そんな話をしながら、活動時間が20時間を超えていた僕は眠りに落ちてしまった。



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